発創アリ。

2017 09
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不足と共有。過剰と分散。



今日の日経新聞によれば
カーシェアリングが徐々に広がっているそうです。


複数の世帯が
1台の車をシェアして
使った分だけ費用を負担するというシステムです。


石油高騰による家計圧迫
それに、環境負荷低減が加わって
浸透を後押ししているようです。


不足が共有を促す
という構図が読み取れます。


資源の不足
家計の不足



車の共有

を促しています。


資源に頓着せず
好景気だった時代(つい最近です)


車は一家に一台ではなく
ひとりに一台を珍しくありませんでした。
今でも田舎の車社会では、そういう状態ですが。。


つまり
過剰が分散を促す
という構図でした。



過剰による分散から
不足による共有へ

社会の舵は徐々に切られているように見えます。


そういう時代において
大切なことは


モノの共有だけでなく
マインドの共有が進まなければならない
ということです。


いったん大きく分散化に振れた針を
共有に振り戻すとき

個別生活に慣れたマインドを
他人と一緒に営むというパブリックなマインドに
振り戻さないといけないでしょう。



単なるモノの共有だけで
マインドは分散化したまま
個別生活のままであるとき

共有はリスクになります。


共有するということは
エラーの波及効果が大きいということでもあります。


ひとりのエラーが
それを共有する全員に被害をもたらします。


昨日起きた個室ビデオ店の大参事は
単なるモノ(スペース)の共有だけしかなかったところに
生じたエラーの波及だと受けとめています。


長屋の火事は
パブリックなマインドを共有する住民の協力で
消し止められますが

個室ビデオの火事は
誰も協力することなく
多くの人の命を失いました。


モノの共有と
マインドの共有。

不足する時代に
過剰の時代の後遺症が
現われています。



ファシリテーター
冨永良史
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