発創アリ。

2017 08
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信じてこそ。




夢を描き、科学的、論理的に分析して
その実現に向けた行動計画を立てることは
どれほどの意味を持つのか、と考えます。



その分析の緻密さゆえに
計画への過信、または義務感が生まれ
計画厳守こそが、夢の実現への道だと思い込んでしまう。
もっと不幸なら、計画厳守が夢にすり替わってしまう。


信じるべきは
分析や計画の緻密さではなく


その夢を「どうしても実現したい」と願う
自分自身の心の熱気であり

その夢の「実現してしまっている状況」を描ける
自分自身の想像力だと思います。


分析や計画を軽視するつもりはなく
それらばかりに目を奪われ
本来、夢の実現にもっともチカラを発揮するはずの
自らの精神、思考のありようについて考える時間、場面が
あまりに少ないのではないかと
社会と、そしてもちろん自分自身を省察しています。


泥遊びに没頭している子どもの脳裏には
「できるだろうか?」「締め切りはいつだろうか?」
などという迷い、不安はなく

ただただ、「・・・のように作りたい」という熱情だけが
存在しているのではないでしょうか。

もしかしたら、それすらもなく
「ずっと、この泥に触れていたい」という無我の状態
なのかもしれません。


不安が増す社会において
どのように問題を解決すべきなのか
という分析、論理、計画ばかりに目が向かいがちです。


泥遊びの子どものような目線を
忘れたくありません。
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