発創アリ。

2017 04
03 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 → 05
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
槍玉と阿りの間。


槍玉【やりだま】
人を槍の穂先にかけて突き刺すこと。
非難攻撃の対象にすること。


阿る【おもねる】
へつらうこと。追従すること。
機嫌をとって気に入られようとすること。



不安定な状況の中に
希望を見出せなくなると
このような態度が表出しやすくなります。


槍玉にあげるとは
自らの思考の正当性を棚上げした態度
または、そこを突かれたくないが故の攻撃性であり

阿るとは
自らの進む道を探求することを放棄し
他者の影響力の中に身をゆだねることです。



不安要素を排除し
自分の安定度を増したいという欲求によるのでしょう。

現在のような不安定な世情においては
「槍玉」と「阿り」は強い磁力を持ちます。


しかし、いずれの態度によっても状況は改善しえず
むしろ、柔軟性の喪失を経由して
不安定さの増幅へと辿り着くように思えます。



強力な磁力を持つ
このふたつの態度の間に立ち、前へ進むには



不安と正対し
何が起きているのかを理解し
希望と可能性を高める道を生み出すこと。


内省と探求
と言えるでしょうか。


そこでの他者は
槍玉や阿りの対象ではなく


対話を通じて自己撞着を回避し
思考の開放性を維持してくれる
触発源ということになるでしょうか。


槍玉と阿りの間にある道を
見失いたくない。。。


古代ローマ皇帝
マルクス・アウレリウスの「自省録」を読み返しながら
そんなことを思っていました。
スポンサーサイト
 出来事・日記 コメント(0)
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://eupsychia.blog75.fc2.com/tb.php/623-7eb526f3
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。