発創アリ。

2017 06
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饒舌と沈黙の間。


会議で饒舌な人と沈黙がちな人がいます。
そこには人柄の違いだけではなく
思惑の違いがあります。

現象を人柄の違いに帰結させるとき
会議は不毛な対立の場になります。

動かしがたい人柄ではなく
環境と相互作用した結果としての思惑に帰結させるなら
会議は濃密な対話の場として生まれ変わるはずです。



思惑。やや大げさに言い換えると戦略。


誰しも何かを得たり、守ったりするために
自分の口を開くのか、閉ざすのかを決めています。


饒舌な人は、沈黙の人は
何を得ようとしているのか。
何を失うまいとしているのか。


それが明らかになったとき
より建設的な「交換」や「取引」や「妥協」や
さらには「創造」が生まれるでしょう。

これらのことが明らかになっていないままに進行する会議は
明らかになっている会議よりも遥かに多くあります。

公然と明らかにすることを嫌い
あいまいな言葉や無言で、腹の内を探り合うことは
交渉能力のひとつと言えるでしょう。


腹の内を探り合うことを
大人社会の嗜みのように扱う考え方がありますが
それは、自分達がやってきてしまったことを
動かしがたい、解決困難なものとして
正当化しているだけのようにも見えます。

「腹芸」など
使わないにこしたことはないはずです。
そのチカラを前に進むエネルギーに変えることをこそ
考えるべきでしょう。



多くの場合、明らかにされていないことは
もしくは、明らかにされるのを嫌われることは

自尊心、面子、羞恥心

といった
主題とは無関係な、しかし結論を大きく左右する
したがって、とても幼稚な感情です。

幼稚だからといって切り捨てるわけにもいきません。
誰にもある感情ですから。



自分の意見の「本当の論拠」が明らかにされないまま
対話をすることほど不毛なことはありません。

この感情から自由になれる環境を提供することでこそ
主題と直結した思惑、戦略がぶつかりあう
本来の対話が生み出されるはずです。

この感情を押し込めつつ対話するとき
「腹芸」が必要になります。


今、自分たちがしている対話が
幼稚な感情を脱した建設的な思惑を持った次元でのものか
それとも、面子や羞恥心を守らんがための不毛なものか

その見極めと、解決するための対話環境の変更は
目を向けられることの少ない根治療法です。


饒舌も沈黙も、同じように
「何も語っていない」ということが
実は、多いようです。
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