発創アリ。

2006 10
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困った会議。

■■発創する会議術1.■■


日本中に会議が溢れてます。
で、そのほとんどが退屈なんです。
でも、会議には膨大な時間が費やされています。

GNPをどうこう言う前に
この無駄に費やされる膨大な会議時間を何とかすべきです。



■これは退屈だ!

ほとんどの会議はホント~に退屈。
例えば…

報告しているだけ。
だったら、メールにしてください。

最初から筋書き決まってる。
だったら、指示・命令にしてください。

重役の意見は絶対。ご機嫌取りばかり。
だったら、役員さんだけで決定してください。

みんな言いたい放題、支離滅裂。
ストレス解消は飲み屋でやってください。

すぐ多数決をとる。
だったら、話し合わなくていいですよね。

相手の意見を否定することに快感を覚えている人がいる。
たまには、自分の立派なご意見を述べてください。

支離滅裂、言いたい放題を、事務局が整然とした議事録にまとめる。
だったら、全部事務局に決めてもらってください。


などなど
立派な会社も、中小企業も、お役所も
似たり寄ったりじゃありませんか?



■3人寄れば文殊の知恵のはずが…

こんなことに貴重な人生を捧げているなんて
生まれてきた甲斐がないと思いませんか?


何のために、会って、議論してるんでしょう。
3人寄れば文殊の知恵、だからですよね。

でも、こういう困った会議は
3人寄れば、バカの3乗、というだけです。

顔をつき合わせている意味がない。
というか時間をかけてストレスだけ貯めているんだから
犯罪的に、無意味です。



■会議が変われば組織が変わる

退屈な会議、無意味な会議を
創造的な会議、有意義な会議に
生まれ変わらせる。

アイディアと活力が生まれる
発創が生まれる会議ができれば
組織は生まれ変わります。

そんな会議術を研究し、提供していくのが
発創デザイン研究室の大きな役割です。

これから
「発創する会議術」というカテゴリーで
退屈な会議を生まれ変わらせる方法について
ボチボチとお知らせしていきます。

 発創する会議術 コメント(0)
限界に挑む。

幼い娘と砂場遊びしてました。
久しぶりに砂に触れたら、無性に穴が掘りたくなってきて
砂場用におろしたスプーンで穴をほってました。

そしたら、だんだん熱中してきて
どこまでもどこまでも深く掘ってやろうと
手が止まらなくなったんです。

何の特にもならないのに
ただ深い穴を掘り続けるだけ。
なぜか無心で熱中してました。

そう言えば、砂場に出る前には
家の中で、娘と、積み木をどれだけ高く積めるか
に挑戦してたんだっけ。

かなり掘ったんですけど、硬い地盤に当たって
どうしようもなくなったところで
お昼ご飯になりました。

テレビを見たら、大食い王決定戦。
ジャイアント白田とかギャル曽根とかキング山本とか
まるでレスラーのような名前の人たちが
ひたすら食べ続けてました。

これは、もはやスポーツですね。
食い入るように見てしまいました。
「よし、いった」とか「あぁ、負ける」とか
声を出しながら…。

そう言えば、つい先日
肉体の限界に挑むテレビ番組
「筋肉番付」とか「サスケ」にも
熱中してました。


砂場で穴掘りも
大食いも
筋肉番付もサスケも

ごく単純なルールの中で限界に挑む

というところが
ひかれるポイントみたいです。
単純だからこそ、ドラマがあるぞ
みたいな感じですね。


あと共通するのが
充足感。

穴掘りの時の僕も
無心で充足してましたし。

テレビで大食いや筋肉番付やってる人も
すごいいい表情してる。
勝ったらなおさらです。

そこにまたひかれます。
そういう表情って、日常では
実は、なかなか見かけない。


それで、わかりました。
なんで、こういう単純、限界挑み系にひかれるのか。
それが僕だけじゃなくて、実はかなりの人がそうで
テレビでそれなりの視聴率を取っている。

それは、日常にないからなんです。
日常になくて、でも、実は
こういうことが日常にあって欲しい。
こうやって、自分の可能性をイッパイイッパイまで
引き出してみたい、表現してみたい。

そういう思いが背景にあるのではないでしょうか。

本当は、自分の仕事が、生活が
そういう場であるべきなんですけど。

欲しいモノは何でもそろう世の中ですが
こういう充足感は、実は、滅多に手に入らないんですよね。





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数学の学び方。

■■発創する勉強術1.■■


発創デザインの実践の場として
セミナー、コンサルティング以外にも
学習を主宰しています。

中心は高校生の数学

生徒の中心は
当地の有力進学校の生徒。

彼らの勉強振りを見ていて疑問に思うことがふたつあります。



■こんなに勉強しなくていい!

