発創アリ。

やる気とアイディアが湧き上がるチーム、会議、教育、組織風土を考える福井発ファシリテーター兼スプリンター冨永のブログです

教祖さまの予言は外れない。





絶対的な崇拝を受ける教祖さまが発した予言は
外れることがありません。


それは、信者によって「実現される」からです。


もし、それが「○月○日に大地震が起きる」という
自らの影響力の及ばない予言であったら。。。



現実の認識方法を変えることによって
予言は成就に準じた解釈をされます。
例えば


「我々の信仰が大地震を回避させた」
といった具合に。



以上は、認知心理学者レオン・フェスティンガーの
認知的不協和理論の「さわり」です。
乱暴なたとえですが、エッセンスはこんな感じ。。。



自分の信念や思い込みと現実との不一致を
認知的不協和と呼び
それが生じた時、僕達は
現実をゆがめてでも、自分の信念を
「実現したかのように」思い込もうとするわけです。




さて、このような認知的不協和の回避は
なにも熱狂的な信仰心のもとでだけ起きるわけではなく
僕達の日常で、いつも起きています。


むしろ、認知的不協和の回避によって
僕達の現実は成り立っているといっても良いくらいです。


自分の思いに不都合のあるような情報は
なんらかの歪みをもって認知されます。

あるときは過剰反応をもたらし
あるときは過小評価をもたらし
あるときは無視をもたらします。


同様に、自分に都合の良い情報は
過大評価され、それだけを選択的に認知したりします。



この認知的不協和の回避行動によって
誤った認識、行動が導かれることは
容易に想像できます。


これを防ぐために重要な役割を果たすのが
「身近で批判する他者」の存在だと思われます。


遠くの他者がいくら批判しても
無視したり、過小評価することで
認知的不協和を回避できますが


スグ目の前で、自分の意見に異を唱えられれば
回避するのは困難です。
意見の差異に注目せざるを得なくなります。


ある集団が健全性を保てるかどうかは
この「身近で批判する他者」にどう向きあうか?
で決まってくるはずです。


批判者と向き合い
意見の差異を創造の源と捉えられれば
その集団は健全さと創造性を保つでしょう。


批判者を排除し
意見の差異を恐怖と破壊の源と捉えれば
その集団は外世界に対して閉じてしまい
思い込みに満ちた急進的(または過剰に保守的)になるでしょう。



僕達は
常に思いこみに満ちており
しかも、その思い込みに合わせて現実をゆがめます。

集団行動をとるとき
その傾向は加速します。



身近な批判者を
異分子ではなく、創造の源と捉えること
外世界に対して閉じないことが
組織に教祖さまを誕生させないポイントでしょう。


ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/10/07(火) 09:33:17|
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郷を問う。





「なじむ」ということの価値を
どう捉えれば良いのだろうか?


と、ここ数日、なぜか考えてます。


会社に、地域に馴染む。。。


そうすると
色んなことが円滑に進みます。
温かい人間関係に包まれます。
周りの人が、なぜそういう行動をするのか
最初はわからなかったことが、理解できるようになります。



郷に入れば郷に従え。


組織、地域には
明文化はされていなくても
特有のきめごとがあって

それには、きっと意味、価値があるから
新しく仲間入りしたときには
周りの人たちに見習いなさい。



そんな意味でしょう。
「なじむ」ことを推奨しているとも受け取れます。



しかし一方で
最近は、外部環境の変化が激しく速く

郷の意義、価値が脆弱になっているようにも見えます。


郷のきめごとが
環境変化についていけてないのに
きめごとだけが形式的に存続している状態です。



このときに
郷に入れば郷に従え
をやっていたのでは

その郷は、ますます取り残されていくでしょう。
必要なことは

郷(の価値)を問い直すことです。



しかしながら
価値を問い直される郷と
問い直す新参者の間には衝突、軋轢が起きやすいのも
また事実です。


問い直しとは
どうしても、その背後に、「否定」のニュアンスを含むからです。



否定は、人にとって、恐怖の源泉です。
否定されることを避けて、攻撃します。



郷が郷として価値を持ち続けるために必要なことは


郷の人間は
「郷に入れば郷に従え」とは言わず
自らが否定される恐怖を乗り越えて
「郷に入れば郷を問え」と新参者に促すこと。


新参者は
郷の価値を発掘する目線と
郷を問い直す目線を持つことなのでしょう。



郷に入れば郷に従え。


そして


郷に入れば郷を問え。



いずれの背後にも
相手への尊重・敬意があってこそ
成り立つ言葉のようです。




ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/09/24(水) 10:19:56|
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「許し」が創造を生む。




