発創アリ。

2017 08
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分断と回復。



相手の言うことを
じ~っと聴いていると



「あぁ、こんなにも現実の見え方って
 違うんだなぁ」


と思わされます。


「賑やか」と見るか「うるさい」と見るか
「たくさん」と見るか「閑散」と見るか
「美しい」と見るか「冷たい」と見るか



経験、価値観によって
人は、同じ現象を前にしても
それぞれ、違った言葉をあてがいます。



民族が違えばなおさらです。
「現実を言葉で表現する」という点では同じでも
表現された結果はまったく違ってきます。
それは通訳をしても解決されない差異です。



言葉は
現実を切り取る(理解・表現する)手段であると同時に
僕達を分断し、対立・疎外へと導く斧でもあります。


言葉は差異の源ですから。



だからと言って
言葉が悪いと言うわけではなく
言葉によって適切に現実を切り取ってきたがゆえに
僕達の進歩があったわけですが。。。



その進歩の背景には
対話があったことを忘れるわけにはいきません。



言葉は
個々人の現実のとらえ方に
大きな差異を生み出してきましたが


その差異を活かして
より高度な現実へと昇華してきた方法が


対話だったはずだからです。



言葉は僕達と世界を分断しますが
対話は世界の「失われた全体性」を回復するものだと
そう思っています。




ファシリテーター
冨永良史


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