ひとつは、学校の教材の豊富さ。というか無駄に多い。
ある問題集が終わると、すぐ新しい問題集が与えられる。
次から次へと教材をこなしているのだけれど
消化不良の生徒が多いようです。

こんなにたくさんの勉強をする必要はないと思います。



■答えを見て何が悪い!

もうひとつは、答え・解説を与えてもらえない。
問題集に答えはついているのですが、ごく簡単なもの。
そこに至る解答プロセスは書いていない。
出版社から取り寄せようにも
学校以外からの注文には応じてくれない。

そこは授業で説明するから
というのが先生の言い分でしょうけれど
それじゃ、学習効果が薄いんだって。
自力で解けなかったら、授業まで解答がわからない
というのが最大の問題。

自力でわからなかったら、即、答えを見て
その見事な解きっぷりに感動する。
この即時感動が必要なんですけど。

答えを見るとき、凄く勉強のチャンスなんです。



■「普通の授業」じゃ伸びない

一般的な学校のやり方は
問題集を次から次に与えて、解かせ
授業で解答を解説する。

このやり方は伸びない。
伸びる生徒もいるけれど、ごく一部。

大半は、あまりの問題量と
消化不良のまま進むことに嫌気がさして
モチベーションを大きく下げてしまう。
で、数学がわからない、とにやってくる。



学校の逆をやろう!

ウチのでは学校の正反対をしてもらう。

まず、問題数は、ほんのわずか。
丁寧な解答・解説が載っている問題集を使います。
これ、実は学校で与えられている副教材なんです。
授業で扱わないものだから、みんなほとんど読んでない。
でも、凄く良くできている教材なのでで使う。

次に、解くのではなく、問題と答えを丁寧に、丁寧に写す。
お経を写すように、集中してやってもらいます。
解答を書いた人の思考プロセスをたどりながら。



■思考プロセスを育てる

こうすることで
集中して数学の思考プロセスと
それを論理的に解答として表現することを
学びます。

問題を写している間に
「これどうやって解くんだろう」
と疑問が浮かぶ。時には解き方を思いつく。

答えを写し始めると
「ナルホド!」「やっぱりそうでしょ」
と言う具合に、頭がスカッとする。
このプロセスを短時間で経験することが大切。

今の学校の授業じゃ、これがない。
次から次へと違う問題をやって
身につける暇がない。
感動する暇がない。



■丁寧に、感動と共に学ぶ

生徒たちの「自力」で解いた解答を見ていると
答えは合っているんだけれど、プロセスが雑。
丁寧に、論理的に解く、ということを普段していないから。
とにかく答えを出す、ということばかり考えているから。


プロセスを深く、丁寧に、感動と共に学ぶことで
応用範囲が広がっていきます。

これは何も数学学び方に限ったことではない
と思います。

ビジネスの現場はスピード社会なので
答えだけを付け焼刃で身につけて
即席の知識をツギハギして戦っているようなところがあります。

そうではなくて
もっと根本から丁寧に学んでいくことが
最終的には、継続性のあるビジネスを生むのではないでしょうか。



■大切なことをじっくり詰め込め!