新しい何かを創造するとき。
例えば、こんなことがきっかけになるでしょう。



大切だと思っていなかったことを凝視する。
必要だと思っていたことを切り捨てる。
無関係だと思っていたことを組み合わせる。



創造性豊かな人は
こんな視点を日常的に持っているのかもしれません。


そういう特殊な能力をもった人っているよなぁと思う一方で
これを誰でもできる方法だってあると思うんです。


上の3つのポイントを可能にしているのは
普段しないことを自分に「許すこと」です。


なんで、凡人に創造性が宿らないかというと
自分の思考を「許していない」からです。


経験と知識の枠の中で
自分に許す思考と許さない思考を
無意識のうちに弁別しているからです。
だから、創造の可能性が狭く限定されます。


創造性豊かな人は
自分で自分の思考を無限に「許せる」のでしょう。

でも、凡人には難しい。。。


そこで必要になるのが「チーム」という「他者の集まり」です。


僕達は、自分で制約してしまっている行動でも
他者から許されると、自信を持って行動できたりします。

ということは
お互いの思考を無限に「許しあう」場を作れば
僕達の創造力は加速的に高まるはずです。


普段は考えないことを
普段の考えから脱皮して考えるには
他者からの「許し」による「制約の排除」が有効なわけです。



これも
ひとりの天才に凡人のチームが勝利する可能性を
説明しうる、ひとつの原理だろうと思っています。


ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/09/22(月) 12:06:31|
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確信の効用。





ケニアという国は
陸上競技の長距離において
圧倒的な強さを誇っています。


世界選手権でもオリンピックでも
3000m障害から5000m、10000m、マラソンまで
上位には必ずケニア勢が並び
かなりの確率で、金メダルが彼らの胸に輝きます。


彼らが、あまりに強いがために
言われることは。。。


人種が違うから。。。
遺伝子が違うから。。。
生活環境が違うから。。。
高地で生活しているから。。。
特別な練習方法があるから。。。


などなど、もはや彼らに追いつくことは不可能だと
言いたくなるような、理由が並んでいます。


そんな強さを誇るケニアの中でも
さらに、強いとされる部族があります。

カレンジンンという部族です。


ケニアの歴代メダリストの大多数が
このカレンジンという部族から輩出されています。


これは偶然か?必然か?

その真相を追ったルポが
「ケニア!彼らはなぜ速いのか?」です。

ケニア! 彼らはなぜ速いのかケニア! 彼らはなぜ速いのか
(2008/08/06)
忠鉢 信一

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速さの源は、遺伝子か生活環境か、それとも。。
ひとつひとつの理由が検証されていきます。

不思議なことに
どの理由も「これこそが速さの源だ」という確証を
得ることができません。


そして最後に残った理由とは。。。



「カレンジンこそが速いのだ」
という彼ら自身の確信、自負心でした。


自分達は速い
という確信を持っているがゆえに

多数の若者が陸上競技に挑戦します。

先達の栄光を見れば見るほど
現状は遅くても、いつかきっと速く「なれる」という
確信が揺らぐことはありません。
途中で放り出すことがありません。

そんな確信を持った若者達が
集団生活をしながら、刺激しあって
速さを極めていきます。

だからこそ、その中の誰かがまた
世界の頂点に立ち

それを見た若者が

俺だってできる。
なぜなら、俺もカレンジンだから。

と長距離を志します。
激しい練習に挑んでいきます。



このように
「俺達は間違いなく速い、速くなれる」
という確信が、彼らの速さの本当の秘密ではないかと
著者は結んでいます。


彼らの確信の効用について
科学的な証明はなされていませんが

遺伝子や生活環境が
決定的な要因でないことは
科学的に証明されています。


「きっと○○になれる」
という確信の効用について

本気で確信してみた方が
明日が楽しくなるような気がします。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/09/16(火) 12:28:49|
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生産性から創造性へ。




生産性と創造性。


同じように使われるコトバです。
その意味するところは
対極と言ってもいいくらいに異なります。



これからの組織風土において
このふたつのコトバの意味の違いに敏感であることは
かなり重要になってくると考えています。



生産性とは


与えられた条件、資源の中で
いかに無駄を少なく、効率的に
目標とする成果を生み出すか?


ということ。

今までやってきたことを向上させていく
という考えに立っています。
昨日よりも今日、今日よりも明日が
優れていることを目指そう、という考え方です。


こうやって、僕達は、生産性を無限に高め
今の世の中に至っています。


創造性とは


遠い彼方に
今までにまったくなかった
夢を描けるか?

そこにいたる
誰も歩いたことのない
道のりを描けるか?


ということ。


過去との不連続性が特徴です。
まず、将来の夢ありき。
昨日よりも今日。。ではなく
昨日とはまったく違う明日を。。。です。




生産性と創造性。。。


過去からの連続性に
大きな違いがあります。



これからの組織は
生産性重視から創造性重視へ
大きくカジを切る必要があるでしょう。


そのときに
コトバだけの変化でなく


組織体制、コミュニケーションのとり方、仕事の進め方
それらすべてが、対極であるかのように
変化する必要があるでしょう。



もし
5年前と
組織図、会議の方法、仕事の進め方が
地道な改善しか積み重ねていなかったら。。。

その組織の将来が
少し不安になりませんか?


