発創アリ。

2017 06
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主張、まとまる、そして使命感。



自分の伝えたいことを
わかりやすく説得力を持って
主張することと



相手の伝えたいことを
相手の目線から見る画像が浮かぶかのように
受けとめることは



納得感ある
高度な結論を出す話し合いのメンバーに
どうしても求められる能力です。



難しいのは



一方で主張しつつ
他方で自分の主張を棚上げして
相手の考えを受け入れなければならないこと

さらに

どの意見をも相対化した上で
よりよい意見を「創造」する力が必要であることです。



主張ばかりでは
場が壊れます
自分がスピンアウトしてしまいます。


聴くばかりでは
場に呑みこまれます。
多様性が生み出す次の一歩が期待できません。


両立することで
誰もが主張しながら場がまとまっていく
という素敵な時間がやってきます。



僕達が
「主張」と「まとまる」を
別々の相容れないものと捉えてしまった時
話し合いは「儀式」へと堕してしまいます。



アンビバレントではなく
高度ではあるけれど両立可能な能力である
ととらえ、それを意図的に磨いていくことが
今、誰にとっても必要だろうと思っています。



この思いの発端は

『教育再生会議が最終報告』

という新聞記事でした。



その文中に、こうありました。


「『報告書は事務局ではなく
 数人の委員が責任を持って執筆すべきだ』
 と主張したものの、多忙な委員に引き受けてはなく
 『文科省に毒気を抜かれた」提言ばかりになった」


提言内容を読みましたが
確かに、1年以上の間、「有識者」が集まって
どんな話し合いをしていたのだろう?

と疑問をもってしまうような
総花的で、展望が見えない提言でした。



想像ですが、この有識者のみなさんには
「主張する力」は強くても「まとまる力」が
なかったのではないか。

よくある現象です。


こんな時、何が起きるかと言うと
さいごのとりまとめを担当する「事務局、事務方」
と呼ばれる「官僚」が驚異の力を発揮するんです。



これは
日本中、どこでも、どんなレベルでも
容易に見られる現象ではないでしょうか。


誰もが
自分の言いたいことを言い
専門家の意見に右往左往し

最後は「きれいにまとめてくれる人」に
頼ってしまう。


それを今まで僕達は
「話し合い」と呼んできたわけです。


それは違うはずです。
本来、それは話し合いじゃない。
少なくとも、今まさに突入している
「知識社会」における話し合いではないでしょう。



僕達は
「まとめる」ことを人頼みにせず
自ら主張し、みずから「まとまる」ことができる話し合い
をこそ目指さなければならないだろうと思っています。



そうなれば
ファシリテーターという専門職は
限りなく需要がゼロに近くなり
僕は職を変えなければならないわけですが


一方で


あらゆる職業は
いま現在の自分の存続を目指してしまったときに
使命を見失い

自分の消去を目指したときにこそ
使命感を発揮できるのではないかと
そんなことを感じます。



ファシリテーター
冨永良史


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