発創アリ。

2008 10
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教祖さまの予言は外れない。




絶対的な崇拝を受ける教祖さまが発した予言は
外れることがありません。


それは、信者によって「実現される」からです。


もし、それが「○月○日に大地震が起きる」という
自らの影響力の及ばない予言であったら。。。



現実の認識方法を変えることによって
予言は成就に準じた解釈をされます。
例えば


「我々の信仰が大地震を回避させた」
といった具合に。



以上は、認知心理学者レオン・フェスティンガーの
認知的不協和理論の「さわり」です。
乱暴なたとえですが、エッセンスはこんな感じ。。。



自分の信念や思い込みと現実との不一致を
認知的不協和と呼び
それが生じた時、僕達は
現実をゆがめてでも、自分の信念を
「実現したかのように」思い込もうとするわけです。




さて、このような認知的不協和の回避は
なにも熱狂的な信仰心のもとでだけ起きるわけではなく
僕達の日常で、いつも起きています。


むしろ、認知的不協和の回避によって
僕達の現実は成り立っているといっても良いくらいです。


自分の思いに不都合のあるような情報は
なんらかの歪みをもって認知されます。

あるときは過剰反応をもたらし
あるときは過小評価をもたらし
あるときは無視をもたらします。


同様に、自分に都合の良い情報は
過大評価され、それだけを選択的に認知したりします。



この認知的不協和の回避行動によって
誤った認識、行動が導かれることは
容易に想像できます。


これを防ぐために重要な役割を果たすのが
「身近で批判する他者」の存在だと思われます。


遠くの他者がいくら批判しても
無視したり、過小評価することで
認知的不協和を回避できますが


スグ目の前で、自分の意見に異を唱えられれば
回避するのは困難です。
意見の差異に注目せざるを得なくなります。


ある集団が健全性を保てるかどうかは
この「身近で批判する他者」にどう向きあうか?
で決まってくるはずです。


批判者と向き合い
意見の差異を創造の源と捉えられれば
その集団は健全さと創造性を保つでしょう。


批判者を排除し
意見の差異を恐怖と破壊の源と捉えれば
その集団は外世界に対して閉じてしまい
思い込みに満ちた急進的(または過剰に保守的)になるでしょう。



僕達は
常に思いこみに満ちており
しかも、その思い込みに合わせて現実をゆがめます。

集団行動をとるとき
その傾向は加速します。



身近な批判者を
異分子ではなく、創造の源と捉えること
外世界に対して閉じないことが
組織に教祖さまを誕生させないポイントでしょう。


ファシリテーター
冨永良史
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