発創アリ。

2017 04
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「むかつくんですよね」



とある裁判で
被告がちゃんと質問に答えない(と思える)姿勢に対して
裁判員が「むかつくんですよね」と発言して
裁判官に制止された、という報道を目にしました。


裁判員制度は
司法の世界に一般市民の感覚を取り入れる
という意図で導入されています。

このような「むかつくんですよね」も
その意図の範囲内と受けとめるべきなんでしょうか。
犯罪者であることが濃厚な被告は
裁判員から「むかつかれて」も良いのでしょうか。


なんだか、ひっかかります。


被害者が「犯人に、むかつく」(どころではすまないことが多いですが)
ことは、ごく普通の、市民感情だと思います。

けれども、何の利害もない裁判員が
「むかつく」という現象には
陥ってはいけない心理があるように思えます。
ましてや、有罪確定前の被告に対してなら、なおさら。


裁判員という「強さ」と「無関係性」が絡んだ立場だからこそ
「むかつき」の感情を自分に許容することは容易なことであり
だからこそ、自分を戒めねばならないことだと思います。

強さと無関係性(第三者性)が絡む時
その視点は、マスメディアの報道姿勢に極めて近似しやすくなります。
それは、野次馬感覚にすぎません。

もし、自分にそれを許せば
市民感覚とは野次馬感覚と同次元になってしまいます。

しかし、市民の感覚で人を裁く、ということは
このような次元でなされるべきことでは
もちろんありえないでしょう。

信じるべき市民感覚があるとすれば、それは
できうる限りの情報を理解した上で
自分の生活感覚の中で熟考した時になされる判断
というものだと思います。

それは、決して
その時、その場で生起した「自然な」感覚という名の
「野次馬感覚」、または「上から目線の感覚」ではないはずです。


その後の記者会見では
「むかつくんです」発言をした裁判員の方は
一時的に感情的になっていたことを認め
裁判官に制止されて良かったと発言していました。


この会見と報道がなされたことは
裁判員制度にとっての、社会的な省察の機会であり
本当に良かったと感じました。
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