発創アリ。

2017 04
03 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 → 05
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 スポンサー広告 コメント(-)
小学1年生と学ぶ。




ファシリテーションという
「動詞」を仕事にしていると
色々な「目的語」が依頼されてきます。


僕の仕事は
「何を」ファシリテーションするか?
というところが「変数」になっているからです。
「変数」の「変域」は「コミュニケーションすべて」です。

会議も組織も授業もプロジェクトも
ファシリテーションします。


というわけで昨日は
小学1年生の算数の授業をファシリテーションする
というお題をいただきまして

地元の小学校で1年生向けに
「算数パズル」という授業をしてきました。



僕だって一応
小学校から大学受験までずっと
算数、数学を勉強してきて、得意な方でしたけど。。。


相手が小学1年生というのは
めちゃ難しかったです。


どんな言葉なら通じるんだろう?
そもそも、算数ってなんだろう?

1年生の真っ白な脳みそに
何をどうやって問いかけたら
「さんすう」がイメージできるのか?


ということから考え直しました。
で、結局、授業のテーマを


アタマとカラダとトモダチと
さんすうをかんじる


ということにしました。
ひとりでじ~っと考える算数でなく
カラダを使って、友達と話し合いながら考えることで
算数のイメージをつかんでもらえればと思ったんです。


45分の授業の中で


色んなところに数がある。
数は数えられる。
数は大小を比べられる。
図形は「辺(まっすぐ)」と「角(とんがり)」がある。


ということを感じてもらいました。

名前の文字数を数えたり
手の暖かさを比べたり
手をつないでサンカクやマシカクをつくったり
抱っこして重さを感じたり
教室いっぱいつかって足し算をしたり



全身でぶつかってくる小学1年生のみんなのパワーに
負けないように、スキンシップいっぱいして、大声出して
がんばったら、ぐったりフラフラ、声が枯れました(笑)


でも、爽快でした。


僕は、どんな科目であっても
ふれいあい、コミュニケーションこそ学びの宝庫だと思っています。
みんなで、膝とオデコを近づけて、一生懸命考えることの
ワクワク感とか、安心感が伝わってくれればいいなぁと
思いながら授業をしていました。



僕が一番、楽しんだのかもしれませんけど。。
深く深く考えさせられたし、エネルギーいっぱいもらったし
すっごい楽しかったです。

1年生のみんな
ありがとう!



ファシリテーター
冨永良史
スポンサーサイト
 発創する教育術 コメント(1)
学ぶとは何を知ることなのだろう?



知識社会、知識経済と言われ
様々な知識、ノウハウが
世にあふれています。


ITの発展によって
それらあらゆる知識に
僕達はアクセス可能な状態にあります。


本気になれば
どんな知識にだって触れられます。


このような環境にあって
今一度、ふりかえりたいことは
学ぶということの本質です。


学ぶということは
新しい考えに触れ、吸収し
自ら新しい現実を切り拓くべく
その考えを実行へと結びつけて行く行為です。


その根底にあるのは
知識そのものの吸収ではなく


自分とは異なる他者への
深い理解


だろうと考えています。


なぜ
その知識は生まれたのか。

どんな背景を持った人が
どのような意図をもって
それを生み出したのか。


その理解なくして
本当の学びは発生しえないのではないか。
そう考えています。


教師や書籍や
または生々しい現実に触れるとき


その背後に密やかに根付いている
他者の意図、思いにこそ
真摯な眼差しを向けなければならない。


それができた時
単なる方法論、ノウハウの吸収を超えて
個人の知は、世界の知へとふかく絡みあい
成長の萌芽を手に入れるのではないでしょうか。


ファシリテーター
冨永良史
 発創する教育術 コメント(0)
脳みその外に出せるもの。



「プロフェッショナル仕事の流儀」
という番組が好きで、よく観てます。



昨夜の放送で印象に残った
茂木健一郎さんのコメント。


>脳の外に出して見せられること(方法、知識)は
>実はたいしたことではなくて
>どうしても取り出して見せることができないこと
>こそがとても大切。
>それは努力に努力を重ねた先にしかつかめないもの。