大人の社会の学びも
子供の社会の学びも
何か、余裕が感じられません。

学びはもっと余裕をもって
なされなければならないと思います。

といっても
自発性尊重の「ゆとり」教育ではなく

ゆったりと、大切なことを「詰め込む」
詰め込み教育が必要です。

基礎を詰め込んではじめて、応用が生まれるし
基礎をつかってやろうという自発性も生まれるものでしょう。







 発創する勉強術 コメント(0)
人間が変になってる。

スタジオジブリの新作「ゲド戦記
観たいんですけど、子供がまだ小さくて
映画館を怖がるので、DVD出るまで我慢です。

ジブリ作品は家族みんなで観ると決めてるので。
映画館行くかわりに、近くのレジャーランド?で開かれていた
ゲド戦記展」に行ってきました。

映画を解説したパネルとか
実物大のキャラクターの人形とか
映画の場面を再現したセットとか
が展示してありました。

ジブリ作品はとても好きです。
なんだか人間をやさしい方向に導いてくれそうな感じがして。

会場では予告映像が繰り返し流れていて
そこで登場人物が口にしたセリフが心に残りました。

『人間が変になっている』

ストーリーを知りませんから、どんな脈絡で言ったのか
わからないのですが、多分

本当に大切なものを見失ったまま
大切でないものに追い立てられて生きている
そして、大切なものを失いつつある

こんなニュアンスが伝わってきました。
人間が(社会が)変になるときは
みんなで一斉に変になるので、無自覚なりがちだと思います。

でも、映画の登場人物の口から言われたとき
やっぱり、そうだよなぁ
としみじみ感じました。


誰も彼もが本当に忙しい
みんな仕事、子供のこと、お金のことに
追い立てられている。

そんなに忙しい思いをして手に入れている生活は
不満、不安がいっぱい。

通勤途中の風景を改めて見つめると
悲しくなりますね。

みんな、本当につまらなさそう。
これから一日が始まるというのに。

忙しいばかりで
充足感がない。

自分の充足にとってたいして重要でないことに
追い立てられ、忙しい思いをし、嫌な思いをし
その結果、得られるものは不満、不安がいっぱいの生活。

自分が本当は何を欲しいのか、思いをめぐらす暇もなく
正体不明の不満、不安を解消するべく走り続ける。

やっぱり
人間が変になってます。

そんなに働いて、どうするんでしょうか。
どうせ働くなら
心の底から納得できる理由をもって
働きたいです。

ぜんたぁ~い、止まれ!



働く意味、考え直したほうが良くないですか?
今のままなら
働けば働くほど
疲れるし
疲れると余裕無くなるし
発散したくなって
たいして生産的でないストレス解消に時間とられるし

それに
一生懸命働くということは
生産活動を盛んにしているということで
ということは
今の世の中の仕組みを考えると
たいてい、環境破壊に加担するわけです。

ほとんどの生産活動は環境破壊。
これはどうしようもない現実です。

人間だけは環境破壊なしに生きて行くことは不可能。
だったら
理由に誰もが納得できる破壊だけにしないと。

そのためには
ぜんた~い、止まれ!
です。



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学級崩壊

ヤフーで産経新聞の記事を読んでいたら
学級崩壊のことが載っていて

従来の「反抗型」ではなく
「なれ合い型」の学級崩壊が増えている

らしい。
反抗型というのは、先生に文字通り反抗して
学級運営ができなくすること。

で、
なれ合い型というのは、先生と生徒が友達感覚のついきあいに
なってしまって、規律がいい加減になって
学級運営ができなくなること。


なんだか
反抗型を目の当たりにして、生徒が怖くなった先生が
やさしく、個性を尊重して向き合うようになったら
なれ合い型になっちゃった
みたいな感じですね。


先生は、生徒に圧倒的な力の差を見せ付けないと
いけないと思います。
逆立ちしてもかなわない、なんであんなことできるんだろう。
と、思わせないといけないんです。

親もそうです。

先生とか親とか、指導的な大人は
親しみも大事だけれど、まず何より
「圧倒的な存在」でないと。

そういうのを目指さないと。

子供よりも数十年は長く、この世にいるんですから
その蓄積の違いというのものを見せ付けられるようでないと。
そのぐらいの自負心ないと
先生とか親とか、なっちゃいけないです。


