発創アリ。

2008 02
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カッコーの巣の上で。



一本の映画にグラグラと心を揺さぶられたまま
ここしばらくを過ごしています。


最近観た映画です。
言葉にすることが、憚られるような映画です。


どんな映画?
どう感じた?


それが言葉にできなくて。。。


カッコーの巣の上でカッコーの巣の上で
(2007/12/07)
ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー 他

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人は、人の心は
どうやって生きていくのか。
どんなときに生きられるのか。
どんなときに死んでしまうのか。


ずっしりと
のしかかってくるような映画でした。



ファシリテーションを見直す
大きな大きな契機になりました。


自分の仕事の「その先」にあるものが
うすぼんやりと見えたような気もします。


考えさせられる映画でもあり
希望を見せてくれる映画でもありました。



気持ちの揺れは
しばらく治まりそうにありません。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(2)
会議に感染するウイルス。




社会的手抜き(昨日参照)がなくても
みんなが全力で議論しても


アホな結論



になることはあります。



会議にウイルスが感染してしまうようなもので
これに罹ると、にっちもさっちもいかなくなります。



チームで話し合うがゆえに起きてしまう
こういう困った現象をひとまとめに


集団思考(浅慮)
リスキー・シフト


などと呼んだりします。
ま、小難しい言葉は置いといて。。。



簡単に言うと、僕達


「知っていることしか話さない」


わけです。
どんなにがんばっても「知らないことは話さない」。



ということは


自分達が知っていることが
すべてを網羅している
正しい

だから、議論を尽くせば
きっと最高の結論が出せる。



という前提で話す限りは
がんばってもがんばっても「話されないこと」が
取り残されたままです。


で、取り残されたまんま
自分達を正当化する結論に向かって
根拠付けが着々と進んでいきます。



これは何が起きているかと言うと。。。


それぞれのメンバー各自が

「もともと知っていたこと、信じていたこと」

が、話し合うことによって
その中の共通項だけが取り出され
その部分がより強化されて結論になっていく。


ということです。


「集団極化」って言ったりします。


創造的とは言えませんね。
単にもともとの意見が極端になってるだけですから。



オウム真理教の暴走とか


そこまで極端じゃなくても


その会社独自の常識外れのルールが
通用しているとか


こんな事情が隠れてたりします。



チームをまとめようまとめようと努力し
同じ空間で、同じ対象に向かって、同じように行動する日々を送ると
だんだんメンバーの思考タイプは類似してきます。


そうすると
「知っていること」も同じように重なり合ってくるわけです。

そんなメンバーがいくら話し合っても
「知っていることだけ話す」わけですから
既に知っていること、信じていることが極端になって結論化されるだけです。



こんなことを考えてくると
組織の創造力にとって「異端」「外部」の存在は
生命線であることがわかります。


いわば、異端や外部は、ウイルスに対するワクチンです。


自分達の考えが通用しない「異端」や
自分達の影響力が行使できない「外部」の存在から
硬直化しつつある組織の思考パターンを解きほぐす刺激を受け取り


「知らないことについて話す」


という治癒の道をたどることができるのだろうと思います。




異端や外部は
一時的にとても「痛い」存在ですが
会議を犯すウイルスに対して
極めて有効なワクチンです。



ファシリテーター
冨永良史

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 出来事・日記 コメント(0)
社会的手抜きの温床。




社会的手抜き


と社会心理学で呼ばれる現象があります。



多人数のチームにおいては
「俺ひとりくらい。。。」
という感情が生まれて
責任を果たさないメンバーが出てくることです。



例えば~、そうですね「神輿をかつぐ」場面を想像してください。


い~っぱいの人たちで神輿をかついでいるとき
しんどくなったら、「ま、少しくらいいいよな」と思って
力を緩める人の気持ち、わかりますよね。


かついでる振りして
手を添えてるだけみたいな。


これが、たった4人でかついでたら
手を抜いたらバレバレですから、そんなことできません。


こういうの社会的手抜きって言います。



これが
会議でも頻繁に起きるんです。


10人以上で会議してたら
ほぼ確実に起きてますね。
気づかないけど。


問題は、この現象が「潜在」することなんです。
表に出ないんです。


みんな真面目に議論してる雰囲気を醸し出してます。
