発創アリ。

2008 09
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太鼓持。




福井出身、在住の荒井正三さん
という方がいらっしゃいます。


職業「太鼓持(たいこもち)」。
いわゆる男芸者さんです。
芸者さんでさえ、希少な存在なのに
男芸者となると、さらに希少です。


その太鼓持あらいさんが

『「間」の極意』(角川書店)

という本を書かれています。


お座敷の世界をリアルに紹介しながら
間の取り方から考える人間関係術を述べている本です。



ファシリテーターを職業としているため
僕は、「間」という言葉には過敏なほどに反応します。
間を置かず反応します(笑)


というわけで一気呵成に読了しました。


相手をよく観察しながら
先手を取るところと、自分を抑えるところの
微妙なメリハリ、サジ加減が
さすが百選練磨だなと
非常に勉強になります。


ファシリテーションは
ワークショップの場に参加してくださった方々に
いかに楽しみながら、自分の可能性に気付いていただくか
が仕事ですが


これは、お座敷で
お客さまの欲求や気分の変化を機敏に感じとりながら
お話や芸の展開を組み立てていくのと
似たところがあるようです。


どちらもプログラム、芸のレパートリーを持ちながらも
どれを繰り出すかは、その場の真剣勝負、という感じです。



あらいさんは、本の中で何度も
我を出してはいけないと強調されていますが
一番、印象に残った言葉があります。


ご自身の哲学として
師匠から教わった言葉として


「怒りは無知、おごりは無能、泣くは修行、笑いは悟り」


怒りについては、さらに


「腹が立つことがあっても、それをすべて相手のせいにしてはいけません。
 (中略)そういう展開もありうることを想像できなかったあなたご自身が
 無知だったということかもしれません」


と書かれています。

ファシリテーターとして
肝に銘じます。


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 ふるさと福井 コメント(0)
思考のリセット。


なぜだかわからないけれど
アタマが働かないときがあります。


もともと、たいして働きの良くないアタマなのに
やたらと混乱して、迷ってばかり
あっちを考えたと思ったら、こっちが心配になり
ちょっとしたことなのに、いつまでも結論がでない。


そんな悲惨な状態が
やってくるんです。



多分、原因は
机の上にモノを広げすぎたら仕事にならないのと同じで
アタマの中に、いろんな課題を広げすぎてて
収集がつかなくなってるんだなと思います。


こういう支離滅裂、効率最悪の後にこそ
「それだぁ~!」というすごい飛躍がやってくることも
少なくないのですが

そのまんまどん底を這い回ることも少なくありません(笑)


で、なんとなく解決策らしきものを見つけました。
ま、どこでも、誰でも言われている平凡なことですが。。。



アイマスクして
椅子にもたれかかって
ゆったりめのBGMを聴きながらボーっとします。
瞑想に近いですけど、一応、アタマは働いてます。

そうすると
思考がリセットされて

支離滅裂に散らかっていたアタマの中が
整理整頓されて、光明が見えてきます。


すごい平凡なことなんですが
ひとつだけ、気をつけていることがあります。


ボーっとしつつ、何を考えるかというと


何が起きているのか?
事実を順を追って正確に思い出していくんです。


そして。。。
どう思うのか?という自分の解釈を
いっさい考えないんです。

事実と感情・解釈は
コインの表裏のように
ぴったりとくっついていますが

ここが離れると
思考にゆとりが出てくるようです。


だから
客観的と思われる事実だけに集中して
自分の解釈や感情にいっさい目を向けない。


そういう時間が
思考をリセットして、次の飛躍につなげるために
役に立つみたいです。


事実と解釈の間に
思考の飛躍のすき間を創りましょう。



ファシリテーター
冨永良史
 出来事・日記 コメント(0)
濃度コントロール。



とっても単純だけど
とっても忘れられている原理があります。


濃いモノは扱いにくいんです。
薄いモノは扱いやすいんです。



濃いと
ドロドロ、べたつきます。


薄いと
サラサラ、あっさりです。



これは議論においても同じなんですが
忘れられています。


いきなり濃い議論をしては
決まるものも決まらないです。


議論の濃度をコントロールする。


これが重要です。
薄い議論から始めて
徐々に濃くしていき
最後に、濃度の充実した濃い結論を出す。


これが理想です。


いったい、議論の濃度とは何なのか?



