発創アリ。

2017 10
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拙速な触発。



「議論」や「話し合い」は
「積極的」でなければならないとは
限らないだろう、ということを考えています。


活性化した話し合いでは
ひとりで考えているときにはない
思考回路が作動します。


お互いの発言に
触発されるからです。


自分の思考と違うパターンの思考に触れることで
その「違い」や「距離」を埋めるべく
普段とちがう方向へ思考するからです。


これが
話し合うことの最大の効用なのですが
この効用が常に「正」に作用するわけではなく
「負」にも同じくらいの割合で作用することを
忘れてはならないと思います。


ポンポン「積極的」に言葉をやりとりすれば
それだけ思考が活性化して
普段とは違うアイディアが生まれやすい。。。

ですが

普段と違うことは
普段より優れていることを
必ずしも意味しないわけです。


売り言葉に買い言葉的に、いらぬ対立を生んだり
ありえない空想に飛んでいったり
カドがとれたお利巧な話になったり



おかしな表現になりますが
これらの「優れていない話し合い」は
「言葉を発するが故に」生まれるわけです。


相手の言葉は
自分の思考の触発源だからです。



お互いの考えを伝え合った後に
お互いの考えを、じっと「眺めあう」だけの時間
議論も質問もしない、なにも発言しない時間
を持つということで


「拙速な触発」を避けられる


と考えています。
ただただ眺めるだけ
その間に、お互いの間にある違いと距離が見え
そこから、ゆったりと立ち上ってくる思考の中にこそ
「触発の果実」があるはずです。



「議論」という言葉からは
「言葉で埋め尽くされた時間」というイメージが浮かびがちで
実際、やり込められないように、行き詰まらないように
言葉を発するという姿勢は、よく見られます。


この「議論」の捉え方だけでは
「拙速な、負の触発」が生れてしまいます。


議論とは
意欲を持ち過ぎると
壊れてしまう

とも言えるかもしれません。



ファシリテーター
冨永良史
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