発創アリ。

2006 09
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学ぶということ。
学ぶということは
実践への動機を手に入れると同義であるべきです。

確かに「教養」に類する学びは直接実践には結びつかないように見えます。実践は「実学」の中においてのみ成り立つように見えます。

狭い意味においてはそうです。
もう少し「実践」を広くとらえ
実践=自らを動機付けて行動する
とするなら

あらゆる学びは、実践に結びつくべきです。

知ったら終わり、は学びではない。
「私は~を知っています」は学んだことにならない。

何かを学んだなら
その影響のもとで
自ら動機付けられて行動する範疇が広がらなければならない。

たとえ文学のような行動との連関性が低いものであっても
自ら思索する(できる)範疇が広がってこその学び
思索が広がった結果、行動が変容してこその学び
だと思う。

自分の反省も含めてだが
「知ったら終わり。私は~を知っている」式の学びが
多すぎないか。世の中にあふれていないか。

つまるところ
「伝えたら終わり。脳みそに詰め込んだら終わり」式の「教え」が
多すぎないか。
何の実践ももたらさない、行動変容ももたらさない「教え」があふれていないか。

教えとは、学びとは、どうあるべきか。
学校教育も、社会人教育も、無反省にすぎたのではないか。


学ぶとは
学んだこと(の応用)を現実の中で実践する動機
を手に入れること。

学ぶとは
知った、ではなく
さらには、できるようになった、ですらなく
知ったことが、できるようになったことが
やりたくなる、やるべきだと感じる
ようになることである。


学ぶ側も、教える側も
そういう意識を持たなければならない。



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ISO的なもの。
当研究室の代表は以前、ISOコンサルタントを
生業としておりました。

その時以来、感じ続け、当研究室設立の動機にもなったこと
について書いてみます。

どうしょうもなく自律性、創造性を失っているように見える企業
そして、それを加速させるかのようなISOの影響についてです。

ISOとは国際標準化機構という組織の略号です。
ネジやフィルムの感度や非常口のマークなどなど
世界共通にしておいた方が良いと判断されるものの
標準化=規格化をしています。

その規格の中に
環境のISO14001とか品質のISO9001とか
マネジメントシステムの国際規格があります。

今はだいぶ落ち着きましたが
数年前まではISO狂想曲とでも言いたくなるくらい
中小企業までが競ってISO認証を取得していました。

理由のひとつは
取引先の大企業に要求(脅迫?)されるから
もうひとつは
行政に推奨(脅迫?)されるから
です。

ISO認証を持っていないと取引しないよ
みたいに言われるわけです。

ISO認証の本当の狙いは
しっかりしたマネジメントを行っていることを審査
安心できる企業であると認めよう、安心できる企業を増やそう。
といったものでした。
行政の狙いもこれに一致しています。

ところが、実際に起こっていたことは…

簡単にISO認証を取るには?的なコンサルであったり
手に取るようにわかるISO規格?的な解説本であったり
何より最悪なのは
審査の時だけしっかりとしたマネジメントの振りをして
ちゃっかり認証取得し、あとは元の木阿弥の企業…

こんなことばかりがISO市場では起こっていました。

企業をマネジメントするとは
どこかにテキストがあって、そのとおりにすればできることではありません。
コンサルタントや解説本に従って、マニュアルをあれこれ作ってみても成果が出るものではありません。

子供の教育と同じで、目の前の社員をしっかりと見つめて
その一人一人に対して、経営者としての信念を持って語りかけていってこそのマネジメントです。

なのに、企業は「国際的に通用する」ISOマネジメントに飛びついた。
まるでそれが「答え」であるかのように。
結果として、日本全国に、そっくりのマネジメントマニュアルがあふれかえっています。
使えないマニュアル、使えないマネジメントが。