とか言って
自分は、そういう「自負心」と「現実の小さな自分」の間にある
大きな大きな断層に日々、落ち込みますが。

でも
すぐ立ち直ります。

子供に見せなきゃいけないのは

理想を持っている姿
現実を正直に見つめる姿
その間の断層から逃げない姿

だと思いますから。

何も超人でなくてもいい。
天を仰ぎ、足元を見つめ、一歩一歩、地道に進む

そういう姿で圧倒したいな、と思っています。

 発創する教育術 コメント(0)
錆びついた水道。

次のこと、自分に課します。

当ブログの更新は、毎日、3回以上

やります。
思いついたことは、極力メモするようにしていますが
ブログと自分のメモの大きな違いは

人目に触れること

これは、大事だと思うんです。
自分の脳みそを、外に向けて

タレ流す

ことで、発想が開放される気がします。

思いついたことは
メモするんじゃなくて
人に話せ
人の脳みそにメモするんだ

と言う人がいますが、こういう理屈ではないでしょうか。
人に伝えることを前提にすると
自分へもしっかり伝えることになるようです。

自分向けにメモしているより、ずっと
脳に刻まれる感じ。

それを、自分の身近に話すのではなく
(可能性的には)万人に見てもらえる
(可能性的には)誰かを触発すれば、反応ももらえる
ブログに公開することで
より、効果が上がると思った次第です。


で、それはそうだとして、何で1日に3回もか。
ここでやっとタイトルの
「錆びついた水道」
につながります。

以前、大学の先生から聞いた話がずっと頭に残ってます。
ブレーンストーミングをするときの説明の中にあった言葉です。

>脳みそは錆びついた水道みたいなものです。
>普段考えないことを考えようとしても
>錆びた水道と同じで、最初はにごった水しか出ない
>ろくなアイディアは出ないんです
>それでも、あきらめずに、ずっと出し続けると
>その内、きれいな水、使えるアイディアが出るんです

という内容でした。
これに深く納得したので

ブログの更新は、毎日3回以上、
単なる思いつきを、外の世界に
タレ流す
ことに決めたわけです。

ほとんどは、錆びた水でしょうけれど
たまぁに、綺麗な水が出てくれるはず
と、信じて。

で、早速、今日、これが3回目です。





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終わらない話。

たまに自分も陥るのですが
昨日は、現場を生で見かけました。

終わらない話。
長話。

窓の外には
ずっと立ち話を続ける奥さまが2人。
ラクに1時間以上、立ってない?
明るいうちから話し始めて
すっかり日が落ちるまで。

今の話題が一段落して
ちょっと沈黙が入って

終わるかな…

と思うと

「そうねぇ」

みたいな、何に対してか不明の相槌をはさんで
全然、違う話にうつっていきます。


僕も電話で同じようなことあります。
終わるきっかけを見失ってしまうこと。

沈黙が入ると
前の話題をくりかえしたり
今のどうでもいい雑談をなぜか深堀・発展させてみたり
突然、最近見かけない人の話をしてみたり。


なんで終われないんだろう。
どこで出口を見失ってしまうんだろう。

だいたい
散々、延々、どうでもいい話をして
ふっと場に訪れる疲労感みたいなものを
共有すると

「それじゃ」

なんて、唐突に終わったりします。
今まで、あんなに終わるのを避けてたのに。


なんで終わらないモードになってしまうんだろう。


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キャリアカウンセラーのように。

これからの企業経営者は
ある意味

キャリアカウンセラー

のようになっていくと良いのではなかろうか
と思う。


社員ひとりひとりが
経営者の声に触発されて
大きなビジョンの中に
自分のビジョンを紡ぎこんでいく。

そんな組織は
ものすごく団結して
ひとりひとりが生き生きして
成果を継続的に出していくだろう。


社員に
自分自身のキャリアを描かせるだけの
刺激を与えられるか
触発する問いを、機会を与えられるか

それが経営者には求められると思う。


強圧的な指示・命令によって
触発はされないだろう。

抽象的な夢物語によって
触発はされないだろう。

独りよがり、自分勝手な夢に
触発はされないだろう。


社員のひとりひとりと共有できる
具体的な夢を描ける経営者。

新しい視点、高い視点を示して社員を触発し
新たな可能性を発掘させてあげる経営者。

そんな経営者に必要なのは
「まず知識」でないことは、もはや明らかだ。
財務諸表を読む能力でも、製品知識でもないように思える。

ビジネススクールに
経営者養成のクラスを作るとして

そこに真っ先に入れるべき科目は
なんだろう…


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腹の底から納得する。

■■発創って何だ?3.■■


腹の底から納得する

というのは「深く納得する」ということを表した「喩え」だと
理解していたのですが。

ひょっとして違うかも。
実際の現象をさしているのかも。



納得の電気信号

神経回路は全身、隅々まで行き渡っていて
そこに脳から指令が電気信号のような形で発信される。

ということは
脳で「納得」したら
その感覚、感情も、少しは電気信号になって響くのでは?