ファシリテーター
冨永良史



  1. 2008/04/26(土) 14:55:51|
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チーム観。




古いけれど、根強い
チームの捉え方は。。。


強力で有能なリーダーのもと
綿密な計画と役割分担とマネジメントが
しっかりと機能すれば
最高の成果が出せる。


メンバーには
それぞれの役割についての
最高のスキルが求められる。



というものかもしれません。
こういうチームの捉え方、チーム観に基づいて
教育、人材育成が行なわれ、それは

「個人が個人としていかに能力を発揮するか」

を主眼とされているように見えます。



しかしながら
このチーム観には、少々の修正が必要ではないでしょうか。。。



これからの
新しく、おそらくは有効なチームの捉え方とは



お互いの知恵を出しあい、融け合わせれば
今までに見たこともなかったような成果が生み出せる。

必要なことは、伸び伸びと語ること、真剣に耳を傾けること
そして、一緒に「創る」という感覚を共有すること。



こういうチーム観をベースにしたとき
人材育成の手法は、かなり違ったものになります。
メインテーマは


「立場を超えた柔軟で大局的ななものの見かたをしながら
 いかにチームとしての創造活動に貢献できるか」

になってくるでしょう。
それぞれの専門領域のスキルは
依然として重要ですが、それを個人として使うのでなく
チームへの貢献として使う対話スキルこそが重要になるはずです。


個人が個人として能力を発揮する

という考え方からは
なわばり意識、不毛な対立が生まれます。
それでは、いかに高度な専門知を備えていても
チームとしての成果は低いままでしょう。


個人がチームの成果に貢献する


という考え方に立てば
チームは創造の場に変わるでしょう。



今、この瞬間にも
あらゆる場所で行なわれているチーム活動、話しあいが
どんな人間観、チーム観、教育観に立っているのか


真摯に見つめなおしていこうと
思っています。


ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/04/24(木) 11:01:36|
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大学の授業にて。



今日は
僕の授業風景を
お知らせしてみます。


地元の仁愛大学で
ビジネスコミュニケーション研究という授業を
担当しています。


前期15コマ。
3年生を対象にした専門科目で
約40名の受講者がおります。


授業の目的は
「話しあい」を
より生産的に、さらには創造的に導ける
「話しあいの演出能力」を身につけること。


知識提供ではなく
体験機会提供を通じて
生の使えるマインドセット、スキルを
発見してもらうように努めています。


授業はまるで
おしゃべりタイム
のように進みます。


授業の始まりは
必ず席替え、アイコンタクト、スキンシップ。


誕生日順や電話番号順で席を並び替えます。
お互いに声をかけ合って、確認しないと席が確定しないので
みんな、自動的に知らない人とでもコミュニケーションします。

席に着いたら
周りの人と、しっかり静かにアイコンタクト。ちょっと恥ずかしい(笑)
そして、握手をして、相手の体温を感じます。


ここまでがウォーミングアップ。
みんなのアタマとカラダが「話しあいモード」になります。



ここからは
毎回のテーマにそって
ひたすら、みんなに問いかけ、聴き
それを火種に話しあって、見つけたコトを共有していきます。


なぜか、教室には100円ショップで買ったボールが飛び交います。


ボールを受け取った人が発言者です。
その発言者は、次の発言者になって欲しい人に
ボールを投げます。


時には、二人向き合っての珍妙なダンスが始まります。
お互いに息を合わせる感覚を見つけるためです。


黒板には
みんなの発言が、次々に書きつけられます。
そこにみんなの視線が集まりながら
だんだんと、教室全体で、今日の「発見」が生まれてきます。


そこには
教科書はなく
ノートに記録するようなきちんとした板書もなく


だけど、僕は
みんなのココロとカラダに
今日の体験から、明日の体験を拓く
新しいキモチを芽生えさせたい。

そんな思いで
ひたすら問い続け、引き出し、交わらせ
触発していきます。



教室全体で創りあげる
全員が主役のトークショーのような授業。


それが僕の理想です。
この半年の間に、そういう境地に
きっとたどりつくつもりです。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/04/23(水) 10:56:25|
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コミュニケーション不足という誤解。



