発創アリ。

2006 11
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立ちあがる。

■■発創する会議術35.■■

■立ちあがる。


会議
立ったままやったらどうでしょう?


ほら
誰でも経験あると思うんですけど
ひとりで考えをまとめるとき
部屋の中をうろうろ歩き回るじゃないですか。
あと、散歩してみたり。


じっと座ってるより
立ち歩いたほうが脳みそが刺激されて
考えが進みやすいんじゃないでしょうか。


だったら
会議も立ってやってみる。


さすがに
2時間ずっととかは
体が持ちませんから


みんなちょっと
煮詰まってきたかなぁ


と感じたら


>立ちあがってみましょう!
>ホワイトボードの前に集まってください。


というように
動きを入れてみる。


座ったままホワイトボードや資料を眺めてても
見えなかったものが
動きまわると見えてきます。



どうやら
座ったまま長時間、動かないということは
そのあたりが自分のテリトリーとして固定化する
ように思います。


テリトリーの固定化は思考の固定化。
自分の場所を決め込んでしまうと
考えの進む道も決まりきったつまらないものになりがち。


会議の醍醐味は
お互いの考えを「まぜごじゃ」にして煮込むことですから

そのためには
自分のテリトリーを固定化せずに
人のテリトリーと交わらせること。

そうすると
思考がゆるんで、はずんで、交わって
いろいろ思い浮かびます。


会議はチームスポーツみたいなもの。
みんなで立ちあがって
パス(意見)まわし、はじめてみましょう。


文字通り

躍動する会議

です。


寝てる暇、ありませんよ!



ファシリテーター
冨永良史


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 発創する会議術 コメント(5)
言ってること、やってること。
■■発創する組織風土13.■■

■言ってること、やってること。


以前
組織運営にとってもっとも大切なのは
納得感ではないでしょうか。

という記事を書きました。


その納得感を大きく左右するのは


経営者の
言ってることとやってること
が一致しているかどうか


です。

これ
結構、無自覚な経営者の方
多いように思います。


経営者が言ってることとは
会社の方針、理念、指針などです。


企業の社会的責任
とか、かなり言われるようになってきたからでしょうか
経営理念とかちゃんと文書化するところ
増えてますね。


お客様のために
社会のために
貢献
使命

などなど
立派な言葉が並んでます。



一方
経営者がやっていることとは
普段の振る舞い諸々がそうなんですが

いちばん影響が大きいのは


何をもって
社員の成果を評価するか


です。
せっかく立派な理念を掲げても
この評価の部分が旧態依然になっていませんか?


すべてはお客様の笑顔のために


なんて言っておいて
月末の営業会議では


売上げが足りん!
何とかならんのか!
かき集めてこい!


とか言ってませんかね。
「お客様の笑顔」はどこ行ったんでしょうか。


お客様の笑顔を求めるなら
それができたのかどうかを
最大の論点にするべきであって


正直なところ売上げが欲しいだけなら
理念も「売上げ第一!」にすべきなんです。


精神性の高い理念を掲げたら
難しいことだけれど
社員の精神性、行動プロセスをこそ
評価の対象にしなければならない。

その困難さに向き合う気構えがないなら
経営者は「売上げ第一!」って叫び続けたほうが
ずっとましです。


理念に「売上げ」って言葉が入ってる会社は
今まで見たことがありません。

でも
営業会議で問われているのは
もっぱら「売上げ」だったりします。



ウソはいけません。
もし、経営に本気なら、ですけど。



ファシリテーター
冨永良史


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雑談ブレイク。

■■発創する会議術34.■■

■雑談ブレイク。


会議の中で
雑談を意図的に使おう

というお話です。



誰かの意見や
議事進行の方法について


あれ?
それおかしいでしょ!


と思ったときや


自分だけの気付き
とっておきのアイディア


があっても
即座にそれを発言する人は
実はなかなかいません。


発言のタイミングを待って、待って、待って
結局言い出せなかったり


となりの人とコソコソ話をしたりします。


>今の意見、おかしいよな。
>お前、理解できた?


みたいなことを
コソコソっとささやくわけです。


両隣の人と自分の思いが同じだと
確認できたら、勇気が出てきて
さっと手を挙げ


>今の意見についてですが
>ちょっとおかしいと思うんです。


なんて発言してくれます。



ここまでしてくれれば会議は盛り上がるのですが
なかなかそうはいかず
コソコソ話だけで終わってしまい
貴重な思いが表に出てこないことが大半だったりします。


これはもったいない。
みんなのちょっとした「?」や「!」を
表に開き出し合って
まぜっかえして、煮込んでこそ
会議の意味があるんですから。


こういうとき。つまり…

なんだか
あの人とかこの人とか
言いたいことありそうなんだよな~


とか


なんとなく
みんな腑に落ちてないよな~


という時には
雑談ブレイクを取ってみるのはどうでしょう。



>少し時間取りますので
>両隣の人と意見交換してみてください。


という具合に
少人数で思っていることを共有しあう時間にする。


そうすると、少人数だから
自分が思っていることが言いやすいし
相手も同じこと思っていたら、自信がついて

よし、みんなに意見をぶつけてみよう

と思えたりします。




会議で発言しづらい。
コソコソ話をしてしまう。

というのは、要するに

自分の思いが
他の人に受け入れられるかどうか自信がないから

でしょう。


ですから、そこを突破してもらうために
雑談ブレイクをとって
お互いの思いを確かめ合ってもらうわけです。


思いがありそうな人を
いきなり指名して発言してもらう
というのも手ですが

これだと
自信がないまま発言することになるので
しどろもどろになったり
遠慮してカドが取れた面白みのない意見になってしまったり
するようです。



その場に「言い出せない思い」が見え隠れしたら
雑談ブレイク取ってみてください。



コソコソ喋らずに
発言してください!

みたいに
説教するより効果があるはずです。


ファシリテーター
冨永良史


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 発創する会議術 コメント(0)
沈黙に耐える。

■■発創する会議術33.■■

■沈黙に耐える。


会議で対立するのも嫌ですけど
沈黙が続くのも嫌なものです。


>この件について何かご意見ありませんか?