だけど。。。内心、「ま、適当に合わせとけばいいよな」
みたいな心理があちこちに生まれてるんです。


だから、当然、こんな会議でだされた結論が
「最高、最善」であるわけがなくて
「いい加減で無難」な結論にしかならなかったりします。


真面目に、真剣に議論してるのに
なんで、この程度の結論しかでないんだ。。。


の内幕は、意外とこんなもんだったりします。
実は、真面目でも、真剣でもないんですね。
みんなで手抜きしてるんです。



じゃ、なんでこんなことになるのか。
人数が増えたら、絶対こうなるのか。


一番大事なことは人数の多寡じゃないと思います。


社会的手抜きを起こしてしまう
一番注目すべき原因は


「答えが決まっている会議」


です。


「俺が発言したって、結論はどうせ
 ●●部長が出すんだろ」


とか


「みんなの意見を聞きたいとか言って
 最後には、社長のご高説を聞かされるんだろ」


みたいな感じですね。
表向きは、みんなの意見を聞く会議になっていても
暗黙の了解とか、普段の振る舞いで
参加者のみなさんには



俺が発言したって、どうせ結論は変わらないよ



という心理が出来上がってしまってるわけです。
こういう


「みんなの意見を聴くくせに、実は答えが決まっている会議」

「答えはみんなで創る、と言いつつ、圧倒的な権力者がいる会議」


これは
社会的手抜きの温床です。必ず起きますね。



「なんでみんな真剣に考えないんだ?」


と悩んだら、


「その会議は、答えが決まってる(と受け止められている)のではないか?」


と内省してみるのがよろしいかと思います。



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冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
分断と回復。



相手の言うことを
じ~っと聴いていると



「あぁ、こんなにも現実の見え方って
 違うんだなぁ」


と思わされます。


「賑やか」と見るか「うるさい」と見るか
「たくさん」と見るか「閑散」と見るか
「美しい」と見るか「冷たい」と見るか



経験、価値観によって
人は、同じ現象を前にしても
それぞれ、違った言葉をあてがいます。



民族が違えばなおさらです。
「現実を言葉で表現する」という点では同じでも
表現された結果はまったく違ってきます。
それは通訳をしても解決されない差異です。



言葉は
現実を切り取る(理解・表現する)手段であると同時に
僕達を分断し、対立・疎外へと導く斧でもあります。


言葉は差異の源ですから。



だからと言って
言葉が悪いと言うわけではなく
言葉によって適切に現実を切り取ってきたがゆえに
僕達の進歩があったわけですが。。。



その進歩の背景には
対話があったことを忘れるわけにはいきません。



言葉は
個々人の現実のとらえ方に
大きな差異を生み出してきましたが


その差異を活かして
より高度な現実へと昇華してきた方法が


対話だったはずだからです。



言葉は僕達と世界を分断しますが
対話は世界の「失われた全体性」を回復するものだと
そう思っています。




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冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
喫煙室の研究。



あらゆる組織の喫煙室には
その組織を変える力が潜在しています。




そんな話、聞いたことありませんか?
よく言われてますよ。
今日は、それが、なんでか?を考えてみます。





実は、あのニコチン臭が充満した空間には
人の脳を活性化させる特殊な作用が。。。




ない。
そんなものはない(笑)




僕が注目しているのは



あの
「ごちゃ混ぜ具合」
「適当な会話」
「引け目の結束」
です。





喫煙室には

部門、部署を超えて
いろんな人がやってきます。
仕事では接点のない人と
触れ合う機会があります。




みなさん嗜好のためにやってきますから
リラックスしてます。

最近は喫煙者というだけでも肩身の狭い思いをしてますから
お互いの間に、目にみえない「引け目」の「結束」があります。
会話が成立しやすい状況ですね。

肩の力が抜けた、会話が始まります。

会話しているうちに
また違う人がやってきて
その会話を聞きながら、ちょこっと茶茶を入れて
また会話が違う展開を見せます。

会話がどんどん混ざって
グツグツと煮込まれます。


そんなこんなの、部門の壁を超えた
適当な会話をみんなで紡ぐ
適当な時間を過ごした後
それぞれの持ち場に帰っていきます。


ふとしたきっかけで
喫煙室の会話を自分の部門で
再現したり、ふくらましたりすることもあるでしょう。

いわば
喫煙室からの感染爆発ですね。




これは
理想的な
会話からの創造プロセスだと思うんです。



足りないのは
実行へ向けた動機付けくらいかな。



あらゆる組織は
喫煙者を阻害するばかりでなく


その人たちが心にため込んでいる
創造的な仲間意識、会話スタイルを


もっと探求すべきですよ。
(大げさな。。。)



