発創アリ。

2017 06
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失礼な会議。



年度の切り替わりには
いろんな団体で、総会を始めとした
区切りの会議が開かれています。


ビジネスに限らず
いくつかの「区切りの会議」に出席して思うことは


「失礼の基準」がズレてしまっている会議が
あまりに多いということです。


なぜ誰もが
書類の一言一句に間違いがないように気を張るのでしょう?

なぜ誰もが
きっちりスーツとネクタイで参加するのでしょう?

なぜ誰もが
意味不明の形式だけの会議に異議を唱えないのでしょう?


僕たちは社会的な関係の中に生きる存在として
「礼」ということを、とても大切にします。


しかし、礼とは
文言が正しいことでも、服装が正しいことでもなく


参加者の皆さんが
「そこに存在していただく理由」と
「参加したくなる理由、関心を持つ理由」を
共有してもらえるように配慮することこそ
根本的な「礼」だと、僕は考えています。


立派な資料ときっちりスーツの形式的会議が
どれだけ僕たちの時間を奪っているか。。。


あまりに「失礼」な話だと
この季節に、いつも思わされます。



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意欲と発想を引き出す会議術。


地元でワークショップというのは
かなり照れくさいです。


昨夜は、地元越前市にて
武生青年会議所にお招きいただきまして


「意欲と発想を引き出す会議術
 ~何に引き出されるのか?~」


というテーマで2時間半のワークショップを
務めてきました。


青年会議所というのは
地元企業の次世代を担う方々の集まりで
年齢的には僕と同じくらいなので
子供時代から知っている同級生がいるんです。何人も。。。


そういうところで、講師というのはキツイです。
冷や汗かきながらの2時間半でした。



さて、「意欲と発想は何に引き出されるのか?」
などという大仰なタイトルを掲げつつも
実は、たいした答えは用意しておらず

いつものことですが
参加者の皆さんなりの答えを一緒に探す
という進め方をしてきました。


ひとりひとりが違う心と体と経験を持っていますから
意欲も発想の引き出され方もいろいろです。

追い込まれて引き出される人もいれば
余裕があるときに引き出される人もいるでしょうから。


いろんな違いはあるものの
おそらく誰にでも共通することは


人として信じられ、期待された上で
魅力的な問いを与えられた時


意欲と発想が引き出されるということは言えそうです。
僕はそんな思いを込めて


安心感を醸すような暖色系のパワーポイントスライドに
「何に引き出されるのか?」と大きく書いておきました。


皆さんにリラックスしていただき
取り組むべき「問い」を明らかにすることこそが
僕の最大の仕事だと考えているからです。

それこそが、皆さんの意欲と発想を引き出す源だと考えているからです。


それが、メッセージのすべてだったといってもいいくらいです。

問いを立て
一緒に考えましょうと誘う。


意欲と発想を引き出す会議術の極意だと思っています。


ありとあらゆる場所で
意欲と発想を「押さえ込む」会議が今日も開かれています。


「何を」話し合うのか?も大事ですが
「どのように」話し合うのか?が意欲と発想に大きな影響を
したがって、結論への納得度や実現可能性に大きな影響を与えることを
忘れてはいけないと思います。


武生青年会議所の皆様の会議が
ますます意欲と発想に満ち満ちたものになりますように。

学びの時間をありがとうございました。
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器の源。



今朝の新聞で
オバマ大統領の議会演説要旨を読み
昨夜のWBC日本チームの強化試合を見た時から続いている疑問が
くっきりと浮かんできました。



「器」って何だろう?
器の大きさの源は何だろう?



事の発端は
WBC日本代表チームの大黒柱
松坂投手の昨夜のピッチングでした。


ただの強化試合とは思えない大観衆の注目を前に
淡々と投げ、エースにはふさわしくない連打で失点し
けれども表情ひとつ変えず降板していく彼の姿に


とてつもない器を感じていました。



オバマ大統領が示す
ブッシュ前大統領との好対照ぶりも同様です。


経済、軍事、外交、あらゆる不確定要因を
チカラで制覇し、単一原理によって制御しようとする
ブッシュ前大統領に対して


オバマ大統領の
対話し、見極め、期待し、相手にゆだねる姿勢には
やはり器を感じます。


人間らしさという意味では
僕は、ことの是非はともかくとして
ブッシュさんにシンパシーを感じます。

彼の言動は、極端ではあったけれども
とても素直で、悪く言えば子どもっぽいものでした。


松坂投手もオバマ大統領も
なぜ、あんなにも動じないのか?


