発創アリ。

2009 02
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器の源。



今朝の新聞で
オバマ大統領の議会演説要旨を読み
昨夜のWBC日本チームの強化試合を見た時から続いている疑問が
くっきりと浮かんできました。



「器」って何だろう?
器の大きさの源は何だろう?



事の発端は
WBC日本代表チームの大黒柱
松坂投手の昨夜のピッチングでした。


ただの強化試合とは思えない大観衆の注目を前に
淡々と投げ、エースにはふさわしくない連打で失点し
けれども表情ひとつ変えず降板していく彼の姿に


とてつもない器を感じていました。



オバマ大統領が示す
ブッシュ前大統領との好対照ぶりも同様です。


経済、軍事、外交、あらゆる不確定要因を
チカラで制覇し、単一原理によって制御しようとする
ブッシュ前大統領に対して


オバマ大統領の
対話し、見極め、期待し、相手にゆだねる姿勢には
やはり器を感じます。


人間らしさという意味では
僕は、ことの是非はともかくとして
ブッシュさんにシンパシーを感じます。

彼の言動は、極端ではあったけれども
とても素直で、悪く言えば子どもっぽいものでした。


松坂投手もオバマ大統領も
なぜ、あんなにも動じないのか?


不確定要因や失敗は
少しでも少なくしたい、回避したいと思うのが
普通の感覚だと思うのですが


おそらくは
遠大な理想に向けて
現状を一歩一歩つみあげていく
冷静さと懐の深さがあります。


それを人としての能力、資質に回帰させるのは容易です。
しかし、それをしてしまっては、ブラックボックスにすべてを
封じ込めることに等しく

単に彼らが特殊な人間である
ということになってしまいます。




なぜ目先の利害ではなく
遠大な理想を見失わずにいられるのか。


なぜ大観衆の期待に一時的に背いてでも
自分が目指すものを追い求められるのか。




松坂投手のメンタリティーには以前から注目していて
「自分との対話」が静かで深いことが
彼の器の源なのだろうと考えてはいます。


であるならば


なぜ、他者の言動の影響力を免れて
自分との対話を続けられるのか。



これらの問いに
「精神力の強さ」のような抽象的なものではなく


なにか原理的な、メカニズムとしての解が見出せないか


そんなことを考えています。



そういえば
鈍感力なんて言葉が
ありましたね。

読んでみます。
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万能の議題。



あらゆる会議で通用する
万能の議題があります。


この議題を取りあげれば
誰もが深い思考へと導かれ
対立を超える道を歩むことが出来ます。




1)私たちにとって何が問題なのだろう?
  ・・・前提条件、課題の共有を促します。

2)私たちは、何が違うのだろう?
  ・・・意見の違いへの自覚を促します。

3)何が私たちの間にある違いをもたらしているのだろう?
  ・・・違いの源の探求を促します。



万能でありながら
これらの議題が正面から扱われることが
いかに少ないかを思い起こしてみてください。


前提を共有しない対話はありえず
「違い」と「正誤」を取り違えれば対立しかありえず
「違いの源」を探さなければ対話は勝負に堕します。



国会をはじめとするあらゆる議会は
この議題軽視の悪しき見本であり


18歳未満視聴禁止


にしたいところです。


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選択に寄りそう。



生きているということは
常に何かを選択しているということで


それが意識的にせよ無意識的にせよ
今の状況は、自らの選択の結果だと
思うようにしています。


つまり
どんな状況であれ
自分がそれを望んだのだと。



楽な方に流されたり
怠惰な生活をしたり
苦境に陥ったり



本当は
もっと立派に生きたいのに


どうしたら
そうなれるんだろう



そう考える前に



なぜ
自分は今の状況を選択したのか



自分の選択を否定せず
何かを欲して、その道へ歩を進めたのだと
肯定的にとらえ、欲したものを掘り返す。



そういう思考が
歩みを止めないためには
必要だろうと考えています。



社会も経済も政治も
企業も教育も家庭も苦境ですが


何を欲して今の道を選んだのか
静かに問い直す時間を持ちたいと


中川大臣や小泉元首相の言動を
見聞きしながら思いました。


彼らは
何を欲しているのか
僕には、見えないからです。
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席替え国会。



どこかの新聞に

ヤジが飛び交う国会は
まるで「学級崩壊」のようだ

と投書されていました。



教育をどこに導くのかを考える国会が
学級崩壊したら、教育に未来がなくなってしまうので
国会にも、有能な「担任の先生」が必要だと思われます。



ところで、学校で担任の先生は
教室の雰囲気を変えたり、友達関係を豊かにしたりするために

席替えをします。



毎月、隣や周りに座る子が変わったら
日頃のコミュニケーションも変わりますし
友達関係も多様になっていきます。


違う子と話せば
いつもと違うことを考える。
それはとっても大切なこと。



国会でも席替えしたらいいのに。



自民党も共産党も民主党も
ごちゃ混ぜにして、週替わりで座ったら
国会、変わるかもしれません。


政党同士かたまるから

意を強くして、ふてぶてしいヤジを飛ばします。

本音は違うことを思っていても
同調圧力が働いて言い出せません。

党同士の主張はわかっても
ひとりひとりの人間としての思いを共有する機会がありません。

いつも同じメンバーに囲まれてるから
居眠りしてしまいます。



毎週、違う政党の違うメンバーに囲まれて
ざっくばらんな雑談などしながら
政党の壁を超えていく。


そういう国会が観てみたいです。

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鬼が来た。


幼稚園児を襲ってきました。
泣き叫んでも容赦なく。



。。。素でやったら犯罪ですが。
請われてやったことなので
立件はされないと思います。


今日は幼稚園の節分イベント。
役員をやっているので
怖い鬼に化ける日です。


みんなでお行儀よく
紙芝居とかしているところに
突如、2匹の鬼が襲いかかり
園児を追いかけ回します。


園児はマメをぶつけて対抗するのですが。。。


本日の鬼は
お面よりも真に迫った「ラバー製のマスク」だったので
ホラー映画の主人公みたい。。
または、銀行強盗か(笑)

僕が幼稚園児だったら
この鬼は、たまらなく怖いけど。
勇敢に立ち向かってくる子もいました。



自分じゃない姿になって
いつもの自分では、ありえない叫び声をあげて
だんだん妙なテンションになってきます。
自然にカラダが動きます。
トランス?


以前には幼稚園で
サンタクロースやオオカミの役をやったこともあります。


仮面をかぶって、非日常の行動に身を委ねる。
それは、まるっきり仮想現実なんだけれど

でも、日常の自分にだって
目には見えないけれど
いくつも仮面があるかも。。。


鬼の面を脱いで
ホッとひと息つきながら
今の自分がかぶっているかもしれない仮面を考えました。

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