喫煙室から
組織は変わりはじめます。


喫煙室的な会話を
組織内に広める工夫は
お金と時間を使う価値が、たんまりあります。


キーワードは
ごちゃ混ぜ、適当、結束
です。




タバコを吸わないファシリテーター
冨永良史


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 発創する組織風土 コメント(0)
僕の原風景。




今でも
かなり鮮明に覚えている風景があって
それは、僕がまだ小学生くらいの時のことなのに。


だけど、今の職業、ファシリテーターという職業に
直結するような、そんな風景なんです。
いわば、僕の原風景。


その頃、ウチのスグ前には
ススキばかりの草原(くさはら)が広がっていました。
広さにして、そうだなぁ、1000平米くらい。
けっこう広い、ススキ林。


そこに秘密基地とか作って
遊んでたんですけどね。
外界から遮断された空間で、楽しかったなぁ。


それはともかく
ある日、そこから火が出たんです。
カラカラに乾いた枯れススキが、ボウボウと燃えました。


近所中の人が集まってきて
ワイワイ、騒いでました。
最初のうちは、消防署に連絡したか、とか
いつ消防が来るんだとか
そういう騒ぎだったのに


次の瞬間
あっという間にバケツリレーが始まったんです。
近所のおじさん、おばさん達が整然と並んで
役割分担して、バケツを次々に運んでいく光景。
そして、消防車が来る頃には
火は大部分が消えていたんです。


僕はその時の
一瞬にしてバケツリレーが始まった光景が
忘れられません。


だって、その寸前まで
みんな、どうしていいやらわからずに
ガヤガヤ騒いでいただけなのに。。。


烏合の衆が一瞬にして
目標のために一致団結したチームに変身した
瞬間が忘れられません。


なぜだかわかりませんが
普段、あんまり話さない人たちの間に
ふとしたきっかけで、突然、強いチームワークが
生まれる瞬間があるんです。
なんの準備もなしに。。。


それこそが
僕が今、追い求めている瞬間なんです。



まだ小学生だったあの時
ひょっとしたら、僕は
将来に向けて、大きな一歩を
踏み出していたのかもしれません。


今でも
燃え盛るススキの匂いと
バケツリレーするおじさん、おばさん達の
掛け声が蘇ります。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
ホメながら燃えるファンクな牧師さん。




以前から「牧師さん」と
個人的にお呼びさせていただいている方が
いらっしゃいます。


お陰様で、僕はたくさんの皆様に
ご縁をいただいておりますが、その中でも


とびっきりファンキーな方


のお一人ですね。



叩けばカッチンコッチンと音がするんじゃないか
というくらい、お堅い社会的なお仕事をされています。
決して本当に牧師さんではありません(笑)


この方の話すことが、聴くのが照れくさいくらい
あまりに慈愛に満ちていて
それを真顔でトツトツと語るもので。。


僕のセミナーにご参加いただいたときに
そんな感じでしたので、キャラを立てさせていただき
それで、「牧師さん」になりました。


あ、余談ですが
このようにキャラを立てさせていただける方を
参加者の中に見つけられるかどうかは
結構、セミナー進行のポイントですね。


話を戻して。。。
僕より少しばかり(いやだいぶかな・・)年上なだけで
まだまだお若く、散歩は、手足に重りをつけて歩くような
エネルギッシュな方でもあります。


前置きが長くなりました。
さて、この牧師さん


とにかく人をホメまくる。
会うたびに、ホメてホメてホメまくるんです。
それが嫌味じゃない。お世辞とかじゃなくて。

とにかく
人をホメるのが楽しくて仕方ない
という雰囲気なんです。

ホメられてるこっちが
嬉しいというより、楽しくなります。


多分、ホッペにご飯粒がついていても
ホメてくれますよ。そのくらい、ホメるんです。



で、今日、久しぶりにお会いしたので


「ホメて、乗せるの上手ですねぇ~」


なんて言いましたら。



「僕自身が「ノリ」の人間ですからねぇ。
 僕のノリを相手にうつして、相手の心にポッと火をつけるんです。
 そうすると、僕がさらに燃えてくるんです」


と、なるほどの説明をしてくださいました。
あいかわらず、メチャメチャ楽しそうに。。。



さすがは牧師さんでした。

人をホメることで、人を元気にし
その元気をもらって、自分はさらに元気になる
ということのようです。


同じ現実を目の前にしても
この牧師さんのように生きられたら
きっと人生、最高だろうなぁ。


と、メチャメチャ元気をいただきました。
みなさんも、一度、ホメていただくと良いですよ。


ポッと火がつきますから(笑)


さて、明日は10人ホメてみるかな~。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
最初のひと言にご用心。



会議において
最初のひと言の影響力は
軽視できないんです。



あ、ひと言とは
参加者に意見が求められた時の

最初に出される意見

のことです。



意見を求められたとき
過半の人は、様子見なんです。


他の人が何を言うのかな?
自分の思いつきは、求めに対して妥当なのかな?