>…



レジュメをじっと見つめる人
腕を組んで遠くを見つめる人
何かメモする振りをしてる人
となりの人とコソコソ話す人



誰も発言しない。
空白の場ができるわけです。



なんか、嫌ですね。
進行してる立場だと特に嫌です。


だから
耐えられなくなって

早々に誰かを指名したり
順番に発言するようにしたり
自分の意見を長々と述べてみたり

そんな感じになりがちです。



でも
ここは、ひとつ


耐えてみたらどうでしょう。


わざと沈黙を長引かせるんです。
みんな

進行が何とかするだろ、とか
そのうち誰かが発言するだろ、とか

思ってるわけです。
そこを思い切り裏切って
わざと、何もしない。


沈黙をみんなで耐える。


じ~


っと。
そのうち、みんなで黙り込んでいることが
あまりにも不自然というか、不毛に思えてきて


きっと
誰かが口火を切ります。


もし
常に発言が多い人、声が大きい人が
口火を切ったら、ストップをかけてみましょう。


>もう少しだけ
>ひとり一人がじっくり考えてみましょう


とか言って、ストップを。



進行役じゃない誰か
いつもの人じゃない誰かが
口火を切ることが大切。


意外な何かが起きますから。
(いつもじゃないけれど)


こうやって
わざと沈黙を放置することで


場の自律性


みたいなものが
育ちはじめると思うんです。


進行役、ファシリテーター
議論をあれこれいじらなくてもいい。


わざと
放置する。
見てる。


この

「わざと」

というところがポイントかと。


一度、沈黙に耐えてみてください。
何が起きるか、確かめてみてください。



ファシリテーター
冨永良史


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 発創する会議術 コメント(0)
汗水たらして遊ぶ。

■■発創する組織風土12.■■

■汗水たらして遊ぶ。


以前、企業運動会の復活が
組織風土に与えるプラス効果について書きました。

趣旨は

普段
知識、知性レベルで関わっている同僚たちと
身体、感情レベルで関わることが
組織風土を改善する

ということでした。
今回はその発展形を。


運動会の準備段階に注目です。


運動会、たかだか遊び、慰労なんですが
ここを真剣に、汗水たらしてやることに
組織風土を激変させるカギがあると思うんです。


準備では、日常の仕事から離れて

どう運動会を盛り上げていくか
どんなプログラムにするか
どんな準備が要るか
役割分担は
参加者募集は

ということを真剣に考えるわけです。
しかもみんなで。

慰労なのに
真剣に考える。

と同時に
遊びの気楽さはあります。


仕事を離れているからこそ
成果を出さなければ
というプレッシャーもなく
普段のしがらみから開放されて

自由に発想することができます。
チームとしてまとまりやすくなります。

日常ではなかなかできない
チームとしての団結体験ができるんです。


伸び伸び考えて
自主的に動いて
チームで何かを成し遂げた。


こういうチーム体験は
終わってからも組織の中に残ります。
仕事に向かうときの姿勢に少しずつ影響していきます。


これは
終わったらすぐ忘れてしまうような
まじめで退屈な研修よりも
ずっと効果的な教育プログラムではないでしょうか。

仕事ではないとは言え
実際に、普段と違うやり方、違う思い、考え方で
取り組んで、成し遂げるわけですから。
インパクトは大きいはずです。


すごいコンサルタントに
高額なお金を払う前に


企業運動会に
たっぷりと予算をとってあげて


「思いっきり遊んでみたまえ」


なんてセリフを社長が言ったら
組織風土
変わると思いませんか?


いいなぁ
そんな会社。


ファシリテーター
冨永良史



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 発創する組織風土 コメント(0)
働き間違い。
言い間違い
ならぬ


働き間違い


が世の中で起きていると思います。
そこから
いろいろな社会不安が派生している。

かなり大事な
だから致命的な間違い。



働く目的も場所も相手も
全部、ずれてる。
というか見失われている。


異常に長い労働時間
が気になるんです。


今日の福井新聞の記事によれば


>連合総研の調査では
>首都圏、関西圏の男性会社員の28%が
>一日平均12時間以上、働いている
>これは過労死予備軍だ


そうです。

働くのは
自分が生きている場(家庭、地域、社会、地球)を
よくするためのはずで

だったら
働けば働くほど
そういう場はよくなっていって

12時間も働いたら
理想郷ができてもおかしくないわけです。


なのに実際は

過労死
イジメ自殺
猟奇殺人
老人の孤独死
学級崩壊
家庭崩壊


というわけで
大人から子供まで
総ヨレヨレ社会です。


過労死するくらいのエネルギーを
こういう問題の解決に向けたら
世の中、良くなります。

なのに
エネルギーはみんな

グローバル市場で戦う企業に
吸い取られて

ローカルな問題に立ち向かうエネルギーは
全然、残ってない。


そりゃ
企業の景気は良いでしょうけれど

家庭も地域も学校も
ヨレヨレで険悪になるのも
当然でしょうね。



ヨレヨレの大人を見て
希望に満ちた子供が
育つわけはありません。

ストレス満載した人が
街でネットで触れ合えば
不穏なことも起きやすくなります。

みんな自分のことで手一杯で
地域のことをみんなで考えようなんて
余裕ありません。


労働時間の問題に手をつけないと
教育も治安もコミュニティも
本当の改善には向かわないのではないでしょうか。


働くのはいいことです。
美徳です。

でも
闇雲に働けばいいというわけではないでしょう。


働き間違い


を何とかしないと。


みんな気付いているのに。


ドロップアウトする人って
なんだか
本能的に正しい方向に向かっているんじゃないかと
そんなこと思ったりもします。



ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(2)
総やらせ化社会。
よくやるよなぁ
と思って眺めてたんですけど
やっぱりちょっとだけ
エントリーしておきます。


政府のタウンミーティング
「やらせ」だった件


さっさと考えを明らかにしておくと


やらせは普通です。
誰でもどこでもあります、やってます。

そんなこと僕が言うまでもなく
誰でも知ってます。

それを「悪い」って。
あまりにも「今さら」じゃないですか。
悪いならずっと前に指摘できますね。


マスコミさん
やらせの権化じゃないですか。
「ありのままを報道している」ところ
あったら手を挙げてください。

ありませんね。
あるはずありません。

マスコミが
やらせを指弾するところが
この、やらせ問題の笑えるところであり
急所ですね。



談合問題も一緒ですけど。

誰でも知っているから
なかったことにしてるという点では。



ともかく
やらせは日常にあふれています。


町内会の総会
政治家の集会
株主総会
ニュースの「微笑ましいひとコマ」
議会
会社の各種会議


などなど
程度の差があるだけで
「お約束」で成り立っているわけです。



日本全国
総やらせ化社会


です。




こういう
上っ面の、嘘っぱちの方法は
もう自家中毒を起こしているように見えます。

マスコミがやらせを指弾するのは
まさに自家中毒です。


すごい評論家の方が紙面で
「もっともな考え」を開陳されているのを読むと

これはひょっとして
入念に演出された
コントではないか?