確か
こんな感じだったと思います。



僕は次のように理解しました。


言葉、文章にできるようなノウハウは
いくら真似ても、成功者と同じ成果は出せない。

成功者が努力の積み重ねの先に
ようやくつかんだ言葉にできないノウハウこそが
成果の源になっている。




こんなことを考えながら
教えるってどういうことだろう。
と思いがめぐりました。



言葉にして
テキストに沿って
ハウツー本、ビジネス書にして
教えられることは

脳みその外に取り出せるもの。



でも
本当に大切なコトは
そこにはない。




教えるって
今さらながら



一緒に汗をかく
体験を共にする
一緒にふりかえる



ってことなんだろうな。
と思わされました。



特に

一緒にじっくりと
プロセスをふりかえり
味わい尽くす

ということが
大切だろうと思います。



体験したことに
どう向き合うか。


体験したことを
どう再解釈するか。

そして
どう次に活かすか。



そこのところが
脳の奥底に蓄積される
取りだせない知の質を決めるような気がしてます。



ファシリテーター
冨永良史


↓脳の奥底から「クリックしようよ」って囁きが聞こえませんか?
にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ


 発創する教育術 コメント(0)
問いを考える。


□□発創する教育術12.□□

□問いを考える。



何を
どんな順番で
どのように問うか?



教育の質が決まるように思います。



何を
どう説明するか?


に目を向けすぎると
足元をすくわれるように思います。


問われたときが
一番、考えるし、吸収しますから。
人って。



ファシリテーター
冨永良史


↓クリックしますか?(笑)
にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

 発創する教育術 コメント(0)
あんまりない授業。
○○発創する教育術11.●●

○あんまりない授業



>どんなときに
>「わかった」と思った?

>どんなときに
>自分から勉強しようと思った?


と、みんなでふりかえり
感じていることを共有してみる。


そんな授業は
あんまりないのでは
ないでしょうか?


学びを
ふりかえって

学び方を
学ぶ。


それは
子供にも
大人にも





すごく必要なこと
だと思います。



それは
正解がない。


自分と
みんなで
見つけるもの。


話し合った数だけ
答えは出るかもしれない。


僕の答えと君の答えは違うし
今日の答えと明日の答えも違うかもしれない。



でも
自分なりの
「学びの瞬間」を捕まえるコトは

膨大な知識を詰め込む「前に」
やっておく方がいいように思います。



今の世の中

最新の知識は
すぐに
「つかえない知識」になってしまうし


どんな知識も
「検索可能」なのだから。



いちばん必要なのは

いつでも、どこでも
自分なりの知識をつかみとって組み上げる
「学び」のOSを身につけさせてあげることかな

と思ってます。




ファシリテーター
冨永良史


↓どんな瞬間にクリックしますか?
にほんブログ村 経営ブログへ



 発創する教育術 コメント(0)
勉強「時間」なのかなぁ。。。

●○発創する教育術10.○●

○勉強「時間」なのかなぁ。。。



あいかわらず
風邪で脳みそが「ぼわぁぁん」としていて
難しいコト完全拒絶じょうたいの
ファシリテーター冨永が

このまま雪が降らなくていいのか
暖冬福井からお送りします。



さて
ぼわぁぁんとした脳みそでニュース見てたら


教育再生会議
授業時間の1割増を答申


とか言ってましたけど。


直感的に



量の問題じゃないでしょ



と僕の脳みそが言ってます。



どんだけ教科書を読んだって
どんだけ問題演習したって


いま起きてる学力低下
とは根っこがちがうように思えます。



量の問題じゃなくて
学びの質の問題。
教え方の問題。


量とか正答率
ばっかり見てると
本質が見えないです。
きっと。



材料を探し出し
思考を組み上げ
解答に仕立てて
相手に伝える


ってことが
大事なわけで。
これは



思考プロセス


に焦点あてないと
見えないような気がします。



どれだけ問題解くか


じゃなくて


ひとつの問題から
どれだけ学びを掘り起こせるか


ここが大事かと。



明日から
大学入試センター試験なんで
自分の受験生時代のこと思い出したりします。



けっこう
驚異的な高得点を叩きだした
受験プロ冨永でしたが


こなした問題数は
驚異的に少なかったと記憶してます。


1問、1問
なめつくすように

この問題考えたの
どんな顔した奴やろ
性格、大雑把そうやなぁ

なんてイメージが浮かぶくらいに
ひとつの問題にこだわってました。



そういう
思考の発掘作業を
授業でできるかどうかが
これからの「学力」を育てるのに
必要だと


教育再生会議
野次馬委員の冨永は
思ったりします。


熱、ひどいので
寝ます。


おやすみなさい。



ファシリテーター
冨永良史


↓↓やさしく、やさしく、お見舞いクリックお願いします。
にほんブログ村 経営ブログへ

 発創する教育術 コメント(2)
練習させろ。
■■発創する教育術9.■■

■練習させろ。


ファシリテーター冨永は
陸上競技の400mを走る
スプリンター冨永でもあるわけですが


いわゆる会社仕事と
陸上でもなんでもスポーツを比べて


そりゃ、おかしくないかい?


