発創アリ。

2017 04
03 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 → 05
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
見えない大きな違い。


性格が
明るいか、暗いか、とか
前向きか、後ろ向きか、というのとは
少し違って


何か、根拠はわからないけれどチカラを感じさせる人と
チカラを感じるどころか、減退させるチカラを発揮するタイプ
がいるように思います。


もう少し言い方を変えると
常に何者かになろうとしている、その可能性を感じさせる人と
評論家的に一歩引いて、傷つかない立場から出てこない人
とでも言いましょうか。。。


僕は前者でありたいと願いつつ
後者になってしまいそうな自分と格闘する
という毎日を送っております。

で、前者と後者の分かれ目、根本的な違いは何か
と考えると、結局、単純な答えに行き着きます。


自分は、きっと「できるようになる」
という未来志向、可能性志向があるかないか、です。

自らをリスクに晒さない評論家的スタンスに立ってしまう人は
自分は、もはや、「今以上にはなれない」という諦めがあって
それと対面することを無意識にさけることによって
結果的に評論家になるようです。


幼児は、万事にわたって
「いつかできるようになる」と考えます。
で、かなりの確率でそれが実現していきます。
何しろ、最初は、何にもできないわけですから
できることが増えるのは当然です。

ところが、大人は
脳細胞も、身体能力もピークを過ぎますから
テストやスポーツの能力は上がりません。
というわけで「いつかきっと、できるようになる」という
未来志向を持つことが困難になって
評論家的な生き方への引力が高まる、という構造だと思われます。


ここで考えをやめると、単なる悲観的仮説ですが。。。


私にはできないけれど
私たちにはできるかもしれない


という協働志向は、大人の方が熟達する可能性があります。
コミュニケーション能力は年とともに高まるという道もあるからです。
もちろん、年とともに、下がっていくケースも多々ありますが。。。


私は、もはやできるようにならない。

という悲観を

私は、誰かとつながったら
きっとできるようになる。

という楽観へと反転させるプロセスことが
チカラを感じさせる人
何者かになろうとしている人に内在する
見えない大きな違い、ではないでしょうか。

スポンサーサイト
 出来事・日記 コメント(0)
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://eupsychia.blog75.fc2.com/tb.php/711-9256c8f2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。