発創アリ。

2007 12
11 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 → 01
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
失言の効用。




政治家の皆様はじめ
最近は、いろんな方が

失言、問題発言で
つるし上げられております。



ひと言、間違えば
集中砲火、謝罪、辞任、罷免という
下りエスカレーター直行のようです。



最近、社会の気分としては



「失言監視型」
「問題発言、絶対許さない型」



になってるように感じます。



いい加減な発言
とんでも発言


は見逃されません。



それは、ものすごく「やばい」風潮だと
僕は、かなり深刻に受け止めています。



失言、問題発言ができない世の中は
とても硬直的、前例踏襲的、勇気減退的で
創造性の対極のように思えます。



正しいことだけを言おうという姿勢からは
今まで以上の発想は生まれないでしょう。


正しいか間違ってるかわからないけれど
とにかく強く感じる、ありありと思う浮かんだ
だから、どうしてもみんなに伝えたい。


そういう思いが解放されるとき
既存の価値観がゆさぶられ
新しい何かが生まれる準備ができるのでしょう。


「失言狩り」をするような社会では
既存の価値観の中に閉じこもるばかりです。



もうひとつ。



「失言」が失言たりえるのは
「誰が言ったのか」と結びついたときです。


「大臣の言葉としてふさわしくない」
「経営者としての見識を疑う」


など、発言内容と発言者が結びついた時に
それは失言と判断されます。


この姿勢も、創造的思考の妨げでしかありません。

誰が言ったかをとやかく言う前に
表現された意味内容を、既存の価値観と十分に対照し
新しい「正しさ」の萌芽が含まれていないかを
冷静に、前向きに受け止めることが
今のような価値観の過渡期には必要だと思います。



「言ってはいけないこと、言えないこと」がある会議や
「立場を気にしてばかりいる」会議が
まったく創造的にならないのと同様


失言、問題発言を探してばかりの社会から
やわらかな発想が生まれることはないように思えます。



失言、問題発言は
間違った発言ではなく

「既存の価値観からは外れている
 新しい価値観に基づく発言」

であり

「未来を開く可能性がある発言」

だと受け止める寛容さが必要だと
最近、特に思います。




ファシリテーター
冨永良史


↓失言があっても、寛容に応援クリックくださいね。
にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ
スポンサーサイト
 出来事・日記 コメント(4)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。