発創アリ。

2017 07
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話し合えない。


国会の様子がニュースで放映されています。
主人公は違えど、いつもの様子です。
そして、いつも思うことがあります。

この人たちは、話し合えないのか?
対立をより良いアイディアへと昇華する気はないのか?

これは国会に限ったことではありません。
おそらく、日本中の「話し合い」の場で
これとなんら変らないことが起きているのではないでしょうか。

話し合うとは
まず、お互いの意見を聴き、理解し合うこと。
次に、何が同じで、何が違うのかを整理すること。
さらに、話し合いを通じて実現すべきこと
または、究極の理想を共有した上で
違いの源を見極め、どのように解消するか
アイディアを出し合うこと。
出てきたアイディアは、相対化し
納得度と現実度の高い結論へと収斂させていくこと。

国会を、そして身近なあらゆる会議を思い返すと
まず、第一段階の「聴く」というところでつまづいています。
聴いてないのに、合意なんてできるはずがない。

こんなときに出される結論は

話し合った末に、多数決で、提案がそのまま決定へ
とか
お互いの主張を取り入れて、あれもこれもあり
とか
過度に抽象的にして、対立点をなくしてしまう

みたいなものになります。
そして、さらに困ったことに
これらの結論は、話し合いの当事者ではなく

巷に言うところの「事務局」「事務サイド」で
きれいな文章に「取りまとめ」られるのです。

いったい、話し合いの場で
何をしようとしているのでしょう。
これではまるで「儀式」です。

最初から結論は決まっている
または
結論の創造度というか、新しさには
限界があらかじめ設定されている
ようなものです。

お互いに考えを交換し合い
脳みそを混ぜ返すような議論から生まれる
創造性に対して
何の可能性も見出していない。

彼らが考えているのは
いかに自分の考えを通すか
であって

より良い考えを生み出す

ということを信じていない。
ならば、話し合いなんてしないでいいじゃないですか。
ひとりで決めて、独裁すればいいじゃないですか。


話し合いを成り立たせるメンタリティーとは
どんなものか

それはなぜ、失われているのか
または、もともとないのか

重要なテーマです。







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