と思うことがあります。


「練習」について
です。


スポーツは
練習:実戦=99:1


なのに


仕事は
練習:実戦=1:99


になってませんか?
ほとんどの企業人の方は
いわゆる「仕事」しかしてませんよね。
研修とかOJT(と称した「放置」)も多少ありますけど
ほとんどが「実戦」です。


で、常に結果を出せと。


そりゃぁ、おかしくないですか。
そういうと


>練習なんかしてる暇はないんだ。
>日々戦いだ。
>現実は、甘くないんだ。


なんて、実戦派の方はおっしゃいます。
でも、それこそ甘くないですか?

練習なしに常に結果が出るなんて
傲慢にすぎるように思えますが。



スポーツでも芸術でも
一心不乱に基礎的な練習を繰り返した上に
信じられないような高度なパフォーマンスが達成されます。

なのに会社仕事では
練習なしに、常に結果を出せと…
そんなバカな。



赤ちゃんにモーツアルトをピアノで弾け
というのと同じようなことが
あちこちで、普通に行なわれてます。


人間て適応力ありますから
それなりにはできるようになりますけど

もうちょっと
普通に考えたらどうでしょう。
あまりにも逸脱しすぎた考えです。
しかもそれが「普通」として通用しているなんて。



それに、です。

日々実戦で磨いてきたものというのは
結構もろい。

表面的な最適解ばかりを求めてしまう傾向があるからです。
その場の結果を出すことにはどんどん長けていくのだけれど
本質的な次元での理解は浅くなってしまう。

自分がやっていることと冷静に向き合い
内省的に進歩させるような機会がどうしても不足しますから。


思いっきり話を飛躍させると
この「表面的な最適解」の繰り返し、ツギハギが
今の矛盾だらけの社会につながってるんじゃないかとさえ思います。


他方、スポーツの世界では面白い動きが
だんだんと大きくなってきています。

一流アスリートが
精神性や身体性にどんどん深く入り込んでいます。


ひと昔前は
外国のすごい選手の練習方法、動き方のコピー
をするばかりだったのに

今は
自分の内面、それから日本人としての身体特徴を
見つめて、そこから運動方法を模索しています。


その結果の一例が、陸上で言えば
末続選手や為末選手、室伏選手の
世界選手権でのメダル獲得です。


彼らの動き、練習方法は
従来の外国模倣から完全に脱した
日本オリジナルのものだと思います。


彼らのブログを読んでいても
地に足のついた言葉の重さが伝わってきます。



どんなに身体能力に恵まれても
試合に出続けるだけでは、彼らのような境地に
たどり着くことはないでしょう。


練習して
自分の精神と身体と向き合う。
そこから発創する。


そういうことが
これからの「仕事」でどうしても必要だと感じています。



ファシリテーター
冨永良史


そうかもしれない。
と思った方、クリックを。
にほんブログ村 経営ブログへ
おかげ様でかなり上位にいっちゃってるみたいです。

もひとつ、オマケだ。
という景気のいいかたは、さらにクリックを。

こっちもランキング、ぐいぐい上昇中です。
ありがとうございます。


 発創する教育術 コメント(0)
魂が入っているか?

■■発創する教育術8.■■

■魂が入っているか?


ちょっと前に
かなり大きな組織の
管理職向け教育研修
見学する機会がありました。


全国区の研修機関から
実績のある講師を招き

論理的に
わかりやすく
適宜、グループ討議を交えて

よくできたプログラムでした。
参加者の意識も高く
非常に熱心な受講態度でした。


でも



響いていない。



参加者の表情を見て
直感的にそう感じました。


終了後
参加者の方をつかまえて
ちょっとヒアリングしたら


やっぱり


です。
「ねばならない」
はしっかり伝わっていても


「しよう!」
「したい!」
はない。残念ながら。



組織内のシステムについての研修でしたが
その成り立ち、動かし方については
わかりやすく説明され
実習も行なわれたのですが


なぜ
そのシステムを採用しているのか?

そのシステムを使って
何を実現したいのか?