と疑りたくなります。
まさか
正気ではないだろうと。


万が一、正気なら
病院に行ってください。
まじめな話。


さて
「やらせ」の背景には


大衆はアホである。
導いてやらないと何にも考えられない。
できるはずがない。


という前提があります。
だから、「やらせる」わけです。


この考えもかつては
かなり有効だったようですが
今はかなりほころびています。


今、時代のエンジンとなっている考えは
この真逆で

みんなの考えることを集めると
すごく正しくなる

というものだと思います。
この考えからは、やらせは生まれません。


一時的な無秩序を恐れず
その混沌の中から生まれてくる
創造を待望する。


かっこよく言うと
そうなりますか。


グーグルとかアマゾンとか
ブログサービスとか

いわゆる、ウェブ2.0ビジネスというのは
そういうことなんだろうと


ファシリテーター冨永としては
解釈しています。



マスコミも政府も
そして
総やらせ化している社会も


モードチェンジが必要ですね。



僕はアホでも
みんなで考えると
すごいんですよ。
きっと。


そこ
信じましょう。


ファシリテーター
冨永良史


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 出来事・日記 コメント(0)
脳になる。
■■発創する会議術32.■■

■脳になる。



人間の脳は
すごいらしいです。

いろいろな情報を同時に
あっという間に関連付けて
いろいろなシミュレーションして
最適解を出す。



コンピュータ的に表現すると
こんなことをやってるそうです。


この能力を
焦点を絞って
いい方向に使えば
すごいことができるし


ただ放っておくなら
支離滅裂
煩悩満載
オーバースペックコンピュータ。


普通の人の脳みそは
こっちのパターンの方が
多くないですか?


とりあえず
ファシリテーター冨永の脳みそは
支離滅裂、煩悩満載のときの方が
多いです。
ずっと。


正直に言ってみました。




やっとタイトルの話です。



会議室は「脳」だ!


というアナロジー
どうですか?


その場、その空間が
脳なんです。


参加者は神経細胞。

そうです。
単なる細胞です。
人格なんか

ない。


ただ刺激に対して
反応を返すだけ。

あってても
間違ってても
気にしない。
人格、プライド、ありませんから。



ポイントは

そいう刺激、反応が
すごい量とスピードでくりかえされるうちに
全体が「正解」に向けて
相互作用を始める

ということ。


間違った発言も
あってる発言も
膨大なシミュレーションの一部。


共同思考って
こういうイメージじゃないでしょうか。


一緒に考える
というのじゃ、インパクト弱い。



みんなで
ひとつの「脳になる」。

会議室は脳だ!



プライド捨てて
ちっぽけな神経細胞になって
他の細胞とつながりませんか?
響き合いませんか?


そっちの方が
面白そうじゃないですか。


僕は
そっちに賭けます。


ファシリテーター
冨永良史


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 発創する会議術 コメント(0)
まぜっかえす。
■■発創する会議術31.■■

■まぜっかえす。


つまらない合意をするくらいなら
会議をまぜっかえす方が
面白くなります。


つまらない合意とは
何も生み出さない合意です。


例えば


意見が
AかBか
で対立して

いろいろ話し合った結果


Aになりそうだ
または
AとBの中間(いわゆる妥協点)になりそうだ


これはつまらない。


せっかく対立しているのに
何にも生み出していない。


AかBかで
どちらかを取るということは
ひとつを消去したに過ぎません。

AかBかいずれかが正しいという
とっても狭い視野に立っている。
そんなことあり得ますか?


AとBの中間はもっとつまらない。
Aがいい人とBがいい人がいるのに

どちらにとっても
よいとは言えない結論
になる。
そんなバカな。

話し合う意味が
限りなくゼロになってしまいます。


もうひとつのパターンは
ひとつの意見しか出なくて
それがいかにも正しそうに思えて

そのまま合意するケース。
これも面白くない。


脳みそ寄せ合う意味がない。
一人の天才のアイディアは
衆知に勝てない。
ということになってしまう。

それは
認めたくないわけです。
ギリギリまで。


みんなで
グジャグジャ
むにゃむにゃやって
ウルトラCを生み出す。


こういう会議が
したい。



だから
こういう面白くない展開になったら


まぜっかえしてみましょう。



例えば


アホな意見を言う。
物分りの悪い振りをする。
わざとわき道にズレる。
ずばり「なんか面白くないから、嫌」と言う。


などなどです。


AとBの意見が出たら

結論は
絶対、どちらにもしない。
Cを見つけてやる。



そんな
意地が
会議を面白くするように思います。



いつもまぜっかえす人は
単なる困った人ですけどね。



ファシリテーター
冨永良史



 発創する会議術 コメント(0)
頼るな。
代行業なくして
世の中は成り立たなくなってるわけです。


突然ですが。



いや、代行といっても
代行運転に限った話じゃなくて。


自給自足時代は
なんでも自分でやっていたのに


今は
食物を作るのも
エネルギーを作るのも
家を作るのも修理するのも
髪を切るのも
教育するのも


プロに任せてしまうわけです。


ここのところに
どうしてもひっかかりを感じます。



果たして
任せることで
豊かになったのか
と。


自分のことを
下手ながらも
自分でやっていた頃の方が

ずっと
充実感、納得感
があったのではないか

なんて思います。
成長の実感もありますし。



それに
任せるということは
能力を超えて
効率的に「できてしまう」
ということ。


任せないとういことは
能力までしか「できない」
ということ。


ここが大事なところで
果たしてそんなに
なんでもかんでも
「できてしまう」必要があるのか。


何でもできるようになって
世の中、果たして
「豊か」になったのか。


できないことを身をもって知っていて
できることを少しずつ
地力と自力で伸ばしていく


その地道さと
ゆっくり進歩こそが
必要なんじゃないのか。


そう思うわけです。



コンサルタントなんていう
「思考」代行業まであります。


考えることまで任せてしまって


いったい


「考える葦である」人はどこに行くのか?