それは、意見に対する執着です。


「どうしてもこの意見を通したい!」という
思いのこもった意見だけを闘わせると
濃い議論になります。


「これか、あれか、そっちか、ま、そのヘンかなぁ」という
あんまりこだわりのない意見を交えている段階では
薄い議論になります。


議論は、薄く始めて、濃く終わる。


そのための方法は、ただひとつ。
「アイディアの数を出す」です。


たったひとつのアイディアしか出さないと
それに対する執着は濃くなります。


6人の会議で6つのアイディアを闘わせると
濃すぎる議論になります。


ひとりが5つも6つもアイディアを出すこと。
議論の始まりでは、人数の5倍も6倍もアイディアを出すこと。
その中から徐々に絞り込んでいくこと。


アイディアの数が増えれば
ひとつのアイディアあたりの執着は自然に下がります。
単純な計算です。



そうやって、濃度の低い議論をしながら
絞り込みつつ、濃度を上げていく。
これが、濃度コントロールです。


これには、さらに2つの利点があります。


1つめ。貢献の自覚。
たくさんのアイディアを出すことで
自分は確かにこの場に貢献している、参加している
という自覚が生まれます。

自分が貢献した結論は、それが自分の意見と違っても
貢献しなかった結論よりも、はるかに
行動への動機が高くなります。


2つめ。視点の相対化。
数少ないアイディアを比べるよりも
たくさんのアイディアを比べたほうが
より全体的な視点にたって、相対的に比較できます。

細かい違いに執着するような議論でなく
感情対立でもなく
より長期的に、より広域的に
全員の視点を高い位置に導くことが出来ます。



というわけで
議論の濃度コントロールは
合意形成を容易にします。

そのカナメは
アイディアの数を出す
でした。



ファシリテーター
冨永良史
 発創する会議術 コメント(0)
自己中心的な笑い話。



ついさっきまで
自己中心的な性格、振る舞いについての
本を読んでいました。


図書館で借りてきた本です。
というわけで、私物ではなく、みんなのものです。



僕は本を読みながら
反射的に本にメモしたり、線を引いたりすることがあるので
図書館で借りた本を読むときは注意が必要です。。。



さて、そうやって、みんなの本を汚さないように読んでいたら。。。


びっしり線が引いてあるページに出会いました。


>自己中心的なものの見方をする人には
>自分の行動が見えない、直視できない
>むしろそこから逃避しようとする


というような説明がされているところに
びっしり線が引いてありました。



みんなの本なのに
平気で線を引く感覚に憤りを感じて。。そのスグ後に


なんだか笑ってしまいました。



線を引くという自分の行動を直視できていないからこそ
それが自己中心的な行動だとわからずに
線をひくのでしょうけれども。。。

よりによって
「自己中心的な人は、自分の行動を直視できずに逃避する」
なんていう場所に線を引くなんて。。。


あまりの逃避っぷりの見事さに
笑ってしまい


クスクス笑いながら
鉛筆で引かれた、その線を
消しゴムで消したのでした。。。



人って。。。わからないなぁ。。。



ファシリテーター
冨永良史
 出来事・日記 コメント(0)
郷を問う。




「なじむ」ということの価値を
どう捉えれば良いのだろうか?


と、ここ数日、なぜか考えてます。


会社に、地域に馴染む。。。


そうすると
色んなことが円滑に進みます。
温かい人間関係に包まれます。
周りの人が、なぜそういう行動をするのか
最初はわからなかったことが、理解できるようになります。



