発創アリ。

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原因と結果を無理やりつなげる。



インターネット上のニュースや新聞の見出しは
ほんの僅かな文字数で事象のすべてを端的に表す
というレベルの高い言語運用能力が必要だと思います。




ものすごくひどい見出しが氾濫しています。
「原因と結果を無理やりつなげる」ことで注意を惹く
という方法が当たり前のように使われてます。


例えば


隊員寝坊で搬送遅れ 男性死亡



寝坊したことと男性が死亡したことが
因果関係で結ばれていますが
記事を読むと、その間に直接の因果関係があったことは
確認されていません。



こういうの
毎日、毎日、あちこちのマスコミから
垂れ流し発信されてます。



まだ食べられる食品の賞味期限を偽るのと
どっちがより悪質な「偽装」なのかなぁと思います。


チラホラ言われているように
賞味期限の偽装で「お腹をこわした人はいない」わけですから。



原因と結果の無理やり結びつけは
あまりに日常的に行なわれるがゆえに
僕達の脳みそもそれに慣れてしまって


あらゆる話し合いの場で

因果関係と相関関係の混乱やら(これはまだマシですが)
原因と結果の逆転やら
無関係の事象を、個人の価値観で因果で結んだり

当たり前のように起こっています。



議論のプロフェッショナルであるはずの
国会、県議会、市議会でも普通の光景です。




賞味期限切れの食品を食べて
お腹をこわすくらい

これと比べれば
社会に対する影響は
かわいいもんだと思えます。




メディアに曇らされた脳みそのレンズは
常に磨いておかないと
まったく違う光景が見えてしまいそうです。



ところで
メディアの発信する因果が混乱した情報と
僕達の話し合いの場で生じる因果の混乱は
因果関係で結べるのでしょうか。。。



そこには
根深い相互依存、相乗効果の関係が
ありそうに思えます。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(2)
コメント
--知恵縄が好きでしょう。--

昨日と今日の内容を全部理解しようと
何度も何度も読み返しました。

最近特に公的機関とメディアに矛先を向けているように
感じますが?

>原因と結果の逆転やら無関係の事象を、
>個人の価値観で因果で結んだり

これは昭和初期なら「そうだ!そうだ!」とか言って
誤認逮捕してたところが、日本人(福井のスプリンター初め)
がしっかり監視し始めたという進歩じゃないでしょうか。
陪審員制度が始まるまでには
全員が正しく判断できますように。

メディアの発信と個人の因果との相乗効果は
もちろんありますね。芸能ネタから為替まで。

でも、「知性融合のマインドセットスキル」は
あまりにも難しい。。。
小学生の私に分かるように易しくお話してください。
ペコ。



by: はるか * 2007/12/22 23:31 * URL [ 編集] | page top↑
----

はるかさん、ようこそ。

何度も何度も読み返していただいたなんて。。。
貴重なお時間を使わせてしまい、申し訳ございません。

「矛先」だなんて、めっそうもないです。
すべての対象に可能性を認めて
「温かい視線」を送ってますよ(笑)

僕の最大の関心事は
「正しさの源は何か?」
「確信はどうやって成立するのか?」
ということです。

個人の中の正しさ、確信もそうですが
何より、集団の中での正しさ、確信が
感心の中心です。

そういうことに大きな影響力を持つであろう
公的機関やマスメディアの言動とその結果は
とても興味深く受けとめ、考えるきっかけにしています。

両者は、正しさを制約できたり、誘導できたりするので。
であれば、より創造的、開放的に正しさを考えるきっかけを
提供できる立場にもあるとうことなので
可能性に満ちた温かい目線を送っているわけです。

会議屋という立場から言うと
大きな影響力を持って『決めつけ』たり『誘導』したりすると
その会議は不毛なものになるわけで

そういうことが世の中でも起きないように
誰もが深く納得できるような「正しさ、確信」が産まれるような
そんな公共、そんなマスメディアであった欲しいと願ってます。

知性融合って言ったのは
ちょっと文脈を端折ってしまいましたね。

知性って、正しさを求めれば求めるほど
細分化して、排他性をもってくるように思うので

金槌を持つ人には、すべての出っ張りが釘に見える

とか言いますけど。。。


そういう方向の知性ではなく
世の中には釘も、板も、瓦もあるわけですから
オレは金槌だ、オレはカンナだ、ワタシはドリルよ
なんて専門性をぶつけ合うのではなく

用途の違いを認め合って家を作るチームになるような
そんな考え方が必要だろうということです。
要するに「共生」ですね。

深い対話の方法について考察した本に
「ダイアローグ」(デヴィッド・ボーム著)
がありますが

このボームさんが、文学者でも心理学者でもなく
卓越した物理学者であることが
知性と共生の間にある、困難な断層を象徴しているようにも
思えます。

最後まで理解しあうことのなかった
史上に類をみない大物理学者、アインシュタインとボーア。
そのことを痛ましく受けとめたボームさんが
「対話」の必要性を語っている
とても優しい気持ちにさせてくれる本ですよ。

あ、本の紹介になっちゃった。。。


裁判員制度については
とても大事で、とても気になる話題なので
またそのうち書くと思います。


またまた時間をとらせてしまって、すいません。
ペコ。

by: 冨永 * 2007/12/23 12:56 * URL [ 編集] | page top↑
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