発創アリ。

2009 04
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誰を休ませるか。


内定取り消し、採用削減
そして新入社員の自宅待機。


これから社会で活躍しようとした矢先に
出ばなをくじかれる若者が数多くいます。
すごろくで言えば、スタートしたらいきなり「1回休み」みたいなものです。


企業は、人件費という「コスト」を増やさず
これまで培った現場をオペレーションする「スキル」を維持するために
このような選択をするのでしょう。


この恐慌の時代に、この選択は
生き残りへの選択肢として、ごく自然な決断なのかもしれません。


ところで、企業社会では近頃「ピンチはチャンス」という言葉が
繰り返し繰り返し呪文のように唱えられています。


僕は、現場に広がる人の削減=「1回休み」が
とても大きなチャンスに化ける可能性を孕んでいるように見えます。

といっても、今のように
「若者を組織に迎え入れない」という方向には
活力減退のリスクの方が高いと感じます。


僕が可能性を感じるのは
「中堅以上を休ませる」という方向です。


どっちにしても、現場に人があまるのなら
若者を迎え入れないという選択ではなく

中堅以上をいったん休ませて
カチカチに固まってしまった思考スタイルを溶解させる時間を与え

現場の「重し」のようになっていたであろう彼らが不在の間に
先入観の少ない若者の目線で仕事を生まれ変わらせていく

もちろん、「1回休み」の中堅以上には
今後の生活への安心感を与えておくことは必須です。



こうすることで
企業の現場は、短期的にはカオスを経験しますが
その後、大きな活力、イノベーションを生じることができるのではないか
と考えています。


現場に人が余るとき、誰を休ませ、誰を活躍させるのか?


主力を休ませ
新戦力を投入する


ピンチをチャンスに変える
ひとつの選択肢であると思います。


そのとき
人件費は投資に変わり
現場を維持するスキルではなく
イノベーションするスキルが育まれるでしょうから。

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 発創する組織風土 コメント(0)
全裸で何が悪い。



酔っぱらって深夜の公園で全裸になり大騒ぎ。
駆けつけた警官に抵抗し、「全裸で何が悪い」。

彼が、「いい人」をイメージとした超人気タレントであったため
まるで連続殺人犯が逮捕されたかのようなニュースになり

彼が、あるキャンペーンのメインキャラクターであったため
その総責任者たる某大臣は、「最低の人間」と断罪。



深夜の公園で全裸で大騒ぎしたり
注意した警官に悪態をつくことは、良くないけれど
彼は、そんなにも悪いことをしたのでしょうか?


某大臣は、後に「最低の行為」と前言を撤回しましたが
彼は、そんなにも悪いことをしたのでしょうか?


彼の行為の「悪さの程度」を決めているのは
私たちが彼に求めているイメージとのギャップであることを
考える必要があると思います。

彼の行為が、絶対的な「最低行為」ではなく
私たちが彼に求める水準から、著しく逸脱したが故に
大きな代償を払うことになったことを考える必要があると思います。


酔って全裸になる人は
いくらでも、それこそ五万といます。

ある人は、「しかたない奴だな」と苦笑され
ある人は、「最低だ」と公然と断罪される。


それが、「公人」の宿命なのでしょうか?
僕は、あらゆる理想像を「公人」に背負わせる社会常識に
とても危ういものを感じます。


彼が悪いことをしたのは間違いないでしょうけれど。
僕たちの勝手な視点が、その「悪さ」の程度を決めていることを
決して忘れてはいけないはずです。


「理想的な公人」ばかりの社会が
どれだけ窮屈で、そもそも非現実的なものかは
少し想像したらわかります。

そんな社会で生きられる人はいませんし
そもそもそんなふうに生きられる人もいません。

陰と陽の危ういバランスの中で生きているのが
僕たちの現実のはずです。

まるで陽だけで生きていくのが良いことのような
そうすることが可能であるかのような

そんな非現実的な視点を
報道や大臣の無責任な言動から感じます。


全裸で何が悪い?


酔った末の暴言かもしれませんが
ちゃんと答えるには、とても深い思索が必要な問いだと思います。



 出来事・日記 コメント(2)
コスプレ日常。



秋葉原やビッグサイトに集う異形の集団。
アニメの登場人物になりきった服装とポーズで
お互いに写真を撮りあったり、同人誌を販売したり。


その行為はコスチュームプレイ、コスプレ
その行為者はコスプレイヤーと呼ばれます。


オタクの中の一形態として
「大人の常識的な価値観」からは、若者達の「特異な趣味」
という目で見られることも少なくありません。


しかし、眉をひそめるような目線をコスプレに向ける
その当事者、「常識的な大人」の日常が
コスプレにまみれていることをどれだけ自覚しているでしょうか?