不確定要因や失敗は
少しでも少なくしたい、回避したいと思うのが
普通の感覚だと思うのですが


おそらくは
遠大な理想に向けて
現状を一歩一歩つみあげていく
冷静さと懐の深さがあります。


それを人としての能力、資質に回帰させるのは容易です。
しかし、それをしてしまっては、ブラックボックスにすべてを
封じ込めることに等しく

単に彼らが特殊な人間である
ということになってしまいます。




なぜ目先の利害ではなく
遠大な理想を見失わずにいられるのか。


なぜ大観衆の期待に一時的に背いてでも
自分が目指すものを追い求められるのか。




松坂投手のメンタリティーには以前から注目していて
「自分との対話」が静かで深いことが
彼の器の源なのだろうと考えてはいます。


であるならば


なぜ、他者の言動の影響力を免れて
自分との対話を続けられるのか。



これらの問いに
「精神力の強さ」のような抽象的なものではなく


なにか原理的な、メカニズムとしての解が見出せないか


そんなことを考えています。



そういえば
鈍感力なんて言葉が
ありましたね。

読んでみます。
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万能の議題。



あらゆる会議で通用する
万能の議題があります。


この議題を取りあげれば
誰もが深い思考へと導かれ
対立を超える道を歩むことが出来ます。




1)私たちにとって何が問題なのだろう?
  ・・・前提条件、課題の共有を促します。

2)私たちは、何が違うのだろう?
  ・・・意見の違いへの自覚を促します。

3)何が私たちの間にある違いをもたらしているのだろう?
  ・・・違いの源の探求を促します。



万能でありながら
これらの議題が正面から扱われることが
いかに少ないかを思い起こしてみてください。


前提を共有しない対話はありえず
「違い」と「正誤」を取り違えれば対立しかありえず
「違いの源」を探さなければ対話は勝負に堕します。



国会をはじめとするあらゆる議会は
この議題軽視の悪しき見本であり


18歳未満視聴禁止


にしたいところです。


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席替え国会。



どこかの新聞に

ヤジが飛び交う国会は
まるで「学級崩壊」のようだ

と投書されていました。



教育をどこに導くのかを考える国会が
学級崩壊したら、教育に未来がなくなってしまうので
国会にも、有能な「担任の先生」が必要だと思われます。



ところで、学校で担任の先生は
教室の雰囲気を変えたり、友達関係を豊かにしたりするために

席替えをします。



毎月、隣や周りに座る子が変わったら
日頃のコミュニケーションも変わりますし
友達関係も多様になっていきます。


違う子と話せば
いつもと違うことを考える。
それはとっても大切なこと。



国会でも席替えしたらいいのに。



自民党も共産党も民主党も
ごちゃ混ぜにして、週替わりで座ったら
国会、変わるかもしれません。


政党同士かたまるから

意を強くして、ふてぶてしいヤジを飛ばします。

本音は違うことを思っていても
同調圧力が働いて言い出せません。

党同士の主張はわかっても
ひとりひとりの人間としての思いを共有する機会がありません。

いつも同じメンバーに囲まれてるから
居眠りしてしまいます。



毎週、違う政党の違うメンバーに囲まれて
ざっくばらんな雑談などしながら
政党の壁を超えていく。


そういう国会が観てみたいです。

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饒舌と沈黙の間。


会議で饒舌な人と沈黙がちな人がいます。
そこには人柄の違いだけではなく
思惑の違いがあります。

現象を人柄の違いに帰結させるとき
会議は不毛な対立の場になります。

動かしがたい人柄ではなく
環境と相互作用した結果としての思惑に帰結させるなら
会議は濃密な対話の場として生まれ変わるはずです。



思惑。やや大げさに言い換えると戦略。


誰しも何かを得たり、守ったりするために
自分の口を開くのか、閉ざすのかを決めています。


饒舌な人は、沈黙の人は
何を得ようとしているのか。
何を失うまいとしているのか。


それが明らかになったとき
より建設的な「交換」や「取引」や「妥協」や
さらには「創造」が生まれるでしょう。

これらのことが明らかになっていないままに進行する会議は
明らかになっている会議よりも遥かに多くあります。

公然と明らかにすることを嫌い
あいまいな言葉や無言で、腹の内を探り合うことは
交渉能力のひとつと言えるでしょう。


腹の内を探り合うことを
大人社会の嗜みのように扱う考え方がありますが
それは、自分達がやってきてしまったことを
動かしがたい、解決困難なものとして
正当化しているだけのようにも見えます。

