発創アリ。

2017 07
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自分センサーの取り説。



私たちは
自分でも把握しきれないくらい繊細で敏感な
体感、察知能力を持っています。

自分センサーとでも呼びましょう。


勘が当たるという現象は


無意識のうちに知覚していた様々で膨大な情報が
ふとしたきっかけで、一挙に意味を持ってつながり
ひとつの予測として像を結ぶ


というメカニズムで説明できることが
多々あるようです。


それは完全なる予知ではなく
むしろ高度な分析にもとづく予測。
自分センサーによる情報収集に支えられています。


そういう能力は
誰にでも、すでに備わっているはず。


けれども
私たちの「知識」がその能力の発揮を邪魔します。


知識を学び始めると
あらゆることが、知識なしには解釈不能のように思えてきて
知識のないことについては、思考停止するか
専門家の意見を鵜呑みにします。

また、知識のあることに関しては
自分の感覚にフタをして、知識によって解釈しようとします。


知識に合致しないことは知覚せず
知識に合致することは、過大評価する。


私たちは、まず第一に、もっと
自分センサーを信じ、使うべきではないでしょうか。


知識は
自分センサーによってもたらされた
生々しい情報によって生み出されたり、検証されるべきものです。


知識と自分センサーの関係が逆転したとき
私たちは、「自分であること」を他者に明け渡し
知識の切り貼り細工のような、不毛な対話しかできなくなります。

自分センサーを使いこなしつつも
他者の自分センサーによって変わることを恐れず。


自分センサーの
取り扱い注意事項です。
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