はまったく触れられていなかったんです。


研修内容は
「どのように」
ばかりで
「なぜ」



なかった。


これは
魂が入っていない
のと同じではないでしょうか。



何かを教えるとは


なぜ
何を
どのように


がセットになっていないと
伝わりません。


いや
伝わるのですが


受け取ったほうの
動機付けがされないのです。



「なぜ」がない教育研修

実は
多いような気がします。



これからの知識社会では
組織を構成するメンバーの
「自発性」が生命線です。


ということは、つまり


「なぜ」の共有


が生命線だということです。



研修をする時は

必ず

「なぜ」

を叩き込みましょう。


それは
魂を叩き込むことなんです。


ファシリテーター
冨永良史


 発創する教育術 コメント(0)
それ、教育なんです。
■■発創する教育術7.■■

■それ、教育なんです。



3歳の娘を見ていて
企業における人材育成を考えました。



娘はまだ
幼稚園にも行っていませんから
「教育の時間」
はありません。


でも
グイグイ学んでいって
いろいろ話せます。
いろいろできます。



絵本を読んであげたり
しつけをしたり
それはありますが


一番多くを学んでいるのは



まわりの人たちの真似

自分が何かをしたときの
まわりの人たちの反応
そこから自分が受け取る感覚


のように見えます。



人材育成の時間が取れない
のはどこでも共通する問題ですが…


実は社員は
「育成の時間」
よりも
「日常のまわりの反応」
から学んでいる。


とは言えないでしょうか。



若手社員が
ある斬新なアイディアをひらめき
あまりに嬉しくなって

通常の決裁手続きをすっ飛ばして
部長に談判したとします。


その時の部長の
最初の言葉が

決裁手続きの不備をとがめたり
「できない理由」を並べ立てたり
アイディアの荒削りさを指摘したり

だったとしたら…
もしそんな経験を繰り返ししたら…


その若手社員が学ぶことは


「ひらめきは不用意に口にしない」
「何事も手続きが大切。まず根回しだ」


ということになりかねません。


どこの企業でも

新しいことを考えろ
自分の頭を使え
考えるだけでなく実行しろ


くらいのことは
教育の場で、いや日常的に指導するでしょう。


なのに
実際のコミュニケーションが
こんなものだったら。
指導が効果を上げる
はずはありません。


研修の場で教えられる理論より
日常のコミュニケーションの実体験から
の方がより強力な学びを生みます。


日常の方が
頻度もインパクトも桁違い
だからです。



あなたの部下に対する
日常のコミュニケーションスタイル
こそが、もっとも影響力のある教育
だということでしょう。



いわゆる仕事と
いわゆる教育の
時間比率は恵まれているところでも
95対5
くらいではないでしょうか。


でも
その95の仕事が
実は、教育なのではないでしょうか?



あなたの
コミュニケーションスタイルは

誰に
どんな学びを与えていますか?




それ、教育なんですけど。



ファシリテーター
冨永良史
 発創する教育術 コメント(0)
事実を解凍する。

■■発創する教育術6.■■

■事実を解凍する。


先日、仁愛大学の金田教授からいただいたコメント
を読んでいて

「事実は解凍しないと、消化できない」

と思いつきました。


金田先生によれば
問題となっている世界史履修について


どうせなら合宿でもして「めっちゃ楽しく」勉強すれば
良いのでは?とのこと。


そのアイディアは


大使館職員、学芸員、僧侶などなど
いろいろな立場の人から基調パネルをやってもらって
その後、生徒には「世界史における自分たちの位置」
について調査、まとめ、発表をしてもらう。
様々な切り口が考えられるだろう。


というものでした。

ここで言われていることを
僕なりに再解釈して


事実を解凍する


というフレーズが生まれました。
世界史の教科書に書いてある歴史上の事実は
大切なことだけれど

そのままでは、実社会との接点が見えず
機会的な暗記に頼ってしまいます。
そんな勉強では、世界に対する視野が開けることはないでしょう。

大切なんだけれど、取り込めない。
その大切さは、そとから伺い知れない。
いわば、凍った事実なんです。


イキイキとした価値ある事実として取り込むには
自分が生きている実社会の中に
改めて、位置づけてあげないといけない。


これが「事実の解凍」です。


今、世界で起きていること、目の前にあるモノと
歴史の事実をつなげることによって
凍った事実は、イキイキとした事実として
脳に取り込まれ

世界に対する新しい目線を
獲得できるのだと思います。


学校にがぎらず
企業内での社員教育にも
共通して言えることではないでしょうか?

その教育は
事実を解凍しているでしょうか?


ファシリテーター
冨永良史



 発創する教育術 コメント(0)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。