マネジメントに原則はあっても、その適用は自分の頭と心と体を使って考え抜くもの。ISOが示したのは原則の「さわり」程度です。

行政はISOを使って
まるで金太郎飴のように、規格品の「すぐれた企業」が量産できる
とでも思ったのでしょう。

でも、出来上がったのは、今まで以上に「よそのお手本」に依存する自立心と創造力のない企業群です。

ISOのコンサルをしているとよく尋ねられました。
「このISOの条文について、何をすれば審査に通りますか?」

…唖然、呆然、愕然の毎日でした。

ISOに書いてあったら、審査員が求めたら、何でもしそうな気がして。
ISOに書いてなかったら、審査員が求めなかったら、何もしなさそうな気がして…

常に、こう答えました。
「その前に、あなたの会社では何を実現したいのですか?」
「何をすることに充実感を感じますか?」


ISOが企業と行政の他人任せなメンタリティーを浮き彫りにしただけで
それ自体には罪がないのかもしれません。

あらゆる人は、組織は、自分の外に、楽に手に入る「答え・お手本」を求める弱さがあります。どんなに強い人にでもあるでしょう。

でも、それに飛びついてはいけない。
自分たちの中にある、自分たちが生み出しうる
自分たちだけの「何か」を捜し求めることをこそ
まず始めにすべきだと思います。

まず自分を、自分の脳みそと身体を信じてみる。
そして仲間を信じてみる。
正解を外に求めない。

そんな姿勢こそが必要なのではないでしょうか。
これからの時代は創造性こそがすべての源でしょうから。

ISO的なものを外に求めるのはやめにしましょう。




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発創と身体感覚

■■発創って何だ?2.■■


身体だって考える

考えること、感じること、発創すること
これらすべて頭ですることだと捉えられています。
脳の作用として思考が起きるのだと。

しかし
身体感覚が思考に大きな影響を与えているのではないでしょうか?

自分の身体についてどんな感覚を持っているかは
その人が思考からどんな判断を下すのかに影響している
と思います。



■脳みそ思考の限界

脳が思考を生み出すと考えている人
言いかえれば
頭脳労働者だいう偏った自負をしている人
が考えることというのは

理想にすぎたり、対象の人間的側面(感情やあいまいさ)を見失っていたり、過度に論理的・専門的で共感を呼ぶ力に欠けていたり

していないでしょうか?
少なくともそういう可能性が高いと思うのです。
官僚、学者(分野によりますが)、技術者
など、例外が多数存在することは承知の上で
そう感じます。