それって
ただの葦じゃないんでしょうか。


つまり
たんなる弱い存在になっていっているということ。
退化ですね。



なのに
自分も含めてみんな
世の中に対して

「いっちょまえなクチ」

をきくんですが
自分がどれほど
「何にもできないか」
を棚に上げて


あまりにも謙虚さが
足りないような


なんでもかんでも人任せのくせに。


代行による
効率化、スピード化が
諸問題を起こしていることも
忘れてはいけませんね。


ゆっくり進歩なら起きなかったこと
いっぱい起きてます。



とりあえず
感覚的ですが


今のところの持論は


これからは
代行の時代ではない。

だから
なんでも自分でやれ。

限界を知れ。

自分で伸びることの喜びを知れ。


だから

人が自分でやることを「促す」
ファシリテーター
やってます。



また難しいコトを
余計難しくしたような気がしてきました。


ファシリテーター
冨永良史


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ファシリテーションする。
ファシリテーター

という言葉が
相変わらずわかりにくく
すっきりした和訳語も見当たらないのは


それが
行為の方法、または状態を表している
単語だからではないでしょうか。


行為の対象が示されていないんです。


医者には医療現場、患者。
弁護士には法廷、被告人。
コンサルタントには経営、社長。


それぞれの職業、役割には
ステージと働きかける対象が
セットで与えられています。


ところが
ファシリテーターという言葉には

どこで、誰に

が含まれていません。


強引に和訳すると


滑らかにする人
相互作用を引き出す人


行為内容が示されているだけなので


だから、何をするんだよ


ということになってしまいます。


では
なぜ
このわかりにくい言葉、役割が
注目されるのか。


しかも
ファシリテーター冨永は
名刺にまで刷り込んでしまっている。
なぜか。



それは
これからの時代は

おそらく
ますます


「方法」が問われる


と考えられるからです。



何を(対象・問題)

ではなく

どうやって(方法・解決策)

が問われる。



思い返してみてください。
ここ十数年


問題だ


と言われることに
変わりはあったでしょうか。

おそらく
問題の内容はほとんど変わっていないはずです。


環境問題、経済問題、人口問題、教育問題


複雑化することはあっても
内容そのものは
そう変わっていない。


結局
何が問題か?
なんていう話ではなく


どうやるんだ?
というところで話が止まっているわけです。



しかも
問題と言われることは
少数の天才の力ではなく
衆知を集め、みんなで行動することが
求められることばかりです。



問題はわかりきっている。

あとは

みんなで考える
みんなで行動する
そのためには
どうすれば良いか?

その方法が問われているわけです。



だから
ファシリテーター冨永は


ステージも対象も
明らかでない
方法


にこだわるわけです。



わかりにくい言葉を
わかりにくく解説してみました。



ファシリテーター
冨永良史


 ファシリテーション? コメント(0)
会議力を診断する。
研究室公式ブログとか
名乗ってますので
たまには仕事の紹介でもしてみます。


会議力診断


というサービスを提供しています。
何が言いたいかというと。



自分たちが
どういう会議をやっているのかを

たまには冷静に客観的に振り返って
より納得度の高い会議にするために
何をどうすれば良いのかを考えましょう。



ということです。


営業であれ、開発であれ
仕事の反省は、ボチボチと行なわれています。
それもかなり怪しいところありますけれど。
でもゼロじゃない。

この顧客がなぜ落とせなかったのか?
この製品がなぜ仕様を満たせないのか?

そういうことは
けっこう日常的に考えられている。



ところが


もう少しメタレベルになると
とたんに怪しくなる。


組織内の合意形成は
どのように行なわれているか?
なぜうまくいかないのか?


こういうレベルの反省は
ほとんど行なわれることがありません。


正確に言うと
経営企画部などの部署の方は
考えられるのですが

それ以外では
とても軽んじられている。
そうじゃないですか?

そんな暇あったら
納期に間に合わせろ!

みたいな。


でも
それを放置しているが故に
そのツケが全部、すべて
会議に回ってきて


不毛、退屈、苦痛な会議
何も決まらない
言いたい放題の会議
説教を聞くだけのお葬式のような会議


になってしまうわけです。
さらに
こういう集団で共有した雰囲気は
伝染しやすくて、あっという間に組織全体を覆います。


乱暴に言うと


退屈な会議は
退屈な組織風土を作る


というわけです。
そんな組織から
「目を見張るような成果」が生まれるわけはありません。


こういうことは
避けないといけないわけです。

だからこそ


自分たちがどんな会議をしているのか
冷静に、客観的に振り返りましょう。


というのが「会議力診断」です。


ファシリテーター冨永は
診断の時は
観察者に徹します。
議論しません。
ファシリテーションしません。


ひと組の
目、耳に徹します。


会議はどう始まったか。
どのように進んでいくか。
誰からどんな発言がされるか。
対立や合意はどのように生まれているか。
そして、どのように終わったか。


こういうことを


じっ


と観察するわけです。
もし可能なら
その組織の方にもひとり


観察に徹する人


を選んでいただき
一緒に観察します。

その方が
より核心に迫れますので。



会議が終了したら
観察された事実をもとに
いろいろと分析をしまして



何ができていたのか。
何ができていなかったのか。
どうやったら治せるか。


をレポートします。
その組織内の暗黙の了解を無視して
かなりキツイことも書きます。


派閥とか
権威を笠に着た態度とか


そいうこと全部
「チェック」の対象です。


そういうこと遠慮なく書けるのが
外部診断者の意義ですから。


会議を観察すると


多くの会議が
議題の内容ではなく
普段の人間関係、立場に制限された
議論をしている


ということが見えてきます。


会議の問題は
会議の中にとどまらず

組織風土、マネジメントの縮図であることが
よくわかります。



ファシリテーター
冨永良史

会議力診断についてのお問い合わせは
プロフィール欄にある
メールアドレスまでお願いします。


 研究室紹介 コメント(0)
困った人を議論する。

■■発創する会議術30.■■

■困った人を議論する。


会議には必ずと言っていいほど
「困った人」がいます。


この人さえいなければ
もっとスムーズに前向きに議論ができるのに


と思わせる人です。



いっそのこと


「困った人」を議論


してみませんか?
自分のことはすっかり棚に上げ
特定個人を攻撃しないことを約束して


どんな人が困るかを
みんなでしっかり議論しておくわけです。
そうすると困った人が現れる可能性は
低くなるのではないでしょうか。



困った人とは…


拒否な人…新しいアイディアも頭ごなしに否定してしまう
ズレる人…本論からズレていく
走る人…議論を急いで、どんどんまとめに入る
自慢な人…どんな話をしても最後は自慢話
決められない人…意見は言うけれど意思がない


などがあります。
これらをみんなであげてもらって


さらに
こんな人がいると、なぜ困るのか
どうしてこうなるのか
こうならないためにはどうしたらいいのか
を議論してみるのです。


こうやって
困った人像とその対処を共有すると
困った人になりかけても

自分もまわりも
ブレーキがかかると思いませんか?



注意点は
困った人の議論ばかりしていると
みんなが


単なる
「ものわかりのいい人」


になってしまうことです。



困った人についてだけでなく
「こんな人がいてくれたらなぁ」という


「欲しい人」


についても議論しましょう。



ファシリテーター
冨永良史
 発創する会議術 コメント(0)
納得はあるか。

■■発創する組織風土11.■■

■納得はあるか。


組織運営において
もっとも大切なものは何でしょうか?


論理性?
合理性?
常識?
学術的根拠?



