発創アリ。

2017 03
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空気と発言。



原子力発電について
その現場を支えている当事者/責任者の方々と
一般市民が少人数で対話して相互理解を深める
「げんでんネクサス」という会に
ふとしたご縁で2年間参加させていただいておりました。


僕は原発に賛成でも反対でもない
「よくわからないんです」という無責任なスタンスでした。
が、2年間、あれこれと勉強させていただく中で
ようやく、その必要性とリスクについて
自分のものにできそうな理解を手にすることができました。


一方で、理解が深まったから
積極的に行動するか、といったら
それはそれで別の問題が、自分の中にあります。


正しいことを正しいと発言する
危ないことを危ないと発言する
必要であることを必要であると発言する
思いを他者に向かって公言することは

必ずしも、理解の深さとは相関しない
理解しているからといって、対外的に行動するわけでない。


なぜなら
他者とその集合体であるコミュニティ、そして社会の
空気を読んで、その結果で判断するからです。


要は、自分が「浮き」そうな発言はしない。


もちろん、信念に忠実な方もいらっしゃいますが
そうでない方の方が、おそらく多い。


エネルギー問題のような地球レベルのテーマは
少人数の信念に満ちた人に解決を任せることはできません。

ごく普通の
「臆病さ」と「無責任さ」という「常識」を持った人が
よってたかって意識を向けないと解決しない。


ここでいう臆病とか、無責任とかは
決して否定的な意味ではなく
そういう感覚が誰にもあるということを認めた上でなければ
全員参加の問題解決などできない
という現実的な意味です。


私たちは
意見を言う前に空気を読みます。
空気に抗う発言を避けようとします。
空気に抗う発言を受け入れ難く感じます。


であれば、すべきことは
正しいことを正しく知ることと同じく、いや、もっと前に

私たちは、何を感じているのか
をわかちあうことだろうと思います。


現代の社会問題は、おそらくすべて
極少数の信念の人、極少数の専門知識人によって
解決することは不可能でしょう。
全員の意識を集めることが必要。


であれば、これからの問題解決プロセスに必要になってくることは
そして、これまでは必要とされなかったことは

正しさの前に感情を共有する
何についてどう感じているのかを共有する
その後に、そもそも何が私たちにとっての問題なのかを考える

というものでしょう。

そこには分析も論理も正邪もありません。
なんとなく漂っている場の空気を共有することで


反対のための反対
批判のための批判
肯定のための肯定

といった武装された意見ではなく
生身の意見を交えることができるようになるのだろうと思います。


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