身体感覚がもたらす現実感、謙虚さ

逆に、現実に働きかけるには身体が必要で
その身体は、簡単には意図したとおりには動かず
時に裏切られることもある。
そう捉えている人の考えは

現実と理想のバランスがとれ、共感を呼ぶメタファーが使われていたりして、感情に訴えるものが多くなる

とは言えないでしょうか?
モデルとしては内省的なスポーツ選手、武道家などです。

陸上競技で世界選手権銅メダルに2度輝いた為末選手
日本古来の身体技法「なんば」で知られる甲野善紀

の言葉には重さとリアリティがあります。

その源は
自分の身体という現実に対して真摯に向き合ってきた結果
得られた謙虚さのようなもの
だと思います。

できたことしか言わない
感じたことしか言わない
確信したことしか断言しない

そんな姿勢です。


 発創って何だ? コメント(0)
「発」「創」について。


■■発創って何だ?1.■■


当研究室が掲げる「発創」とは。
「発」の間違いではなく、発創なんです。

アイディアを思いつくのが発想
でもそこにとどまっていては実現しないので
それを実現可能なプランに昇華しないといけない。
アイディアをプランという形にするのが創造

まとめると

アイディアをひらめき
それを実現可能なプランに昇華するプロセス
「発創」と名づけました。

そしてこの発創に必要なこと、発創の鍵は
チーム内の活性化されたコミュニケーション、相互作用です。



チームの法が発創できる

ひとりで考えるより
チームで考えた方がより斬新なアイディアが生まれる。

ひとりで実行するより
チームで実行した方がモチベーションは高いまま維持できる。

だからポイントは「チーム」による発創。



■発創できない風土

しかしながら
現状のチームを見回すと、発創できる風土にないケースがとても多い。

例えば企業組織。

高付加価値化が勝負の分かれ目であり、重要な経営課題であるにも関わらず、そのマネジメントはまだまだ人間の可能性を封鎖しているものが多い。

詳細なマニュアル、厳密なチェック体制…
そうかと思えば
ほとんど放置に近い中小企業の社内教育…
どこにでもあるのが
退屈で時間の無駄でしかない、しかし膨大な時間を費やす会議…



■人間に期待していない!

これらの背後には
人間に対する期待の「小ささ」があるような気がします。

教え込まなければ、目を光らせなければできっこない。
逆に
教えるなんて無駄、背中を見て覚えろ。
または
会議は形だけ、幹部を納得させるために「やる」ことに意義がある。

こんな考えが見え隠れしています。

これでは何も発創されないでしょう。



■発創を生むか? ファシリテーション!

発創には
それが生まれる場の条件
適切なコミュニケーションプロセスがあるはず。

発創デザイン研究室は
そう、信じています。

注目しているのは
ファシリテーションという考え方、スキルです。

人を触発し、相互作用を促し、合意形成を生み出す
コミュニケーションスキルとでも言えるでしょうか。

もっとも身近な応用例は会議の進行役です。

ファシリテーションについての詳細は回を改めるとして

発創デザイン研究室は
ファシリテーションを応用して
会議を変える
教育を変える
組織風土を変える
マネジメントを変える

そこまでできれば
社会も変る

こんなことを目指しています。




 発創って何だ? コメント(0)
見えたとおりか?

デザイナーの方との対話の中でも

見る」という行為

が話題になりました。

見えているのに、実は、見えたとおりには受けとめていない
というお話です。

絵を描くときに、モノでも人でも「輪郭」を無意識に描きますが
実は、輪郭があるモノも人も「ない」んです。

これは、よ~く目を凝らすまでもなく、わかるはずのこと。
どう見ても、モノとその周りの空間との間に、その境目を表す「線」はない。
でも、私たちは、まず輪郭線でその形を描いていきます。

見えていないものを、疑うことなく描いています。

もっと専門的になると
描こうとしているモノの裏側まで見て描いた絵と
単純に見えるところだけを写し取った絵には
違いが出るものだそうです。
わかる人が見る

裏側が描けていない

と評価されてしまう。

その方は、ちゃんと見るために
1週間も同じ対象を見続ける
という訓練を繰り返していたそうです。

見ては描き、消して、また見ては描く
その繰り返し。

そして、ある時
見えたとおりに描く方法がつかめるのだそうです。

形も質感も、そして見えていないところまで
いかに、描く

がつかめる。


「見えている」「見ている」

と私たちは簡単に自覚し、口にしますが
実は
見えていても、そのとおり、表現できていないことが
多いのではないでしょうか。

自分がどのように見ているのか
知覚を自覚し表現するのは
そんなに易しいことではないようです。

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「看る」ということ。
「働かないって、ワクワクしない?」という本の中でも
見る」という言葉に出会いました。
そこではあえて「看る」と標記されていました。

働かないって、ワクワクしない? 働かないって、ワクワクしない?
アーニー・J. ゼリンスキー (2003/09)
ヴォイス

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この中で、禅の老師が「満ち足りた人生を送るための三つの秘密」を語る話が紹介されています。その3つとは…

1.看よ
2.看よ
3.看よ

…です。ここで言う「看る」とは「注意深く見る」ことです。満ち足りた人生を送る人は、常識や固定観念にとらわれず、現実を注意深く見つめ、プラスの側面もマイナスの側面も見出し、チャンスを逃さない。
「看ない」人は、自分が狭い見方をしていることに気づかず、チャンスを逃す。