変化が激しく、各業務が高度化している
現在において


組織にとって
何より大切なのは


納得感


だと思います。
それは


メンバーひとり一人が
自分のすること
仲間のすることに対して
深く納得していること


○○だから
俺たちはこれをしているんだ


と確信を持っていることだと思います。



多様化と高度化の時代
何が正解なのかわかりません。
仮に正解があっても
それはその時点での正解であって
すぐにもっと正しいことが出てきます。


こんな時代だからこそ


チーム全体が
深く得心して行動できるかどうか


が成果に直結します。


論理的に正しくても
メンバーが得心していなければ
熱意のある自発的行動には結びつかない。
だから成果は生まれない。


多少間違いであっても
確信を持って行動するなら
それは岩をも砕きます。


納得されない「完璧な論理性」は
納得された「脆弱な論理」の前に
屈するのです。



論理的な正しさではなく
深い納得感を追求しなければならない。



論理的に正しいのだから
わからない方が悪いという理屈は
通じないのではないでしょうか。


少なくとも
それの考えは
チームで勝ちにいくつもりなら


無価値だと思います。



ファシリテーター
冨永良史



 発創する組織風土 コメント(2)
論理で押さない。

■■発創する会議術29.■■

■論理で押さない。


議論するときの
共通言語は論理です。

論理を共有するから
話が通じるわけです。


でも、やっかいなことに
人は論理的に生きていない。
論理的でないことを普通にやってのけるんです。


錯覚、思いこみ、意固地、権威への配慮、恐れ


などなど
論理を超えて
というか無視して行動する原因はいろいろあります。


で、もっとやっかいなことに
論理的でない行動、判断に対して


論理的にいきましょう


なんて指摘しても
言われたほうが意地になって
話がこじれるだけ。


そんなこと
ありませんか?


議論は論理的にしないといけないけれど
論理で押しすぎてもいけないんです。


好きで
非論理的になろうとしている人はいないはず。
いや、少ないはず。


誰しも
みんなに通じる話がしたいんです。

でも
その人なりの事情があって
傍から見ると「ムチャな話」になってしまうわけです。


結論を焦ると
論理で押すことになります。

でも
会議は

結論を出すところ

ではなく
正確に言うと

納得できる結論を出すところ

だと思うわけです。
なぜなら


「納得」こそ「自発的行動」の源であり
「自発的行動」こそ組織の成長の源だから
です。


たんなる結論なら
強力なリーダーシップのもとで
「決定」すればいい。


でも
今の知識社会で必要なのは


組織内に溢れる


「納得感」


だと思います。

だから


論理で押しすぎてはいけない。
その人なりの事情を無視してはいけない。
そこには、実は、すごいヒントが隠されているかもしれない。


結論を急がず。
論理で押しすぎず。



いい加減な会議
目指してます。



ファシリテーター
冨永良史



 発創する会議術 コメント(0)
魂が入っているか?

■■発創する教育術8.■■

■魂が入っているか?


ちょっと前に
かなり大きな組織の
管理職向け教育研修
見学する機会がありました。


全国区の研修機関から
実績のある講師を招き

論理的に
わかりやすく
適宜、グループ討議を交えて

よくできたプログラムでした。
参加者の意識も高く
非常に熱心な受講態度でした。


でも



響いていない。



参加者の表情を見て
直感的にそう感じました。


終了後
参加者の方をつかまえて
ちょっとヒアリングしたら


やっぱり


です。
「ねばならない」
はしっかり伝わっていても


「しよう!」
「したい!」
はない。残念ながら。



組織内のシステムについての研修でしたが
その成り立ち、動かし方については
わかりやすく説明され
実習も行なわれたのですが


なぜ
そのシステムを採用しているのか?

そのシステムを使って
何を実現したいのか?


はまったく触れられていなかったんです。


研修内容は
「どのように」
ばかりで
「なぜ」



なかった。


これは
魂が入っていない
のと同じではないでしょうか。



何かを教えるとは


なぜ
何を
どのように


がセットになっていないと
伝わりません。


いや
伝わるのですが


受け取ったほうの
動機付けがされないのです。



「なぜ」がない教育研修

実は
多いような気がします。



これからの知識社会では
組織を構成するメンバーの
「自発性」が生命線です。


ということは、つまり


「なぜ」の共有


が生命線だということです。



研修をする時は

必ず

「なぜ」

を叩き込みましょう。


それは
魂を叩き込むことなんです。


ファシリテーター
冨永良史


 発創する教育術 コメント(0)
高橋尚子、敗れる。
陸上大好きな
スプリンター冨永としては
書かずにいれないニュースです。


東京国際女子マラソン
高橋尚子
失速して3位。

土佐礼子だけでなく
尾崎朱美にも敗れる。


ずっとTV観戦してました。
30キロすぎから
ズルズルと失速していく姿は
痛々しくて見ていられませんでした。


今まで
マラソン9戦7勝の脅威的勝率で
シドニーオリンピック金メダリストで
元世界最高記録保持者で
日本人には負けなしの
高橋尚子選手が…


2時間30分も切れず
マラソン2回めの尾崎選手にも
抜かれていく映像は
かなりショッキングなものでした。


印象的だったのは


見事に高橋選手を破り
自己ベストを大幅に更新した
尾崎選手が


けっこう、ふっくら体型


だったことです。

途中でいったん遅れはじめたときは

「もっと絞らないとね」

と思ったものですが
最後に競技場に入ってきたときは

優勝した土佐選手よりも、はるかに
足取りは軽く、表情は明るかったんです。


気付いたコト。


この「ふっくら」が
タフコンディションに対する
適応力の源ではないか。


絞りきったアスリート体型は
整ったコンディションの中では
無類の強さを発揮しても

今日のようなコンディションでは
意外と弱さを見せるのではないかと
感じました。

もっとも絞り込まれていた高橋選手が
ド失速したことが象徴的に見えました。


この

「ふっくら」が適応力の源

というのは
私たちの普段の「思考」にも
当てはまらないでしょうか?