■五臓六腑に染み渡る

悩んでいると食欲がなくなるのは
悩んでいる状態を脳と消化器官が共有しているということ
ではないだろうか。

深く納得すると
納得」の電気信号が五臓六腑に染み渡るんだ。
きっと、そうだ。

 発創って何だ? コメント(0)
ちょっとしたことだけど。

相手から思いを引き出すための
ちょっとした質問の仕方。


ついさっき、新聞の販売店の方がやってきました。

「今、お客様のところを回らせてもらってるんです。
配達で何か不都合な点はありませんか?」

と訊ねられました。
顧客の声を集めて、サービス改善につなげようという趣旨でしょう。
でも、朝で、ちょっとぼ~っとしてたし
突然だったので、うまく言葉が出てきませんでした。

その直後に

「遅いとか、濡れているとか、破れているとか…ありませんか?」

と例を挙げて訊ねられました。
そしたら、頭が回りはじめて
新聞配達に関することをず~っと思い返した上で

「特に問題ありませんよ。ご苦労様です」

と答えられました。
どうってことないやりとりなんですけど。

ただ自分の聞きたいことを質問するだけじゃなくて
例を挙げて、相手の頭の動きをすこ~し後押しするだけで
ずいぶんと考えを引き出しやすくなるものだな。
と改めて感じた出来事でした。

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ホームページ、オープン
発創デザイン研究室のホームページ
やっとオープンしました。

「こちら、発創デザイン研究室。」

会社の看板だしプロの方に作ってもらおう
と思っていたのですが

いや、やっぱり、自分でやりたい。
どうやってHPというものができているのか
最低限は知っておきたい。

という思いがムクムクとわきあがってきて
PCと仲がとっても悪いことは、すっかり棚に上げて
苦心サンタン1週間。
で、やっと出来上がりました。

出来栄えは…
やっぱり、アマチュアですね。ど~みても。

でも、ここからスタートします。
ともかく自分でやってみないと気がすまない性分なんで。

少しずつ、成長させていきますので
気長に見てやってください。


 研究室紹介 コメント(0)
体力養成ゲームセンター。

ゲームばかりしているから体力が低下するんだ。
なんでもすぐにリセットしたくなるんだ。
こんなことじゃ、国の、いや世界の将来はどうなるんだぁ!