常識的な大人は
会社に、きっちりとスーツとネクタイを着こなし
冠婚葬祭では黒い礼服に身を包みます。


それらの服装には
何の機能的根拠もなく
社会的な「お約束」だけがあります。


もし、知的生産性をあげたい、身体能力を発揮したいと願うなら
スーツ、ネクタイ、革靴など、マイナス要因でしかありません。


私たちは、西洋から輸入した
「ジェントルマンな常識」という物語に身を委ね
その登場人物になりきった服装をしているにすぎません。

こういった服装が輸入された当初は
「あこがれ」や「なりきり」といった「自覚」もあったはずですが
今では、誰も「なぜその服装をしているのか」を自覚していないでしょう。

秋葉原に集うコスプレイヤーには
登場人物に対する「あこがれ」や
その服装をすることへの「自覚的な理由」があります。


その意味で
「常識的な大人」よりも「秋葉原のコスプレイヤー」の方が
はるかに精神的に自律しているとも言えるでしょう。


私たちの日常は、そして常識は
あまりに強固に「自動化」しています。
油断すると、あらゆるものが、疑う余地のない「所与のもの」になります。


しかし実態は、いずれも明確な根拠など持ち得ない
私たちの「お約束」にすぎないと思えます。


コスプレイヤーを見て眉をひそめる「大人」を見ながら
動物園のおりの中にいる動物に笑われる人間の姿を連想しました。


はたして、どっちが囚われているのかと。



 出来事・日記 コメント(2)
掃除しながら思う。



朝と掃除が苦手です。


朝はなかなかエンジン掛からないし
掃除はなかなかやる気にならない。


朝はぼぉ~っとした時間が過ぎていき
部屋は書類と本が林立するジャングルの様相を呈していきます。


ぼぉ~も、ジャングルのような部屋も
割と好きなので、かまわない、と言いたいところ。。。

ではありますが
僕も一応社会人で、なにがしかを生産して世に貢献し
生きていかねばなりません。


ぼぉ~もジャングルも過ぎてしまえば
知的生産には、障害になってきます。
ので、たまに、えいっ、やぁ~と思い切りが必要になります。


苦手と苦手をセットにして取り組むと
テンション上がるの法則をご存知でしょうか。


僕が今、考えたので
知らない人も多いと思いますが。。。


朝、掃除をするとハイになります。


牛乳と高所が苦手な人は
ビルの屋上で牛乳を飲むとハイになります。多分。


牛乳と椎茸が苦手な人は
一緒に食べると、えも言われぬ珍味に震えるでしょう。


今朝、掃除をしながら、そんなことを思っていました。
ハイになっているようです。どうやら。


もうひとつ思ったことは

一気に整えようとせずに、やりながら考えることの効用です。


全部を一日で掃除したり
部屋のレイアウトを完全に決めようとしたりせずに


「今日はここの掃除」と決めて
少しずつやっていく。

「すごいレイアウト」を考えようとせずに
毎日変えていく。工夫していく。


結果として
「全部」がきれいになるし
実用的で「すごい」レイアウトができる。はず。


立派なことを思い描くのは大事だけれど
始められるのは、ほんのささやかなことからだけ。
立派なことにたどり着くのは、それを続けられたときだけ。


掃除しながら思っていました。



 出来事・日記 コメント(0)
組織が生まれ変わる原理。


その組織の誰もが
日々の営みの中で様々なことに気づいています。

うまくいく方法、失敗する方法
無駄なこと、貴重なこと
楽しいこと、ストレスのたまること


もし、ありとあらゆる気づきを
オープンにし共有し、そこから次の一歩を探し出すことができたら。

それは、自分たちが気づき生み出した一歩として
深い納得感を持って踏み出すことができるはずです。



組織が生まれ変わるために必要なこととは


組織変革についての専門的知識ではなく
あらゆる気づきをオープンすることから始める
次の一歩の探索であるはずです。


外部の専門家による分析から得られる
組織を変える処方や、業務を改善する処方は

実は、内部の誰かが、ほんのわずかであっても
気づいていることの方が多いのです。


必要なことは、専門家の処方ではなく
実は、自分たちの組織についての気づきを
オープンに対話する場であることは

気づいている人や目を向ける人が
少ないように思います。


そこに目を向けさせ
問いを投げかけ、場を生み出すこと。


それが専門家たる者の
一番大きな仕事であり
答えを処方してしまうのは
専門家としての「逃げ」であると、僕は考えています。

その道は、「根治」から遠ざかる道だからです。
 発創する組織風土 コメント(0)
失礼な会議。



年度の切り替わりには
いろんな団体で、総会を始めとした
区切りの会議が開かれています。


ビジネスに限らず
いくつかの「区切りの会議」に出席して思うことは


「失礼の基準」がズレてしまっている会議が
あまりに多いということです。


なぜ誰もが
書類の一言一句に間違いがないように気を張るのでしょう?

なぜ誰もが
きっちりスーツとネクタイで参加するのでしょう?

なぜ誰もが
意味不明の形式だけの会議に異議を唱えないのでしょう?


僕たちは社会的な関係の中に生きる存在として
「礼」ということを、とても大切にします。


しかし、礼とは
文言が正しいことでも、服装が正しいことでもなく


参加者の皆さんが
「そこに存在していただく理由」と
「参加したくなる理由、関心を持つ理由」を
共有してもらえるように配慮することこそ
根本的な「礼」だと、僕は考えています。


立派な資料ときっちりスーツの形式的会議が
どれだけ僕たちの時間を奪っているか。。。


あまりに「失礼」な話だと
この季節に、いつも思わされます。



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