きっちり定義され
合理的に体系化された思考は

実は
変化に弱く


どこか
あいまいで
ほころびもある思考が

大きな変化に
適応しやすい。



そんな気がしたんです。
漠然とですが。



こじつけなんだけど
なにか「ほんとう」を含んでいるような気がして。



ファシリテーター
冨永良史

 出来事・日記 コメント(0)
内覧会に行ってきた。
地元の工務店「住まい工房」が開いた
内覧会に行ってきました。



地元の材料を
適材適所で
気候風土にあった工法で
自然の恵みを最大限に取り入れる間取りで


というのが
主な特徴の家作りでした。



家を見るのも
家作りを考えるのも
本当に大好きで


堪能しました。



どんな場に暮らすのかは
どんな風に考え
どんな風に行動するのかに



すごく影響すると思います。

効率とコストを考えた空間は
自然と暮らしを考えた空間には
やっぱり勝てないだろう

と思わされました。


大手ハウスメーカーと
地場工務店の構図です。



大手ハウスメーカーは
素敵な広告と値ごろ感で
心をつかみますが



やはり
こうやって
一棟一棟
こだわりを持って建てた家には
勝てないわけで。


規格品の家
大量生産の家は
個別事情にはどうしても
フィットしません。


ここでも

いつも考えている
中央から自立して
地方が自分で考える

というテーマにつながってしまったりします。


大手ハウスメーカーは「中央」
地場のこだわり工務店は「地方」


という構図です。


中央による
効率的な問題解決は

地方による
個別的な問題解決に

その質において
勝てない。



今は
質こそが
問われないと

今まで
貯めこんだ矛盾は
解決できない。


そう思います。


家作りだけの話では
ないと思います。


問題は
家を建てる側が
まだまだ「中央」を選んでしまっていることですね。






ファシリテーター
冨永良史

 ふるさと福井 コメント(0)
福井クリエーターズガイド。
福井の
あらゆるジャンルの
クリエーター情報を
ぎっしり詰め込んだ本とweb


FUKUI CREATOR'S GUIDE(福井クリエーターズガイド)


ができて
その記念パーティーがありました。



なぜか
行ってきました。


ご縁をいただいている
プロデューサーの方が
実行委員長をされてて

「よかったら、どうですか?」

と声をかけてくださったので


ホイホイ


と行ってきました。



デザイナーとか
コピーライターとか
プロデューサーとか
エディターとか


いっぱい。



全然
畑違い。
別世界。


スゴイ熱気でした。
そんなに広くない会場に
100人以上
ぎっしり。


あと
若い!


20代が
半分近くいたんじゃないかなぁ。


かろ~じて
数人、知り合いの方が
いらっしゃったので

何とか
居場所、確保。
ホッ。



体育会ノリともちょっと違う
若きクリエーターノリでした。


人を巻き込む
勢いのある
クリエートって
こういう中から
出てくるんだろうなぁ。


しみじみ
思いました。


新しいモノ、コトを
作ってやる!
って人が
これだけ福井にいるんだ
と思うと心強く感じます。


ファシリテーター冨永も
新しいカンケイを作る
ことを目指してますから。



たまには
別世界の体験も
大切ですね。


自分のやっていることを
遠くから眺めることが
できたように思います。


毎日だと
ちと辛いかも
ですけど。


ファシリテーター
冨永良史




 ふるさと福井 コメント(0)
ワタシゴトとヒトゴト。

■■発創する会議術28.■■

■ワタシゴトとヒトゴト。



会議で起きるカオスに
どう向き合えばいいのかなぁ
と考えていて
思いついたこと。


議論の混沌は
創造の源でもあるけれど
イライラの源でもあるわけで。


できれば
ゆとりをもって向き合いたいところ。
何かが生まれるのを
楽しみにする余裕が欲しい。


議論に対して
あまりに当事者意識を持ちすぎるというか
「自分がなんとかしなきゃ」と背負いすぎるというか
そういう姿勢は
余裕をなくしますね。


議論が
私事(ワタシゴト)
になると

混沌を許せなくなる
待てない。



かといって
「勝手にやってよ。俺、関係ないし」
と傍観を決め込まれても
そこからは何も生まれないわけで。


議論が
他人事(ヒトゴト)
になると

距離が離れすぎて
とっかかりがなく
何も生まれない。



ワタシゴトとヒトゴトのアイダが
いいのでは?


このビミョ~な距離を
議論に対して持てると
いい感じ
だと思うわけです。



日常では
そういう距離あります。


例えば
噂話に興味しんしんになるときとか
雑誌記事を面白がったりとか
です。


こういうときは
ワタシゴトじゃないから
何も背負わず、面白がってます。
切羽詰ってない。

でも
ヒトゴトと突っぱねているわけでもなく
自分だったらこうするとか
それなりに話題に「参加」するわけです。


噂話に尾ひれつけて
人に話してまわるとか

記事について
昼休みのダベリで
「自説」を述べ合うとか


そういうのは
ワタシゴトでもヒトゴトでもない姿勢ですね。
ちゃんと「参加」して
しかも自分なりに「創造」しちゃってる。



こういう「ゆとり」
が会議にもあるといいのではないでしょうか。



ちまたの会議を見ていると

あまりにもワタシゴトだったり
あまりにもヒトゴトだったり
しすぎているような気がして。



どっちにしても
人の話を「聴けない」状態に
なっているように見えます。



ワタシゴトとヒトゴトのアイダ
がよろしいんじゃないでしょうか?

いわゆる
イイ加減というカンジですね。



ファシリテーター
冨永良史

 発創する会議術 コメント(4)
まち、町、街。
ちょっと
作戦会議
いってきました。


面白くなるかも
です。


まちづくり関連の
ワークショップ企画。



まちづくり
って言っても

まちに対する
イメージ
不満
願い
はまったく人それぞれで



その思いを
生々しいまんま
「みんなの意見に紡ぐ」のが
理想なわけで。


まとめすぎると
面白くない
当たり前の意見になっちゃうし。


そのあたりが
今回の一番の挑戦ですね。


種々バラバラな
素材の風味を
最大限に活かした
調理方法

の探求です。



企業内ワークショップとの
一番の違いです。

企業は
いろいろな人がいるとはいっても
もともとがひとつのチームですから。


会社は会社なわけです。


でも
まちは


「まち」かもしれないし
「町」かもしれないし
「街」かもしれない。




難易度
高め
です。


でもこれは
意義深いです。


まちのもんだいは
そこの人が解決する
のがいちばんいい。

今までは
誰かが代行していました。
「公(パブリック)」
をみんなで担う、創る
という意識が希薄だった。


でも
当事者じゃない誰かによる
問題解決は
必ずしも実効性があるわけじゃない。
どんなに偉い人、専門家であっても
その地に根を下ろしてないわけですから。


地方の独立
の議論とも重なりますね。




その地のみんなが
本来持っている力を
引き出せればと
思います。



とても楽しみ
です。



ファシリテーター
冨永良史
 出来事・日記 コメント(0)
はっきり問う。

■■発創する会議術27.■■

■はっきり問う。


昨日の会議もそうだったのですが

議論が錯綜して
なんだかわけがわからない状態になること
あります。


それはそれで
意味があって

「何言ってもいいよな」

みたいな気分が共有できるし
口が軽くなって
意見の交流が進むので

チームの立ち上がり期は
特に意味あるカオスだと思います。



でも
ずっとそれでは
まずいわけで。


たまには
カチッと議論する
必要もあるわけです。


なんで
混乱、錯綜するのでしょうか?



