発創アリ。

2017 05
04 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 → 06
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
祈りと願いと要求と。



たったひとりで生きるのではなく
誰かと一緒に生きている以上は
相手に何かを求めあうことがどうしても必要です。


話しあいとは
お互いの欲求が交差し融けあい、時に衝突する場
とも言えます。


その話しあいがうまくいかない理由のひとつに
欲求の時間軸というか、欲求実現の期限が
あまりに短期に設定されている者同士の話しあいになっている
ということがあると思います。


「●●をスグにでも実現したい」


と思っている人同士が話しあえば
●●の内容が少しでも違っていれば
話しあいがまとまることは非常に難しくなります。


お互いに
自分の欲求の締切期限に自覚的で柔軟であることは
深い話しあいを実現するための
ひとつのポイントかもしれません。


「欲求、何かを望むこと」をあらわす単語にも
いくつかあります。例えば。。。


祈り・・・神仏に請い願う
願う・・・望みがかなうように請い求める。望み求める
要求・・・必要または当然なこととして相手に強く求める
命令・・・上位の者が下位の者に対して、あることを行うように言いつける


それぞれ厳密に区分されるものではなく
意味が重なり合っています。


それでも、あえて意味を区別するとしたら

「祈り」は、自分の力を超越した、力の及ばない相手を想定して
欲求の実現を「託して」います。
欲求実現の期限は、相手次第のようなところがあります。


「願い」は、少し積極的になって
相手に働きかけ、相手の行動に影響を与えようとしています。
実現の期限がやや鮮明になります。


「要求」は、かなり積極的というか威圧的。
相手の行動が変わることを前提しています。


「命令」は、もはや相手は自分の一部です。
即時の欲求実現が当然のこととされています。




これら
相手に対する欲求の持ち方を
柔軟にコントロールすることで


話しあいは
深く、豊になっていくのだと思いますし


やはり、欲求の持ち方の基本は

自分にはどうにもできないものとしての相手を認め「祈る」

ということではないかと感じる今日この頃です。



ファシリテーター
冨永良史



↓皆様からの応援クリックを祈っております。
にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ
スポンサーサイト
 出来事・日記 コメント(2)
コメント
--祈り。--

「祈り」って、相手を尊重することも意味してたんですね。
相変わらず、深い気付きをいただきました。

最近「願い」が多くなり過ぎてたこと、
謙虚になろうと思いましたv-46
by: みお。 * 2008/03/04 22:47 * URL [ 編集] | page top↑
----

みおさん、ようこそ。
相手にたいして自分がいかに「無力」であるか
という自覚とともに
自分自身にたいして自分がいかに「有力」であるか
という自覚は、とても大切だなと感じる
今日この頃です。
by: 冨永 * 2008/03/04 23:56 * URL [ 編集] | page top↑
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://eupsychia.blog75.fc2.com/tb.php/500-e29259f4
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。