そんな話でした。

見る」なんていう行為は、目を開いている限り自動的に生じるもので、あまり意識していませんが、ここが落とし穴なのでしょう。

自動的にやっていると思っている限り「看る」ことはできません。
実は自分の固定観念が見せている現実を、本物の現実だと思い込んでいることに気づきません。

心がけたいこと。それは

いつも一所懸命に、でも肩の力を抜いて「看る

です。
自分の前に何が開けるか?
それは、自分が何を「看るか」にかかっているのですから。


前掲書は、決してニートの薦めではありません。
クリエイティブに生きるための啓発書とでも言うべきもので
とても示唆に富んでいます。お勧めします。






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目は脳の一部です。
数日の間に

見る」という行為

について考えさせられることが続きました。
新聞記事から、書籍から、そして対話の中で。


最初は、右教育を紹介した新聞記事で。

「目はの一部です」

何を見ているか、が思考に影響を与える
といった文脈だったように思います。
紹介の文章の中で、この部分だけが、なぜか記憶にひっかかりました。

日常を振り返れば
見えているものから思考を組み立てることは非常にスピーディーに
かなり自動的に行われます。
人に出会ったときのファーストインプレッションが一瞬の内に
「立ち現れる」ように、それはまるで自分の意思とは無関係とも思えるスピードで、「見た瞬間」に思考が組み立てられ「相手の印象」を結論付けます。

ここから学べること。

あらゆる日常での思考も感情も「見る」ことから大きな影響を受けているのだから
思考や感情を意図する方向へ発展させるために
見る」ことを「手段」としてもっと活用できる可能性がある。

ということです。
対話場面で、話の内容を「書く」、行為として示す、話題の「実物」を持ってくる、などをもっと活用すると、思考も、思考と思考の相互作用である対話も深まっていくのではないでしょうか。


こんなことを考えていたら
書籍でも、とある対話の中でも
見る」という行為に出会いました。

続きはあらためて。

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デザイナーとの対話。
デザイナーの方と、その方のアトリエで打合せをした時のこと。

話し合いの場が変ると
頭も身体も刺激を受けて
発想が広がっていくことを感じました。

最初は吹き抜けの大空間で、緑鮮やかな庭を見ながら

しばらくたつと、デザイナーの方は

「ちょっとすいません。急用なので、
しばらく2階の本でも見ててください」

と言って外されました。

私が残された大空間には、
色が白と薄緑に統一され、
控えめなデザインが施されたテーブル、椅子、照明など少々の家具。

テーブルの上には
打合せ中に、話題に合わせて次から次へと
持ち出された雑誌のコピーや、書籍の数々。

自分の脳が安らいで、
ゆっくりと自在に想像を始めるのが感じられました。
待たされているという感覚はまるでありませんでした。

しばらくたって、ふと
「2階の本でも…」
と言われたことを思い出し、2階に上がってみました。

そこにあったのは
同じく白と薄緑の椅子とテーブルと本棚。
本棚には漫画、小説、デザイン関係の雑誌、写真集
そして、たくさんのミニカー。
まるでこだわりのリビングです。

写真集をぱらぱらとめくったり、ミニカーを眺めているうちに
何を打合せに来たのかも忘れ
まるで、ゆったりと長時間ジョギングしたあとに訪れる
安らかなランナーズハイのような感覚になっていきました。

30分以上経ったでしょうか
ようやく用事を済ませたデザイナーの方が
2階に上がってきて、打合せの続き。

手には様々なサンプルを持ち
ゆったりとしたソファーに腰掛けながら
テーブルの上に、それを次々に広げていきます。

話題は、本題から外れたり戻ったり。
周囲の色々なものが目に入るので
その都度、話題が移ろっていきます。
それは何の苦痛でもなく、ごく自然に。

またしばらくすると、見せたいものがあるらしく
1階につれて行かれました。
今度は、奥のアトリエの中に招かれ
キッチンにある道具たちのデザインについての講義を
していただきました。

