発創アリ。

2017 05
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田母神俊雄が問う。



「離任式もできなくて
 わたしは最後にそんなに悪いことをしたのか」



田母神俊雄 前航空幕僚長は
問いかけました。


田母神氏の論文
「日本は侵略国家だったのか」が
幕僚長の暴走として糾弾されています。


学校で歴史を勉強していて
僕が、ずっと疑問に思っていたことと関係している気がして
何度か彼の論文を読み返してみました。


「もし日本が侵略国家であったというのならば
 当時の列強といわれる国で
 侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。」



この一文。
僕が高校の時からひっかかっていた疑問と同じなんです。


戦争して、ひどい目にあわせたら
謝らなきゃいけないのはわかるけど
何で、日本ばっかり謝るんだろう?

アメリカに移民した人たちは
インディアンに謝らなくていいのだろうか?
移民にとってのフロンティアは
ネイティブアメリカンにとっては
かけがえのない暮らしの場だったのに。。。


スペインやポルトガルの人たちは
マヤやインカやアステカの人たちに
謝らなくてもいいのだろうか?


オーストラリアのアボリジニには
謝らなくてもいいのだろうか?


不自然に直線的な国境線でズタズタに分断された挙句
内戦ばかり繰り返すハメになったアフリカの人たちに
謝らなくていいのだろうか?


イチャモンのような戦争をきっかけに
植民地にされた中国やインドの人たちに
謝らなくていいのだろうか?



ずっと不思議に思っています。

欧米の国々が現代の文明を引っ張ってきたのは確かですが
サミットとかで、かの国々のトップ達が誇りに満ちた表情で
威風堂々と会話しているのを見ると
少なからず違和感を持ちます。



田母神氏の問いかけは
幕僚長としては、不適切だったかもしれません。

が、しかし
あらゆる価値が相対化し
国と国、民族と民族が、その近接性を増している現在において
どうしても問い直さなければならない
「腫れ物のような問い」ではないでしょうか。


平和な世の中に見えても
それでもやはり、国のため、家族のために
命を賭け、人の命をうばう場所に立つ使命を持つ人がいます。
誇りを持たずして、卑屈になっていては、そんな行為はできません。
誇りの源を問い直さなければなりません。


世界中が緊密につながってきたからこそ
お互いがどのような歴史のもとに、今の関係を築いているのかを
知り合う必要が出てきています。
殺戮の歴史にフタをして向きあうのは都合がよすぎるでしょう。
今を生きる僕たちに罪はないけれど
その歴史の上に生かされているのは確かですから。



田母神氏を糾弾するばかりでは
何も生まれないように思います。


命を賭してもいい誇りの源とは?
他の国々の人々とわかりあえる誇りの持ち方とは?


置き去りにされてほしくない問いです。



ファシリテーター
冨永良史
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