郷に入れば郷に従え。


組織、地域には
明文化はされていなくても
特有のきめごとがあって

それには、きっと意味、価値があるから
新しく仲間入りしたときには
周りの人たちに見習いなさい。



そんな意味でしょう。
「なじむ」ことを推奨しているとも受け取れます。



しかし一方で
最近は、外部環境の変化が激しく速く

郷の意義、価値が脆弱になっているようにも見えます。


郷のきめごとが
環境変化についていけてないのに
きめごとだけが形式的に存続している状態です。



このときに
郷に入れば郷に従え
をやっていたのでは

その郷は、ますます取り残されていくでしょう。
必要なことは

郷(の価値)を問い直すことです。



しかしながら
価値を問い直される郷と
問い直す新参者の間には衝突、軋轢が起きやすいのも
また事実です。


問い直しとは
どうしても、その背後に、「否定」のニュアンスを含むからです。



否定は、人にとって、恐怖の源泉です。
否定されることを避けて、攻撃します。



郷が郷として価値を持ち続けるために必要なことは


郷の人間は
「郷に入れば郷に従え」とは言わず
自らが否定される恐怖を乗り越えて
「郷に入れば郷を問え」と新参者に促すこと。


新参者は
郷の価値を発掘する目線と
郷を問い直す目線を持つことなのでしょう。



郷に入れば郷に従え。


そして


郷に入れば郷を問え。



いずれの背後にも
相手への尊重・敬意があってこそ
成り立つ言葉のようです。




ファシリテーター
冨永良史
 発創する組織風土 コメント(0)
大きく考えて、小さく決める。



確実に実行できることというのは
「小さなこと」です。


短時間でできて
難易度が低く
成果が見えやすい。
ゆえに、実行への動機が生じやすい。


こういう「小さなこと」なら
実行、完遂の可能性が高いです。



一方で
小さなことだけでは
行動を維持することが難しくなります。


レンガを積むことは簡単で「小さなこと」ですが
それを「3年間休まずにやれ」と言われれば
3時間で放り出したくなります。


小さなことを実行し続けるには
「大きなこと」が必要でしょう。
それは


どうやって社会の役に立つのだろう?
3年後、どんな素敵な状態になってるだろう?
1年後は?30年後は?
あの人は、どんな顔して喜ぶだろう?


小さなことを実行し続けるには
大きなこと、意義、がないと難しい。。。


だから。。。
何かを話し合って決めるときには


大きく考えて
小さく決める


が大切です。


大きな背景・意義を考えつつも
小さな実行しやすい結論を出す。



僕達の日常の話し合いはどうなっているでしょうか?



小さな目先の意義を追い掛け回して
大きな漠然とした実行しにくい結論をだしている場面は
多くないでしょうか?