と、他の人の出方を伺ってます。


その時
勇気ある誰かが

ポン

と最初の意見を場に投げ込むと。。。
何が起きるのか。



様子見の皆さん達は
反射的に


最初の意見を判断軸として
または発想の起点として利用して
自説を考えはじめる


という行動に出やすくなります。



「今度のお祭の屋台、何にしますか?」


「金魚すくい!」



他のみなさんは
「金魚すくい」から発想を始めるんです。

問題は、金魚すくいという意見が
みなさんの発想を制約することです。


そこからあまりに離れた意見は
場に投げ込まれにくくなります。
というわけで、旧態依然のお祭が毎年繰り返されます。



では、最初のひと言をどう扱えば良いのか?



ファシリテーターに期待される役割として


最初の意見を
一挙に相対化する


ということが考えられます。


「金魚すくい」が出されたら



「なるほど、「すくい」系が考えられますね
 他はどうでしょう。
 すくう、釣る、なめる、かじる、踊る、たたく。。。
 う~ん、屋台といっても色々ですからねぇ」


なんて、どんどん発想の枠を広げていきます。
これをなるべく早い段階でやった方が良いと思います。


特に、アイスブレイクされてない
固めの集団の場合
皆さんの脳みそ、バラバラのゆるゆるにする必要がありますから。



意見が出たら
早め早めの「一挙相対化」


これ、効きます。
一瞬で、さりげなく、ですから
ちょっと難易度、高め
反射神経、要りますよ(笑)



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冨永良史

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 発創する会議術 コメント(0)
これは、みんなの意見です。



言い方は色々でしょうけれど

ひとつの意見が
大多数、あるいは全員の
意志を代表しているという意味を込めて



「これは、みんなの意見です」



のようなことを言います。
会社で、町内で、学校で、マスメディアで
頻繁に耳にします。



これは本当なのでしょうか?
そんなこと、簡単に言えるのでしょうか?


世論調査で80%の人がNOと言った。


これは、みんなの意見でしょうか?
残り20%の意見を無視しているという次元ではなく

「みんなの意見」というものがそもそもどのように可能か?
という問いを乗り越えた上での表現かということです。


みんなの意見。。。


誰もが
同じように現実をとらえ
同じように意志する。


そんな簡単なことではないわけです。
多数決で、圧倒的多数を獲得したとしても
それが「みんなの意見」だとは限らない。


同調、権威、無責任、視点の偏向・誘導などなど


様々な要因が合意に影響します。
合意しているからといって
真の意味の合意かどうかはわからない。
制度的、統計的、結論的な意味において
「みんなの意見」であって


「背景を共有した上での
 みんなの意見」


である保障はないんです。



合意という結果は
決して共通性を保障しない。
その背景には、様々な思惑・誤謬があります。



世界の多様化、断片化が進み
一方で、「みんな」で取り組むべき問題が深刻化する中

真の意味での
「みんなの意見」を
どのようなプロセスで生み出すか?


という問いは、日に日に
重要性を大きくしているように思えます。
「真のみんなの意見」こそが、圧倒的な解決力の源だからです。

そして、その答えは、どうやら
ふたつのところからもたらされるような兆しを感じます。


ひとつは
膨大な情報集約、整序、共有を瞬時に行なう
グーグル的なITから。

もうひとつは、おそらく
多人数が、ランダムに気ままに話し合う
猥雑でプリミティブな対話から。


ITによって、僕達の行動は散在化しましたが
その反対、おそらく反動として、多様な人たちが「集う」ことは
今後、増えていくように感じています。



「どのように話し合うか?」
という話し合いの作法については
ITと比べれば、驚くほどに未開拓だと思うのです。



ファシリテーター
冨永良史



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 発創する会議術 コメント(0)
主張、まとまる、そして使命感。



