発創アリ。

2017 08
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多重文脈へ。



すでにできあがったコミュニティに
偶然でも、意志を持ってでも
初めて触れた時に感じる、ふたつの感情があります。


ひとつ。
入り込めない。。。気まずい。
自分の立ち位置をどう確保しようか。
だれか知っている人、いないかな。
話しかけやすそうな人、いないかな。


これは、よくある話です。


で、ふたつめ。
なんか、なれ合いの匂いがする。。。
だよね~とか、うん、わかるわかる。
見えないお約束の中で、核心を避けてるのが見える。
自分たちの世界に浸ってる。。。


これは、ひとつめの、入りにくさ、気まずさの
背後にあって、裏表の関係になってる気がします。
そのコミュニティーの「お約束」が入りにくさの原因であり
「お約束」を言い換えると「なれ合い」だったりします。


それぞれの会社、組織に
独特の風土があって、それは部外者からは
「何それ?そんなのあり?」のように
組織の常識が世間の非常識になることは多々あります。


ので、僕たちは、コミュニティーを築くことが大切であると同時に
コミュニティを相対化することも必要です。
そこに浸りきってしまって、お約束の中で生きてしまっては
外から見たら、「弱者のなれ合い」でしかなかったりします。


コミュニティを築き、その中に生きつつ
その外に、また別のコミュニティーと別の常識があることを自覚する。

そのために、いくつかのコミュニティーを生きる。
いわば、多重文脈を生きる。
そういうことが必要だと思います。


もし、自分が「先生」と崇められる立場にあるコミュニティーにだけいたら
そこから出ようとしなかったら
「先生」でいられるのは、その文脈においてのみだということを忘れ
なんとも、みっともない人になってしまいます。

テレビには、そういう人、よく見かけます。
あ、身近にもチラチラあるかも。


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