小さく考えて
大きく決める。


なんだか、そんな気がするんです。
自戒の念を込めて。



ファシリテーター
冨永良史
 発創する会議術 コメント(0)
「許し」が創造を生む。



新しい何かを創造するとき。
例えば、こんなことがきっかけになるでしょう。



大切だと思っていなかったことを凝視する。
必要だと思っていたことを切り捨てる。
無関係だと思っていたことを組み合わせる。



創造性豊かな人は
こんな視点を日常的に持っているのかもしれません。


そういう特殊な能力をもった人っているよなぁと思う一方で
これを誰でもできる方法だってあると思うんです。


上の3つのポイントを可能にしているのは
普段しないことを自分に「許すこと」です。


なんで、凡人に創造性が宿らないかというと
自分の思考を「許していない」からです。


経験と知識の枠の中で
自分に許す思考と許さない思考を
無意識のうちに弁別しているからです。
だから、創造の可能性が狭く限定されます。


創造性豊かな人は
自分で自分の思考を無限に「許せる」のでしょう。

でも、凡人には難しい。。。


そこで必要になるのが「チーム」という「他者の集まり」です。


僕達は、自分で制約してしまっている行動でも
他者から許されると、自信を持って行動できたりします。

ということは
お互いの思考を無限に「許しあう」場を作れば
僕達の創造力は加速的に高まるはずです。


普段は考えないことを
普段の考えから脱皮して考えるには
他者からの「許し」による「制約の排除」が有効なわけです。



これも
ひとりの天才に凡人のチームが勝利する可能性を
説明しうる、ひとつの原理だろうと思っています。


ファシリテーター
冨永良史
 発創する組織風土 コメント(0)
イチロー選手の200本。



大リーグ、シアトルマリナーズの
イチロー選手のことが大好きです。



彼は今
8年連続200本安打という
大リーグタイ記録に挑戦しています。


今、この記事を書いている時点では
199本に迫っています。あと1本。。。


200本。。。
8年続けて。。。
それがどれだけ偉業であるかは

その達成が
1901年のウイリー・キーラーにまで
遡らなければならないことから感じ取ることができます。


100年以上もの間、大リーガーという
鍛えぬいた身体と、研ぎ澄まされた神経の持ち主たちを
寄せつけなかった記録なのですから。


その偉業に
天才バッター、イチローが挑んでいます。



天才バッターである彼は
1試合で3本以上の安打を記録することも
珍しくありません。


165試合を戦う大リーグであれば
1試合3本を放つイチローであれば
200本は、そう難しいことではないように思えます。


しかし、彼の試合ごとの安打数をつぶさに確認してみると
3安打、ときには、5安打という猛打を放つこともある一方で
0安打の試合も、実は珍しくありません。


3安打を放つより
1試合に1安打、必ず放つほうが
実は難しいようにも思えます。


実際に、年間165試合で165安打以上を放つ選手は
ほんのわずかの超一流選手だけです。




イチローになることは無理だけど

とにかく、毎日、必ずコレだけはやる。
一日にひとつだけ。

とりあえず、200日続けてみよう。



そんなことを
考えていたら


イチロー選手は
見事に200本安打に到達しました。

3安打の猛打賞での達成です。


さすがに
決め方までキマッテマス。
惚れます。。。。




ファシリテーター
冨永良史
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確信の効用。




ケニアという国は
陸上競技の長距離において
圧倒的な強さを誇っています。


世界選手権でもオリンピックでも
3000m障害から5000m、10000m、マラソンまで
上位には必ずケニア勢が並び
かなりの確率で、金メダルが彼らの胸に輝きます。


彼らが、あまりに強いがために
言われることは。。。


人種が違うから。。。
遺伝子が違うから。。。
生活環境が違うから。。。
高地で生活しているから。。。
特別な練習方法があるから。。。


などなど、もはや彼らに追いつくことは不可能だと
言いたくなるような、理由が並んでいます。


そんな強さを誇るケニアの中でも
さらに、強いとされる部族があります。

カレンジンンという部族です。


ケニアの歴代メダリストの大多数が
このカレンジンという部族から輩出されています。


これは偶然か?必然か?

その真相を追ったルポが
「ケニア!彼らはなぜ速いのか?」です。

ケニア! 彼らはなぜ速いのかケニア! 彼らはなぜ速いのか
(2008/08/06)
忠鉢 信一

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速さの源は、遺伝子か生活環境か、それとも。。
ひとつひとつの理由が検証されていきます。

不思議なことに
どの理由も「これこそが速さの源だ」という確証を
得ることができません。


そして最後に残った理由とは。。。



「カレンジンこそが速いのだ」
という彼ら自身の確信、自負心でした。


自分達は速い
という確信を持っているがゆえに

多数の若者が陸上競技に挑戦します。

先達の栄光を見れば見るほど
現状は遅くても、いつかきっと速く「なれる」という
確信が揺らぐことはありません。
途中で放り出すことがありません。

そんな確信を持った若者達が
集団生活をしながら、刺激しあって
速さを極めていきます。

だからこそ、その中の誰かがまた
世界の頂点に立ち

それを見た若者が

俺だってできる。
なぜなら、俺もカレンジンだから。

と長距離を志します。
激しい練習に挑んでいきます。



このように
「俺達は間違いなく速い、速くなれる」
という確信が、彼らの速さの本当の秘密ではないかと
著者は結んでいます。


彼らの確信の効用について
科学的な証明はなされていませんが

遺伝子や生活環境が
決定的な要因でないことは
科学的に証明されています。


「きっと○○になれる」
という確信の効用について

本気で確信してみた方が
明日が楽しくなるような気がします。



ファシリテーター
冨永良史
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認められない世の中。




ものすごく単純化すると


多様化とか個性化ということは
「認められたい」欲求が満たされない。
ゆえに、認めさせるために、コミュニケーションがゆがむ。


というリスクと隣り合わせです。

ある人のある特性を「認める(評価する)」ということは
その根っこに、必ず、自分との「同質性」を認める
ということがあるからです。



自分とどこかでつながっている


という感覚なしに
他人の個性を認めることは困難です。



世の中が
大きな物語、価値観を共有していた時代には


誰もが、お互いに
自分とのつながりを体感していました。
同じモノサシで、お互いを認めることが出来ました。


世の中が
相対化し、多様化してくると
お互いが違うモノサシを持ってるわけですから
認め合うのが難しくなります。


そうすると
「認められたい」欲求が溢れ出て
その解決策として

価値観をおしつけたり
他者を否定したり
極端になれば、存在を消去したりします。



今、社会で起きている
様々な事件や、困難課題の背景に
こんなコミュニケーションの歪みがあることは
多分、間違いないだろうと思います。


僕達は
膨大なお金と手間をかけて
自分の欲求を満たすこともできますが

一円のお金もかけずに
ほんの一瞬で

たった一言、ささやかな笑顔と共に
「認められた」という充足感で幸せになることもできます。


違いを超えて
違いを価値として認めあう


ということは、言い古された言葉かもしれないけれど
断片化をへて再統合の時代に入りつつある現在において
とても重要な意味があるようです。


ファシリテーター
冨永良史
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はなしあいのじかん。




小学校、中学校で
授業をしてみたい。


科目名は


「はなしあいのじかん」




年初に、こんなことをひらめいて
手帳にメモしてあります。


時々、そのメモをチラチラと見ながら
いつか実現しないかな、と
引き寄せの法則を待ってます(笑)