これはどう考えても、子供をゲームで洗脳している
ゲーム会社が悪い。

だからゲーム会社は社会に対する責任、いや賠償として
体力増強のためのゲームを開発して
無償で配布すべきだぁ!と思いつきました。


きっかけは、昨日の日経新聞の記事。
若者の体力低下に歯止めがかからない
らしい。

特に持久走。
1500mが
17歳男子で6分20秒
19歳男子で6分40秒

現代の若者は
高校まで出てしまえば、運動を自分から進んでするなんて
「ありえない」ということだろうか。

大学で体育会に入ってまで運動しようというのは
今やかなり奇特な部類らしいし。

とか考えて、外を眺めると
近所の子供が小さなゲーム機を持って
外で遊んでいる。

そう
ゲームばかりせずに外で遊びなさい!
などというセリフは通用しないのだ。

昔ならテレビモニターを使わないとできなかった
高度なゲームが、手のひらに乗るくらい小さな画面に入ってしまって
「外で」できてしまうのだから。

こんな現状を作り出したゲーム会社は
社会的責任について、どう考えているのだろうか。
責任を果たす気はあるのだろうか。

脳を鍛えるゲームをいくら作っても
身体を動かすゲームをいくら作っても

そんなことじゃ
まったく償いにはなってない。

犯している罪は重すぎる。

将来を担う子供たちから
大切な大切な身体感覚を奪っているのだから。

アメリカではタバコ会社が
多数の喫煙者の健康を害したとの理由で
天文学的数字の賠償金を払わされている。

だったら…
ゲーム会社の子供に対する罪は、その比ではないはず。
子供は「これから」の存在なんだから。

それは子供の将来だけでなく
社会の将来を変えてしまう、重大な罪だ。

タバコの比ではない巨額の賠償をすべきだ。
ゲーム会社なんだから
賠償はゲームでしてもらってはどうか。

全国各地のすべての町内に
体力養成型のゲームを備えた
「体力ゲームセンター」を開設してもらう。

開設費も運営費もすべてゲーム会社負担。
町内の人はみんな
ゲームをしながら、体力増強する。
健康になる。
融和する。

ゲーム会社も自身の強みを十分に生かして
この上ない社会貢献ができる。
存在意義をアピールできる。

そのくらいしたっていいはずだ。




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雰囲気に目を向ける。


■■発創する組織風土1.■■


■忘れてませんか?人間には感情があります

経営において注目されるのは
戦略、マーケティング、人事、財務などなど。

どんな戦略のもとで
どの市場に、どんな資源を振り向けるか
そのための原資は、どこからどれくらい調達するか
投資効果をどれくらいと予測するか。

といったことが考えられるのが普通。

でも、忘れてはいけないことがある。
これらを実行するのが感情を持った人間であるということ。
盤上の駒ではないないということ。

どんなにその戦略が正しくとも
マイナスの感情を持っているときには
正しく実行されない。
だから計算ではありえない結果が出る。



感情が結果を導いている

経営において、組織運営において
感情を望ましい状態に保つためにどうするか
はもっともっと注目されて良いはずだと思う。

感情によって外界の認知の仕方が変り
認知が変れば判断が変り
判断が変れば行動が変る。
だから結果が変る。

心の持ち方しだいで
新しい発想がどんどん広がることがあるし

一方でマイナス感情の虜になれば
素晴らしいチャンスを見逃すこともある。

戦略が結果を導くのではなく
感情が結果を導くのだ。



■感情を導くもの。雰囲気

そして感情は
場の雰囲気に大きく左右される。

感情への注目は
雰囲気への注目につながる。


プラスの感情をもたらす雰囲気
どのように形成されるのか。

プラスの感情を阻害する雰囲気
どのように形成されるのか。


■最強の経営資源

雰囲気はお金をかければ作れるものではないが
お金と時間とエネルギーをかけて追求すべきものだ。

雰囲気は作ってしまえば
盗めない。
最強の経営資源ではないだろうか。
 発創する組織風土 コメント(0)
意識の高まり。

環境ISOについての新聞記事。
要約すると以下のようになる。

環境ISOの認証を更新しない自治体が相次いでいる。
理由は認証維持コストがかさむため。
紙の使用量の削減など、一定の効果が見られたため
自己宣言でも効果は維持できる。
環境ISOに賛同する人たちからは
民間への波及の恐れ
せっかく高まった環境意識の低下の恐れ
が指摘されている。
(以上)

気になるのは
「民間波及」と「環境意識低下」
のところ。

「民間波及」の意味するところは

官がISOを取れと言ったから取ったのであって
官が更新しないのなら、我々もしない

ということ。
「環境意識低下」の意味するところは

ルール、マニュアルが無くなるのなら
廃棄物削減も、省エネも持続しない、できない

といことである。
つまるところ、
ISO的な「縛りがなければ結果は出せない」
ということであり

意識の高まり」など
実は、もともと期待されていないことが見えてしまっている。
官が考えていたのは
「縛りで効果を出す」
ということであり、環境意識を高めることではない。

意識の高まり、と見えたのは
環境に対してではなく
ルールから逸脱することに対する意識である。

みんなが守っていることから外れるのは嫌だ
ということであって

環境の一部である人間を意識したものではないだろう。

それは、外発的動機付けに過ぎず
内発的動機付けは、ついになされていない。


環境問題は
あらゆる人を巻き込まなければ解決しないものである以上
縛りで人を動かす必要性は、大いにあるだろう。

しかしながら
「まず、縛り」になっているところが効果の持続性への
可能性を閉ざしている。

信じられているという実感が弱ければ
裏切ることへのハードルは低い。

信じることから始めたい。

痛い目にあうからやらない。
ではなく
○○○を実現したいから、やらない。
でありたい。








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数値は目標か?
目標はできるだけ数値化しましょう。
でないと、達成、未達成が判定できませんから。