組織の雰囲気がまずくて
成果がうまく出ないときに


コミュニケーション不足だ


というのは、よく言われることです。
ですが、この論理は、よ〜く考えると
誤解です。間違っています。



コミュニケーション不足という状態は
実は、ものすごく実現するのが難しいんです。



僕達にとって
コミュニケーションしない状態を維持するのは
実は、かなり困難です。


どういうことかと言うと


黙っていること
不機嫌にしていること
適当にしか返事をしないこと
顔をあわせないこと


これらすべては
コミュニケーション不足の現象として例示されますが
実は、これらはすべて、コミュニケーション「している」んです。



黙っているということを通じて
僕達は、なんらかの「意味」を相手に「発信」しています。
相手は、そこから、何らかの意味を「解釈」します。


ですから、そこには言葉はなくても
意味の受発信は、すでに成立しているんです。
問題は、誤解が生じている可能性が高いということであって
コミュニケーションがないことではないんです。



直視しなければならないのは
どれだけ「話しているか。顔をあわせているか」ということではなく


僕達は、何をしていても
常に無意識的に何かをまわりに向かって「発信」している


ということであり
同様に


周りから意味を「受信」し「解釈」し続けている


ということです。



黙っているからコミュニケーションがないんじゃないです。
自分の思いを伝えるのには「ふさわしくない」コミュニケーション方法を
採用しているだけです。


僕達は
意識していようがいまいが
常にコミュニケーションしています。


「常に自分は発信している」
「常に自分はまわりに受信されている」


という感覚をこそ大切にし


「自分は今、どんなコミュニケーション方法を採用しているのか」


について自覚的であることの価値には
もっと自覚的であっていいだろうと
そう思います。



ファシリテーター
冨永良史


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  1. 2008/04/03(木) 12:21:16|
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感情からチームを創る3ステップ。






多様な個性の
単なる集合体としての「グループ」を
ひとつの目的のもとに協働する「チーム」に変えるために


目的の共有


は最重要事項です。
といっても、最重要であって、唯一事項ではないわけです。


チーム創りはもっと繊細なものなので
丁寧にステップを踏めば
固い結束を偶然と必然の間に生み出すことも可能です。


僕が企画するワークショップでは
目的の共有以外に、少なくとも3つのステップを踏むことで
チームビルディングを行なっています。


ステップ1.感情の共有
目的に対して抱いている感情をプラスもマイナスも
さらけ出し、ありのままに受けとめあう。


ステップ2.課題の共有
目的実現のために、具体的にどんな成果が必要で
何が困難なのか、障害になっているのかを、率直に指摘しあう。


ステップ3.約束の共有
目的実現のために、自分の行動をどう変容させるのか。
自分が「やること」「やめること」「他者に期待すること」を明言しあう。



という、チームづくりの3ステップです。

一般的に、チームづくりやプロジェクトマネジメントの基本としては
目的→課題→役割分担→スケジュール化
等が考えられますが、それだけでは、感情の側面が漏れてしまうので
そこを補ったのが、先述の3ステップです。


役割分担もスケジュール化も
決められたことが、自覚・覚悟を持って実行されるには


「私達は、ひとつにつながった仲間だ」


というチーム意識が大切で
その源は感情の共有です。


感情の共有の上に
できるかどうか不安に思っている課題も含めて
すべての課題も感情とセットで共有し

最後に、自分の覚悟と他者への期待を
明言化することで、チームとしての一体感を生み出します。


大切なことは
感情をベースにして、この順序を変えないことだろうと思います。


課題ありきでなく、役割ありきでもなく、締切りありきでもなく。
チームづくりは、プラスもマイナスも含めた感情の共有から。

多忙なビジネス最前線では
ついつい忘れられがちなことだと思います。


ファシリテーター
冨永良史

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  1. 2008/04/02(水) 11:01:56|
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コミットメントの引き出し方。





コミットメントとは
何かを成し遂げる誓約です。



語源的には
「死んでも成し遂げる」
くらいの強い意味があります。
騎士道精神を背景に持つ言葉です。





さて、このコミットメント。
普通は明文化して、公言するものですが
ここでひと工夫、ほんのささやかなひと工夫によって


コミットメントに対する身の入り方
実現の可能性の高まり方が違ってくるように思うんです。



■■までに●●を成し遂げる。


というだけでなく


「そのために★★をやる」
「そのために☆☆をやめる」
「そのために□□に◎◎を期待する」


といった、自分の行動革新を明らかにすることは
大きな効果を持つようです。


成し遂げるための経路を行動革新として明らかにするわけです。


今までと違った成果を出すには
今までと違った行動が必要ですから


考えとしては、特に目新しいものではありません。
コミットメントというと
あまりにも、成し遂げるべきゴールばかりが注目されるので
そこまでの経路たる「行動革新」にも目を当てるべきだろうと
そう思ったわけです。


あなたは何を成し遂げますか?

そのために
何をやりますか?
何をやめますか?
誰に何を期待しますか?


大切な問いではないでしょうか?


ファシリテーター
冨永良史


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  1. 2008/04/01(火) 14:46:32|
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