発創アリ。

2017 06
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感性ってなんだろう。

昨日のロジカル論?の続編。
ロジカルと、その反対の感性、情緒の関係についてです。


言葉とは、意味的な区分を主機能としているのだから
言葉を使う人間は、ロジカルにならざるをえない。
なぜなら、ロジカルの主機能も区分にあるから。


のようなことを昨日、書きました。
例によって、わかったようで、わからない文章というか
わからないようで、わかった風にも読める文章というか。。。


わかりきったことなら
わざわざ書きませんから
自分に問いかけながら書いてます。
基本姿勢は、自分に閉じず
内省しながら開く、です。


さて、というわけで、ロジカルにならざるをえない
という考え方は、わざわざロジカルシンキングなる講座を
受講される方には、なんとも受け入れがたい主張です。

そんなんだったら苦労しない。
努力しなくてもロジカルになれるなんて、と。


この、もっともな矛盾をどうしようかと
あれこれ考えています。


ロジカルであるはずの言葉を使いながら
何を言ってるのかよくわからない、非ロジカルな人は
感性とか情緒とかの意味を取り違え
その感性に邪魔されている。


と、考えてみました。


感じたままを伝えるのが大切なことで
それを言葉にのせれば伝わるはず。
そんな前提でコミュニケーションすると
わけがわからない喋りになってしまいます。


感じたありのまま=感性、情緒


では、ないはずです。
なぜなら、そこには
自分勝手な論理が紛れ込んでますから。


言葉を使う以上、人はロジカルですから
自分勝手な論理を抜きに「感じる」なんてことは
実は至難の業だと思います。

論理、しかも狭い意味での論理のフィルターを通した「感性」を
伝えるべき価値のある、瑞々しいもの、と捉えると
単なる自己中な人、わけわからない話してる人、になります。


というわけで、まず鍛えるべきは
自分の勝手な論理、要するに思い込みを自覚して
あれこれ論を展開するまえに、脱力して感じること
そのための、感性トレーニングをすること
だと思います。


とりあえず、今、自分が何をしているのか?
を感じ取る練習してみると
どれくらい自分の「感性」が「勝手な論理」に邪魔されてるか
よくわかります。


多くの場合
何かしながら、他の何かを考えていて
その瞬間に没入していることは稀です。

感性とは没入から生まれるはずです。
だったら、没入できていない今、感じていることが
伝えるべき価値あること、である保証はどこにもなく
勝手な思い入れに過ぎない可能性の方がずっと高い
ということになります。


ロジカルであるはずの人間が
ロジカルを学ばなければならない理由は
自分勝手な論理を感性と錯覚し
その感性を伝えるべきこと、と錯覚してしまうから。
今日のところは、そう考えています。


要するに
自分勝手な論理を自覚することが
感じること、考えること、伝えることの前提にある
と言えそうです。
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