と、よく言われます。
学生の時から「点数」を競っているわけですから
心のどこかで違和感を感じながらも
社会では、この「わかりやすい」目標管理制度が
主流になっています。

しかし
この「わかりやすい」目標管理制度のもとで
何が起きているか
は、よく振り返るべきです。

そこで起きているのは

すべてに優先する数値の追求

です。

企業であれば
月末、期末の「売上げ作り」
どんなことをしても数値を達成しようと
あらゆる仕事を「換金」しようとします。

この時の判断基準は
数字になるのか、ならないのか?
であって、決して
やりたいか、やりたくないか?
ではないし
意義があるか、貢献できるか?
でもないのです。

すべての企業、あらゆる場面でそうだ
とは言いません。
が、期末の追い込まれた時、多かれ少なかれ
信じていたはずの理念や方針は脇にどけられ
数値を達成するための手段に対する判断基準は甘くなり
数値を血眼で追うのです。

ここで考えなければならないのは

売上げの数値こそが
テストの点数こそが
成し遂げたい、成し遂げるべき目標だったのか?

ということ。

これは、断じて「NO」です。であるべきです。
企業に社会性、精神性が求められる
知識社会において
売上げ数値こそが目標である
などと思っていたら、市場からの退場は間近です。
テストの点数が高いだけの学生が
社会から期待されていないのは、言うまでもありません。

では、常に追い求めるべき目標は何か?

それは
自分たちの信じる価値を社会に広める
であったり
その価値自身を高める
であるはずです。

「売る」とは
信じる価値を世に問う、「布教」に近い。
「高める」とは
より信じられる価値を見出す、「修行」に近い。

そう、思います。

数値化された目標はゴールではありません。
それは単なる指標。

何キロ走ったか
が問われるのではなく
走ることで、何を世に問うたか?
走ることで、何を身につけたのか?
が問われるべきです。

企業が期末に売上げに血眼になる姿は
学生がテスト前日に徹夜で丸暗記し、点数を確保する姿
に重なります。

テストが終われば、すべてを忘れ
何も身についていない。
何のための勉強でしょう。
決して点数という数値が目標ではないはずです。
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話し合えない。


国会の様子がニュースで放映されています。
主人公は違えど、いつもの様子です。
そして、いつも思うことがあります。

この人たちは、話し合えないのか?
対立をより良いアイディアへと昇華する気はないのか?

これは国会に限ったことではありません。
おそらく、日本中の「話し合い」の場で
これとなんら変らないことが起きているのではないでしょうか。

話し合うとは
まず、お互いの意見を聴き、理解し合うこと。
次に、何が同じで、何が違うのかを整理すること。
さらに、話し合いを通じて実現すべきこと
または、究極の理想を共有した上で
違いの源を見極め、どのように解消するか
アイディアを出し合うこと。
出てきたアイディアは、相対化し
納得度と現実度の高い結論へと収斂させていくこと。

国会を、そして身近なあらゆる会議を思い返すと
まず、第一段階の「聴く」というところでつまづいています。
聴いてないのに、合意なんてできるはずがない。

こんなときに出される結論は

話し合った末に、多数決で、提案がそのまま決定へ
とか
お互いの主張を取り入れて、あれもこれもあり
とか
過度に抽象的にして、対立点をなくしてしまう

みたいなものになります。
そして、さらに困ったことに
これらの結論は、話し合いの当事者ではなく

巷に言うところの「事務局」「事務サイド」で
きれいな文章に「取りまとめ」られるのです。

いったい、話し合いの場で
何をしようとしているのでしょう。
これではまるで「儀式」です。

最初から結論は決まっている
または
結論の創造度というか、新しさには
限界があらかじめ設定されている
ようなものです。

お互いに考えを交換し合い
脳みそを混ぜ返すような議論から生まれる
創造性に対して
何の可能性も見出していない。

彼らが考えているのは
いかに自分の考えを通すか
であって

より良い考えを生み出す

ということを信じていない。
ならば、話し合いなんてしないでいいじゃないですか。
ひとりで決めて、独裁すればいいじゃないですか。


話し合いを成り立たせるメンタリティーとは
どんなものか

それはなぜ、失われているのか
または、もともとないのか

重要なテーマです。







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