発創アリ。

2009 06
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他問自答。



答えにあふれる社会です。


ビジネス書コーナーには「~しなさい」という命令系の本が並び
とってもマゾヒスティクな気分になれます。


答えがいくつもあって悩ましいうちは幸せです。
答えが外からやってくることに慣れてしまうことは悲劇です。


私たちの行動が「答え」によって導かれるのではなく
本質的には「問い=疑問」によって導かれるのだということを
忘れてはならないと思います。


何かを得たいと思い
それはどうすれば得られるのか、近づけるのか
と、心底、問うとき、私たちは行動へと動機づけられるはずです。


Aを手にするにはBをすれば良い
というような「答え」によって導かれる行動には
持続性にも深みにも近づき得ないでしょう。


なぜなら、「私はAを欲する」「そもそもAを欲するのはなぜか?」
という問いが不問のものとして保留されたまま
Bという答えが与えられているからです。


実は、学校で習うことの他には、つまり実社会では
答えなんて「なんとでも言える」ことが多数派であって
答えを探すことよりも、切実なる問いを探すことの方が
はるかに大切だということを忘れてはならないと思います。


問いを立てるための簡単なトレーニングがあります。


すごい人の講演会などで質疑応答の時間があります。
その人が本当にすごい人であればあるほど
人の心に問いを育む力があります。


この人は、なぜ○○なんだろう?
どうやって、○○してるんだろう?


その答えを、その偉い人に伺うことも役に立ちますが
その問いを、自分自身に向けることはもっと役に立ちます。


もし、自分がその人のような成果を得ることがあるとして
それは、何によってもたらされるのだろう?


偉い人のすごい話によってもたらされた
素朴で深い問いを、自分に向けてみるとき
自分が何を欲し、どう行動したいと願っているのかを
探すことができます。


この思考過程は、自分ひとりではなかなか実現し得ないものです。
問いとは、本来、自分の理解できない他者に向けられるものですから。



他者をきっかけとして得られた問いを自分に向ける。
他問自答。


問いは世の中を切り取り、自分を切開するための
顕微鏡でありナイフでもあると思います。



そう言えば、ビジネス書の中には
安易に答えを得ようとする風潮へのアンチとして

自分で考えなさい系
答えを求めてはいけない系

の本もチラチラ見受けられます。


これはつまり

「私の本を読んではいけない」

ということを意味しているわけですが
であれば、この人は、何がしたいのでしょうか(笑)



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共鳴するプレゼン。


プレゼンテーションにおいて
パワーポイントやキーノートのスライドを使用するのが
当たり前のようになっています。


まるで映画の予告編のような
こんなことができるのかぁ~
と思わされるもの凄いスライドでも
難なくできてしまうようです。


僕たちは、とてつもないツールを手にする一方で
実は忘れがちになっていることがあるように思います。


プレゼンとは何でしょうか?


自分の思いを「伝える」ことでしょうか?


もしそうなら、伝えるべきことは
確固とした固定化された「情報」でしょうか?


受け取る側は、ひたすら受信する
受け身だけの存在でしょうか?


ツールが高度化するにつれて
プレゼンの受け手への理解が薄れていくように思います。
今、ここで生じる受け手との相互作用が失われていくように思います。



プレゼンとは


すでに完璧に準備された情報を
いかに正確にインパクトをもって伝えるか


ではなく



生々しい流動的な感情を持つ受け手を感じながら
それに応じて、どう伝えるかを、今、ここで判断し、語りかけ
その反応をまた自らの語りに取り込んでいく


そういうダイナミズムにあふれた場にできる
そういう可能性を持ったコミュニケーションだと思います。



作り込まれた情報を発信するのではなく
受け手の反応を感じ取りながら場を創っていく
共鳴の場を生み出していく


それこそがプレゼンの前に開かれた地平だと考えています。


素敵なパワーポイントスライドに見入る瞬間と
ひとりの人間の表情や声色を隅々まで感じる瞬間では

私たちは、どちらがより多くの刺激を受けているでしょうか。
どちらがより深く思考と感情を動かされるでしょうか。


手ぬぐいと扇子しか持たない落語家が
僕たちに見せてくれるリアルな世界を忘れてはいけないでしょう。



自分の思いを理解して欲しいとき
まずすべきは、自分の思いに対して、誰より詳しくなること。
次にすべきは、相手の思いを理解すること。

ここに高度なツールは必要なく
ただしなやかな思考と感性だけが必要です。

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ゲバラとアインシュタイン。




ゆがんだ現実に
鋼鉄の意思と気高い理想で立ち向かった
革命家、エルネスト・チェ・ゲバラ。


混沌の現実から
無限の好奇心と微粒子さえも見分ける目で
エレガントな論理を導きだした
物理学者、アルバート・アインシュタイン。



僕の部屋には二人の肖像が掲げてあります。
右を向けば、ゲバラ。
左を向けば、アインシュタイン。


二人の間を離してあるのは
際立つ個性の間に生まれるものにこそ
興味と可能性を感じているからです。


一人の天才によって成し遂げられることに
賛美と憧れをいだきつつ


違いを持つ複数の個性が
つながり、響きあい
その間に育まれる、力、可能性に
無限の夢を描いています。


「あいだ」に生まれるものを志向することこそが
僕がファシリテーターとして生きる意味です。


「あいだ」がつながる「場」を生み出したい。
響きあう「あいだ」を生み出したい。


いかにつながり、いかに響きあうか。
そこにはどんな可能性が宿るのか。


個人の内面に育まれるものとして捉えられがちな
「能力」というテーマにおいて
「あいだ」に生まれる力、を考え続けようと思っています。


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