僕は小学校、中学校で
級長、学級委員、生徒会役員を何度か経験していて
そのたびに困ったのが


学級会
生徒会

なんです。
クラスや生徒会の話し合いの時間です。


体育祭や文化祭や
クラスの細々とした課題について
みんなで話し合うわけですが。。。



うまくいったためしがありませんでした。
そもそも、人前で話すのなんか苦手の極みだった僕が
議長してるんですから。。
いつもあぶら汗です(涙)



勉強は得意だったので
こんな時には


なんでいつもこんな苦労しなきゃならないんだよぉ~。。。
学級会の進め方っていう教科書つくってよぉぉ~。。。



と内心、嘆いておりました。
学校では、話し合いをいっぱいさせられたのに
話し合い方を習ったことなんか、一回もないんだから。。。



そういう
幼き頃の自分の悩みを解決したくて


話し合い方を勉強する
「はなしあいのじかん」
という授業をやってみたいと思ってます。



なんて念じてたら


小学生に「算数」を教えてください。
算数が嫌いな子供をやる気にさせてください。



って、突拍子もないご依頼が
飛び込んできました。


なんで、僕が、小学生の算数?
って思いながら、とりあえず学校で授業することに変わりはないし
これも夢への一歩かなぁと思いながら、お引き受けいたしました。


話し合いながら算数の問題を解く


そんな授業をしてみたいと思っています。



ファシリテーター
冨永良史
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交わる。



○○組合、○○協会、○○連合会。。。
○○協議会、○○連絡会議。。。
○○自治会。。。


ここ半年ばかりの間に
お仕事をさせていただいた
お客さまの組織名です。


○○株式会社や○○市役所など
単一組織も、もちろんあるのですが。。


上記のように

いろいろな組織、単体の集合体のような
「組織の組織」とでもいうような

そんなお客様が多くいらっしゃいます。
ご依頼は、どちらも、ほとんど同じです。


「自分達で話し合って結論が出せるようにしたい」
「そういう組織にしたい」
「今までは受身ばかり。一部の人が引っ張ってきたから」



今の世の中


家庭は核家族に。
ビジネスも学問も専門分化して。
地域社会は希薄になって。
行政の縦割りは改善の兆し見えにくく。。。


という具合に
あらゆるものの「つながり、交わり」が薄くなり
断片化、細分化の様相を呈しています。


一方で
それぞれの断片は
単独では解決し得ない問題を抱え
会社も家庭も役所も、閉塞状態。。。



今、再統合の時代のように見えます。


あらゆるモノゴトが専門化し、個性化し
細分化、断片化が進むことで
世の中は、急速に進歩し
私達の欲求はキメ細やかに実現するようになったのも
事実かもしれませんが。。。


私達の「つながり、交わり」によってしか解決しえない
「大きな問題」は、より深刻になっているようです。


断片化を超えて
もう一度、私達はつながり、交わっていくことが
必要になる。そんな社会になる。


そんな兆しが
冒頭に紹介した
「組織の組織」がお客様になってきている
という状況に現われているようにも見えます。



ファシリテーター
冨永良史
 出来事・日記 コメント(0)
紙の大きさが決める思考力。




どれだけの情報を
一挙に思考に取り込めるか


または



ある情報の周辺に
連想、創造の余地をどれだけ見出せるか



いずれも
思考の成果を大きく左右する条件です。



とりあえず小難しく書いてみましたが(笑)



紙の大きさが思考力を左右する



ということを伝えてみたかったんです。


紙に何かを書きつけながら
連想を拡げる、思考を深めることは
誰しも行なうことでしょう。


このときに
小さな紙を使えば

少しの情報しか
視界に入れることはできませんし

何かを書きつけた後に残された余白は
わずかしかありません。


というわけで
思考のインプットも限られ
連想のアウトプットも限られる


という現象が起きやすくなります。
なんとも単純な原理ですが、これホント。



幼児が壁に落書きをするように
伸び伸びと思考できる空間が理想ですね。






ファシリテーター
冨永良史
 出来事・日記 コメント(0)
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