それは打ち合わせ内容とはまったく関係がないのですが
完全にほぐれていた私の脳と身体には染み入るように吸収され
打ち合わせ内容についての、新たなインスピレーションをもたらしてくれました。

2時間以上もそんな時間を過ごしての帰り道。
ハンドを握りながらフワフワと浮遊するような感覚でした。
脳がどちらの方向へも自在に働くような、そんな感じです。


この日、学んだこと。それは、

どんな空間で、どのように話すか?
それが、創造性にとても大きな影響を与える

ということです。

場が創造を生み出す。

そう、感じました。








 発創って何だ? コメント(0)
本当の問題は?
経営革新て、よく聞く言葉です。最近特に。
その中身に異議ありっ!です。非常に。

経営革新が求められる背景は…
技術が発達したおかげで、どこの会社が作っても
必要な製品品質は立派に実現できて
差がつきにくい。

だからこそ、経営革新。
自社ブランドを作りましょう。
新たな販路を開拓しましょう。
製品開発しましょう。

なんだか、違うんだけどなぁ、と感じます。
背景の部分は、まあ、そうなんでしょうけれど。
解決策が、上滑り。

自社ブランドも販路開拓も製品開発も結果であって
そのために必要なことに目が向いていないんです。

まるでISO認証を取得したら経営が良くなる
みたいな発想です。

そうではなくて
ブランドや販路や新製品を生み出す

人の創造性

に目を向けないと。

これは
顧客リスト見ても
財務諸表見ても
よその会社見ても
経済や経営についていくら勉強しても
解決しないと思うんです。

目の前の人、仲間、自分を含めたチームが
どうやったら創造性を発揮できるか

これは自分と人と向き合って
動機や活力や発想の生まれる条件を
考えないといけない問題です。

経営革新セミナーを受講する前に
マーケティングの本を読む前に

あなたのチームを最強にする
チームの活力と創造性を引き出す条件を
考えなければならないはず。

そこが
発創デザイン研究室の研究課題です。

 研究室紹介 コメント(0)
キャリアという考え方。

チームの活力は、どんな時に最大化し、かつそれが継続的に発揮されるのかと考えてみると

個人がチームの中で、長期的な夢を見られる時だ

と言えるのではないでしょうか。

カタカナを使うと、
チームのビジョンに自分のキャリアを重ねてイメージできる時、人は活力にあふれ、献身を惜しまず、
そんな人たちの相互作用は、足し算をはるかに超えた相乗効果として成果に現れるのではないでしょうか。

つまり
チームを率いている人は
メンバーにキャリアを描かせるようなビジョンを示しているか
身近に感じられるように咀嚼し反復し伝えているか
そこが常に問われるのでしょう。

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ユーサイキア?


ブログ開設しました。

記事第1号は、このブログのIDにもなっている不思議な単語

eupsychia【ユーサイキア】

についてです。

これは、心理学者アブラハム・マズロー博士の造語。

意味は

千人の自己実現者が外部からいっさい干渉を受けない島に暮らした場合には生まれる文化

というものです。

マズロー博士がこの言葉で伝えようとしていたことは、僕なりに解釈すると

人間にはもともと「より良く考え、行動し、交流し、そして、より良い社会を築いていく能力」があって、それをいかに開花させるか

ということだと考えています。

そして、発創デザイン研究室のコンセプトはここにあります。

企業でも、NPOでも、地域社会でも、スポーツチームでも、ありとあらゆる組織・チームはコミュニケーションの方法を最適化すれば、もっともっと創造的で活力あふれるものになりうる

そう信じています。

そのコミュニケーションの方法を開発し、実行を支援したいというのが私の大きな願いです。

…初回だからでしょうか、肩に力が入った記事になってしまいました。

これから、ボチボチと、発創デザインについて、ユーサイキアについて、考え、発信していきます。



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