自分の伝えたいことを
わかりやすく説得力を持って
主張することと



相手の伝えたいことを
相手の目線から見る画像が浮かぶかのように
受けとめることは



納得感ある
高度な結論を出す話し合いのメンバーに
どうしても求められる能力です。



難しいのは



一方で主張しつつ
他方で自分の主張を棚上げして
相手の考えを受け入れなければならないこと

さらに

どの意見をも相対化した上で
よりよい意見を「創造」する力が必要であることです。



主張ばかりでは
場が壊れます
自分がスピンアウトしてしまいます。


聴くばかりでは
場に呑みこまれます。
多様性が生み出す次の一歩が期待できません。


両立することで
誰もが主張しながら場がまとまっていく
という素敵な時間がやってきます。



僕達が
「主張」と「まとまる」を
別々の相容れないものと捉えてしまった時
話し合いは「儀式」へと堕してしまいます。



アンビバレントではなく
高度ではあるけれど両立可能な能力である
ととらえ、それを意図的に磨いていくことが
今、誰にとっても必要だろうと思っています。



この思いの発端は

『教育再生会議が最終報告』

という新聞記事でした。



その文中に、こうありました。


「『報告書は事務局ではなく
 数人の委員が責任を持って執筆すべきだ』
 と主張したものの、多忙な委員に引き受けてはなく
 『文科省に毒気を抜かれた」提言ばかりになった」


提言内容を読みましたが
確かに、1年以上の間、「有識者」が集まって
どんな話し合いをしていたのだろう?

と疑問をもってしまうような
総花的で、展望が見えない提言でした。



想像ですが、この有識者のみなさんには
「主張する力」は強くても「まとまる力」が
なかったのではないか。

よくある現象です。


こんな時、何が起きるかと言うと
さいごのとりまとめを担当する「事務局、事務方」
と呼ばれる「官僚」が驚異の力を発揮するんです。



これは
日本中、どこでも、どんなレベルでも
容易に見られる現象ではないでしょうか。


誰もが
自分の言いたいことを言い
専門家の意見に右往左往し

最後は「きれいにまとめてくれる人」に
頼ってしまう。


それを今まで僕達は
「話し合い」と呼んできたわけです。


それは違うはずです。
本来、それは話し合いじゃない。
少なくとも、今まさに突入している
「知識社会」における話し合いではないでしょう。



僕達は
「まとめる」ことを人頼みにせず
自ら主張し、みずから「まとまる」ことができる話し合い
をこそ目指さなければならないだろうと思っています。



そうなれば
ファシリテーターという専門職は
限りなく需要がゼロに近くなり
僕は職を変えなければならないわけですが


一方で


あらゆる職業は
いま現在の自分の存続を目指してしまったときに
使命を見失い

自分の消去を目指したときにこそ
使命感を発揮できるのではないかと
そんなことを感じます。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
因数分解じゃなくて動詞分解。




今夜は
僕の秘術を
公開しましょう。



今宵かぎりの
特別公開。


読んだら
間違いなく後悔。。。


コウカイつながりということで
ご容赦を。







あの
因数分解ってありますね。
高校数学くらいかな。


僕、超得意です。


神業のごとく
瞬時に分解いたします。




それはともかく。




何が僕の秘術(・・・しつこいな)
かと申しますと。


企画とかを考えるときに
因数分解にならって


動詞分解


をするってことです。


???



なんのこっちゃ?ですね。
はい、そうなんです。
秘術ゆえに、そう簡単には
理解できません。。。




失礼。。。
僕が説明してないだけでした。




むむむ
説明するのが
面倒くさい、あ、いや、難しいのですが



だいたい僕達は
「名詞」とか「おおきな動詞」で考えるクセが
ついてしまってます。



「会議術」「コミュニケーション」「教育」



などなど
どれもこれもが
名詞なんです。




それを
小さな動詞に分解するのが
動詞分解。



会議術セミナーの企画を立てるとき。
「会議術」
という名詞は


聴く
描く
伝える
共有する
合意する
並べる
交わる
混ぜる



などなどの
動詞に分解できます。



こうすると
その動詞をどのようなワークで
理解してもらおうかという
次の具体的思考ステップに移ることができます。


この動詞分解の優れているところは(自分で言うな。。)


動詞に着目しているがゆえに
日常行動に影響を与えやすいということです。


「理念」という名詞は
意味はわかっても、行動との距離があります。


それを
「努める」「目指す」「証明する」
などの動詞に分解することで
行動との距離がぐんと近くなります。



応用すると


組織を
動詞の集まり
と理解することができます。


組織は普通に考えれば
人の集まり
ですが

あえて動詞の集まりと理解する。



自分の組織に
いくつの仕事(動詞)があるか。
その動詞はどれくらい具体的か。
どれくらい磨かれているか。


という具合に
組織を動詞分解すると
ものすご~く貧弱な動詞だけでうごいている組織と
ものすご~く豊穣な動詞でイキイキと動いている組織が
あることがわかります。


人の能力を育てるってことは
組織内に流通する動詞を豊穣にするってことなんです。



ちょっと
めんどくさいことを
書いてますね。



昨日の
脳みそ「雲丹」状態から
まだ卒業してませんでした。


失礼しました。



ファシリテーター
冨永良史


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