結局のところ


「何が問われているのかわかんない」


という状態なんだと思います。



みんな
何かの問いを想定して
何かを言うわけです。

問いに対する答えが
意見。


だけど
ひとそれぞれ
想定する「問い」が
違っていたりすると


意見は
あっちこっちに
飛び散って
カオス状態に。



チームとして
何を問われているのか


この場のお題
は何か



これを
くっきり
はっきりさせること。



カオスから
抜け出す
方法です。



あんまり最初から
くっきりはっきりさせるのも
どうかと思いますけど…


議論の
揺らぎというか
緩み
って


おっ、それイイね。


というアイディア
生まれやすいと思うんで。



会議は
適当に
いい加減がよろしいかと。



ファシリテーター
冨永良史

 発創する会議術 コメント(0)
これは、カオスだ。

地元の大学
仁愛大学の金田教授が主催する


戦略的コミュニケーション研究会


に行ってきました。
1ヶ月ぶりの開催。
2回目です。



前回は
とりあえず集まって
自己紹介して

わっ、凄いメンバー!
って驚いて、ワクワクして

で、どうする?
で、どうなる?


という感じで終わったわけです。
顔合わせですね。

チームで何をするのか
どこへ行くのか
さっぱり不明
でも、面白そうという状態。



で、2回目。
みなさんモヤモヤかかえて
やってきました。


で、吐き出してみました。
今、この研究会に
希望すること
疑問に思うこと。



出る、でる、デル。
みなさんの思いいっぱい。


何を何のためにやるのか
いまひとつ見えない研究会なのに
みなさん、前向きに語ります。


なんだか
場に磁力が働きはじめてるんでしょうか。
普通、こんな漠然とした状態で
そんな前向きにはなれませんけどねぇ。


出たはいいけれど


で、何する?
で、どこ目指す?


の話になったら
錯綜、錯綜、錯綜。


これは、カオスです。


議論を落着させようとする人あれば
混ぜ返す人あり

わき道をひた走る人
思いっきり話を戻す人

しばらくカオスでいいんじゃない?って人
答えはこれに決まってるだろ!って人


まぁ、ぐちゃぐちゃです。
この展開で
みなさん、やる気失わないのは


やっぱり「場」に磁力
生まれ始めてるのかなと
感じてみたり…。


こんなぐちゃぐちゃな話
さっさと切り上げたくなりませんかね
普通は。


ぐちゃぐちゃだけど
チームのエネルギー高まってます。


前回は
顔見せ、出方うかがい
でした。

今回は
刀、ちょっと交えてみました
って感じですかね。


次回は
もうひと波乱、あるでしょうけど。

チームが育っていく感じ
自分がその中でいろいろ感じること
面白いです。



こういう

非合理
ユルユル
ぐちゃぐちゃ

から生まれるものって
面白そうです。




ファシリテーター
冨永良史




 出来事・日記 コメント(0)
誰が、ではなく、何を。

■■発創する会議術26.■■

■誰が、ではなく、何を。



言っていることはもっともだけれど
アイツに言われると反論したくなる。



そんなことって
ありますね。



そんな気持ちは
誰にでもありますが


でも
やめましょう。
不毛です。
非創造的です。



誰が言ったかではなく
何を言ったかが大切です。


いったん議論の場に出された意見は
その場の共有財産です。


みんなのモノとして
客観的に扱いましょう。



とは言うものの
意見を出すには
その人なりの事情、モノの見方が
根拠になっていることが
多々あります。


ですから

意見と
それを提案する
その人なりの根拠を
セットとして
共有財産化することが
ポイントです。



○○の見方に立てば
■■という意見が成り立つ


というセットで扱います。
こうすれば

意見が対立した場合


いったい何が対立しているのか


わかりやすく
対立を乗り越えやすくなります。



意見は


誰が言ったかではなく
何を言っているのか


に注目しましょう。



意見にくっついている名札
とっちゃってください。



ファシリテーター
冨永良史


 発創する会議術 コメント(0)
意見の上下左右。
■■発創する会議術25.■■

■意見の上下左右。


スプリンター冨永は
球技音痴なので
詳しくはわかりませんが


確かサッカーの話で


>パスをもらったら
>まず、自分の前後左右を
>確認する


ことが大切だと
聞いたことがあります。


ボールを持っている自分の位置を
確認して、次の展開を瞬時に判断するわけです。



会議でも同じことが言えそうです。



意見が出たら
その「上下左右」を確認する。



前後でなくて
上下と言うところが違います。


どういうことかと言うと


意見を議論全体の中に
位置づけるということです。

難しく言うと
意見を「定位」する。


難しいことはともかく


その意見の
上位概念、下位概念(上下の確認)
それから
類似概念(左右の確認)
を確認して


出された意見を
議論全体の中に位置づけるわけです。



例えば
ある商品をどう売るかを議論していて


チラシを作る


という意見が出たら

「上」は「伝え方」
「下」は「チラシの種類」
「左右」は「チラシ以外の伝え方」


とかが
考えられます。


「売る」ということは
例えば

①「誰に売るか(ターゲット)」
②「何を伝えるか(アピールポイント)」
③「何で伝えるか(チャネル)」

のように因数分解できるわけで
この場合の「チラシ」という意見は
③についての一例が挙げられた訳です。


このように
出された意見の上下左右を確認して
どの部分の話なのかを
みんなで共有していくようにすると


トンチンカンな発言や
無駄なすれ違いを
少なくできるはずです。


例えば

>やっぱり値段で勝負だろう

と言う意見が出てきたら
これは、上の例で言うと②の「何を伝えるか」
に関する意見なので

チラシ(何で伝えるか)とは
違う範疇にあり
同時に議論することができません。


上下左右を確認していれば
こういうことがすぐわかるのですが

確認せずにいると
対立してもしょうがないところで

チラシだ
いや値段だ

などという不毛な対立が起きるわけです。


こうやって
意見のひとつひとつを
上下左右の関係に注目しながら
つなぎ合わせていくことを

議論のコーゾー化

と言ったりします。
漢字で書くと「構造化」です。
難しいのでカタカナにしてみましたけど。



会議も
チームで勝利を目指す
スポーツのようなものだと思います。


パスを受けたら
みんなで議論をコーゾー化しましょう。



その意見の
上下左右に何がありますか?



