発創アリ。

2017 06
05 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 → 07
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
学ぶということ。
学ぶということは
実践への動機を手に入れると同義であるべきです。

確かに「教養」に類する学びは直接実践には結びつかないように見えます。実践は「実学」の中においてのみ成り立つように見えます。

狭い意味においてはそうです。
もう少し「実践」を広くとらえ
実践=自らを動機付けて行動する
とするなら

あらゆる学びは、実践に結びつくべきです。

知ったら終わり、は学びではない。
「私は~を知っています」は学んだことにならない。

何かを学んだなら
その影響のもとで
自ら動機付けられて行動する範疇が広がらなければならない。

たとえ文学のような行動との連関性が低いものであっても
自ら思索する(できる)範疇が広がってこその学び
思索が広がった結果、行動が変容してこその学び
だと思う。

自分の反省も含めてだが
「知ったら終わり。私は~を知っている」式の学びが
多すぎないか。世の中にあふれていないか。

つまるところ
「伝えたら終わり。脳みそに詰め込んだら終わり」式の「教え」が
多すぎないか。
何の実践ももたらさない、行動変容ももたらさない「教え」があふれていないか。

教えとは、学びとは、どうあるべきか。
学校教育も、社会人教育も、無反省にすぎたのではないか。


学ぶとは
学んだこと(の応用)を現実の中で実践する動機
を手に入れること。

学ぶとは
知った、ではなく
さらには、できるようになった、ですらなく
知ったことが、できるようになったことが
やりたくなる、やるべきだと感じる
ようになることである。


学ぶ側も、教える側も
そういう意識を持たなければならない。



スポンサーサイト
 未分類 コメント(0)
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://eupsychia.blog75.fc2.com/tb.php/11-0db96289
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。