発創アリ。

2017 04
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コスプレ日常。



秋葉原やビッグサイトに集う異形の集団。
アニメの登場人物になりきった服装とポーズで
お互いに写真を撮りあったり、同人誌を販売したり。


その行為はコスチュームプレイ、コスプレ
その行為者はコスプレイヤーと呼ばれます。


オタクの中の一形態として
「大人の常識的な価値観」からは、若者達の「特異な趣味」
という目で見られることも少なくありません。


しかし、眉をひそめるような目線をコスプレに向ける
その当事者、「常識的な大人」の日常が
コスプレにまみれていることをどれだけ自覚しているでしょうか?


常識的な大人は
会社に、きっちりとスーツとネクタイを着こなし
冠婚葬祭では黒い礼服に身を包みます。


それらの服装には
何の機能的根拠もなく
社会的な「お約束」だけがあります。


もし、知的生産性をあげたい、身体能力を発揮したいと願うなら
スーツ、ネクタイ、革靴など、マイナス要因でしかありません。


私たちは、西洋から輸入した
「ジェントルマンな常識」という物語に身を委ね
その登場人物になりきった服装をしているにすぎません。

こういった服装が輸入された当初は
「あこがれ」や「なりきり」といった「自覚」もあったはずですが
今では、誰も「なぜその服装をしているのか」を自覚していないでしょう。

秋葉原に集うコスプレイヤーには
登場人物に対する「あこがれ」や
その服装をすることへの「自覚的な理由」があります。


その意味で
「常識的な大人」よりも「秋葉原のコスプレイヤー」の方が
はるかに精神的に自律しているとも言えるでしょう。


私たちの日常は、そして常識は
あまりに強固に「自動化」しています。
油断すると、あらゆるものが、疑う余地のない「所与のもの」になります。


しかし実態は、いずれも明確な根拠など持ち得ない
私たちの「お約束」にすぎないと思えます。


コスプレイヤーを見て眉をひそめる「大人」を見ながら
動物園のおりの中にいる動物に笑われる人間の姿を連想しました。


はたして、どっちが囚われているのかと。



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 出来事・日記 コメント(2)
コメント
--確かに--

お久しぶりです。
マナー以上の過剰な服装統一は不思議なものかもしれませんね。皆と同じ鎧をきていると安心するという心理の表れの気もします。。
by: 姫。 * 2009/04/21 08:32 * URL [ 編集] | page top↑
----

姫さん、ようこそ。
同じであることの安心感は、こういう時代だと以前にも増して
求められるのでしょう。
一方で、同じであることのリスクは、以前よりはるかに
高まっているようにも思えます。
鎧は身体を守りはしますが、精神にはさほど効果的ではなく
不安定から生み出すしなやかさこそが必要だと考えています。
by: 冨永 * 2009/04/21 12:09 * URL [ 編集] | page top↑
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