ファシリテーター
冨永良史


 発創する会議術 コメント(0)
壁新聞のように。
ファシリテーションて
なんだか
壁新聞を作ることに
似てるような気がしてます。


というのも
僕の子供時代に遡るのですが


壁新聞作りとか
機関紙作りとか


そういう仕事が
なぜか回ってくるんです。


小学校の時から
ずっとなんです。



一番最初は
町内の子供会の壁新聞作り


友達を集めて
記事のテーマ決めて分担して
みんなに書いてもらって


で、それを集めて
文体直して、レイアウト考えて
切り貼りして完成。


なにかの賞をもらって
かなり嬉しかった記憶があります。


以来、なぜか
そんな役割が回ってきます。

大学でも
会社でも
ボランティア団体でも。


書いたものを集めて
直して、切って、貼って。
そんなことばっかりやってました。


で、思いついたんです。


ファシリテーションも
壁新聞作りみたいなものかな


と。


会議室に飛び交う意見を
寄せ集めて

切り取って
組み合わせて
レイアウトして

みんなに見せて
さらに考えてもらう。

最終的に「これだ!」と
みんなが思える紙面が出来るまで
切り取り、組み合わせ、貼り付け
をやり続ける。


プロセスは
まるで壁新聞作り。


実は
会議って
みんなでひとつの作品を作ること
なのかもしれませんね。


ちょっと
会議に前向きになったり
しませんか?


ファシリテーター
冨永良史




 ファシリテーション? コメント(0)
順番をつける。

■■発創する会議術24.■■

■順番をつける。


ひじょ~に小さなこと
なんですが。
でも大事なので。



同時に出来るはずのないことや
わざわざ同時にする必要のないことや
明らかに優先順位が異なること

について
全部を横並びにして


今、どれをすべきか


と眉間にシワ寄せて考えたり
対立してみたり
すること

あります。



>Aをやるべきだ

>いやBだ

>いやいやCがふさわしい



まあまあ、落ち着いて。


優先順位とか
ふさわしい実施順位とか


まず考えましょう。


AとBとCの頭に

数字を打ってください。


順番をつけてみてください。



どうということはない
ことですが。


どれをするか議論する前に
ちょっと、ひと呼吸置いて


順番をつけられないか


考えてみる。


それは
どうしても
ひとつに絞らないと
いけないことですか?



ファシリテーター
冨永良史


 発創する会議術 コメント(0)
地方の、今まで。これから。
わがふるさと
福井県もそうなんですが


地方にあるあらゆるものが
中央(東京とか)の焼き直し
になってます。

焼き直しならまだまし
そのままの卸売り
の方が多いかも。


地方のビジネスは
中央で生産されたモノ、アイディアの
卸売り、小売業でしかない。


そんな感じ
しませんか?



地方は
自立心、創造性
低め。
かなり。



ここ改めないと
地方在住者の僕としては
「生きがい」
見えない気がします。



今までは


中央の
すごい(と言われる)専門家が考えたことを
そのまま買う。



これからは


地元の
地味だけど真剣な人たちが寄り集まって
考えたことの中から産れる何かに
期待する。



そうでないと
いけないと思います。



中央で
すべてを把握することはできない。
地域特性に応じたアイディアが
産れるわけがない。



でも
地元の人が
ずっと見てきた、聞いてきたことを
寄せ集めて、かきまぜて、煮込めば
本物のアイディアが
産れるはず。



これからの地方は


目の前のこと
自分のこと


どこかの
すごい専門家が出してくれる
すごい「答え」に頼らず


自分たちが知っていることを信じて
自分たちで、自分たちだけの「答え」を
出していく。


そういう姿勢が必要なんだと
思います。



地方から
地方ならではのアイディアが
いろいろと生まれて

お互いに触発しあう。
東京も大きいけれどひとつの「地方」になる。

これが
健全というか
ワクワクするというか…


生きてるって感じしませんか?



そんな気にさせる「場」が
必要ですね。




ファシリテーター
冨永良史


 ふるさと福井 コメント(0)
ベタベタと貼る。

■■発創する会議術23.■■


■ベタベタと貼る。



意見をひとつずつ紙に書いて
時には図に描いて


壁にベタベタ貼ってみる。



みんなで見つめる。
いや、「観る」。



机に並べるという手もありますが
垂直面である壁に貼る方が


より「みんなで観れる」ようです。



机に並べると
その意見までの距離の差が
物理的に生まれますから。


壁に貼れば
誰からもだいたい等距離ですね。



それに垂直面なら
意見を「正面から」観れる。



こういうこと
けっこう大事みたいです。



貼ってあるということは
並べ替えられるということ。



これも大事。


思いつきで並べ替えると
思わぬ意味の連鎖が見つかって


新しいアイディアが生まれたりします。



これも
壁に貼って
みんなで観る
ことの効用でしょう。




意見を壁に貼って、観てください。
何かが生まれるかも
って期待して、観てください。



ところで
会議室の壁、空いてますか?



ファシリテーター
冨永良史





 発創する会議術 コメント(0)
やっぱり流される。

ウチのすぐ近くにできたラーメン屋


幸楽苑

に行ってきました。
中華そば290円に引かれました。
正直なところ。



でも、おいしかったです。
夫婦で行ったので
最低580円+税
で済ませられるのに

1600円以上
払ってきました。


この辺
作戦にはまってるんでしょうね。



さて、どうでもいいことですが
気になる出来事がひとつ。



その店
すごく行列ができていて
あらかじめ、入り口で
名前と人数を書いておくルールになってんたんです。



書きました。
普通に


冨永
2人


て。
そのときちょっと気になったんです。
リストの上の方の人は
ずっとカタカナで書いているんです。


なんでこんな変なことするんだろ
と思いつつ


自分の前の6、7人は
ちゃんと漢字で書いていたので
それに倣って書きました。




自分が席につける番になって
気付きました。


そのリストのすぐ上に


「お名前をカタカナでお書きください」


ってちゃんと書いてあるんです。
そんなの、全然、読まずに


自分の前の人がどう書いているか


だけを頼りに自分の行動を決めてました。



気になったのは
ちゃんとルールが明示してあるのに
それは全然、視界に入らずに
周りの人がどうしているかで
自分の行動をキッパリと決めていたこと。


それどころか
ルールを守って、ちゃんとカタカナで書いている人
のことを「変なことするな」と思っていたこと。



あぁ~
こうなるんだ。


とつくづく思いました。



何が正しいかわかりきっていても
正しいことが少数派になってしまうと
ましてやひとりになってしまうと

そのわかりきった正しいことを貫ける人は
ごくわずかだと言います。


いかに
まわりの行動が自分の行動に影響するか
を思い知らされたわけです。



ちょっとしたことでしたが
すごく印象に残りました。


以後、気をつけます。



ファシリテーター
冨永良史

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