「腹芸」など
使わないにこしたことはないはずです。
そのチカラを前に進むエネルギーに変えることをこそ
考えるべきでしょう。



多くの場合、明らかにされていないことは
もしくは、明らかにされるのを嫌われることは

自尊心、面子、羞恥心

といった
主題とは無関係な、しかし結論を大きく左右する
したがって、とても幼稚な感情です。

幼稚だからといって切り捨てるわけにもいきません。
誰にもある感情ですから。



自分の意見の「本当の論拠」が明らかにされないまま
対話をすることほど不毛なことはありません。

この感情から自由になれる環境を提供することでこそ
主題と直結した思惑、戦略がぶつかりあう
本来の対話が生み出されるはずです。

この感情を押し込めつつ対話するとき
「腹芸」が必要になります。


今、自分たちがしている対話が
幼稚な感情を脱した建設的な思惑を持った次元でのものか
それとも、面子や羞恥心を守らんがための不毛なものか

その見極めと、解決するための対話環境の変更は
目を向けられることの少ない根治療法です。


饒舌も沈黙も、同じように
「何も語っていない」ということが
実は、多いようです。
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拙速な触発。



「議論」や「話し合い」は
「積極的」でなければならないとは
限らないだろう、ということを考えています。


活性化した話し合いでは
ひとりで考えているときにはない
思考回路が作動します。


お互いの発言に
触発されるからです。


自分の思考と違うパターンの思考に触れることで
その「違い」や「距離」を埋めるべく
普段とちがう方向へ思考するからです。


これが
話し合うことの最大の効用なのですが
この効用が常に「正」に作用するわけではなく
「負」にも同じくらいの割合で作用することを
忘れてはならないと思います。


ポンポン「積極的」に言葉をやりとりすれば
それだけ思考が活性化して
普段とは違うアイディアが生まれやすい。。。

ですが

普段と違うことは
普段より優れていることを
必ずしも意味しないわけです。


売り言葉に買い言葉的に、いらぬ対立を生んだり
ありえない空想に飛んでいったり
カドがとれたお利巧な話になったり



おかしな表現になりますが
これらの「優れていない話し合い」は
「言葉を発するが故に」生まれるわけです。


相手の言葉は
自分の思考の触発源だからです。



お互いの考えを伝え合った後に
お互いの考えを、じっと「眺めあう」だけの時間
議論も質問もしない、なにも発言しない時間
を持つということで


「拙速な触発」を避けられる


と考えています。
ただただ眺めるだけ
その間に、お互いの間にある違いと距離が見え
そこから、ゆったりと立ち上ってくる思考の中にこそ
「触発の果実」があるはずです。



「議論」という言葉からは
「言葉で埋め尽くされた時間」というイメージが浮かびがちで
実際、やり込められないように、行き詰まらないように
言葉を発するという姿勢は、よく見られます。


この「議論」の捉え方だけでは
「拙速な、負の触発」が生れてしまいます。


議論とは
意欲を持ち過ぎると
壊れてしまう

とも言えるかもしれません。



ファシリテーター
冨永良史
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思いを固定せずに。



自分が感じていること、思っていることを
そのままに相手に伝えることは
僕達が自覚している以上に難しいことのようです。



「自分はこう思っている」と
自分で自分に確信を持つことすら
実は難しいのですから。



自分が発している言葉が
自分の思いと一致していると
自信を持つには、相当な思考力と表現力が必要です。


しかしながら、言葉の力は偉大で
いったん言葉として発してしまうと
それが確固たるモノのように固定化されがちです。


言葉にしたことによって
「自分はこう思っている」と
自信を持ってしまうんです。


本当は、そんな簡単なことじゃないのに。。。
もう少し考えたら、また考えが変わるかもしれないのに
言葉にしたとたんに、「これが俺の考えだ!」と思いこみ
なおかつ、やっかいなことに、それを守ろうとし始めます。
他の意見を受け入れがたくなります。



この錯覚から、僕達は自由にならないと
創造的な対話は困難だろうと思います。


固定化された思いの交錯からは
衝突や平行線だけが生まれるでしょうから。


僕達は、そんなに簡単に
自分の思いを表現することはできないし
ましてや、誰かと、その理解を共有することなどできません。


意見を発するということは
思いを固定化することではなく
対話の場に、仮説、問いかけを投げ入れている
という自覚が必要です。


「自分の思いらしきもの」をきっかけに
そこに集う「みんなの思い」を探すんだという気持ちが必要です。


創造的な議論とは
揺れ動く不安定な思いの交錯の中から
徐々に固まった思いが結晶のように生まれてくるのだと思います。


自分は何が言いたいのか。
私たちは何を思いたいのか。


それは、みんなで探すもの。
固定化された主張からは、見つからないはずです。



ファシリテーター
冨永良史
 発創する会議術 コメント(0)
質問という創造。



遅めの昼食をとりながら
国会の代表質問を視ていました。



登壇する質問者の方々の表情は
「いざ決戦」とか「さぁ、晴れ舞台だ」とか「聴かせてやるぞ」
みたいな感じに見えますね。。。


覚悟は、それでも結構ですが
質問内容は

自己主張のおまけに
質問をちょこっとつけたす

という具合で
演説の舞台とカン違いしそうなものでした。
いつものことですが。。。



質問というのは
すぐれて創造的な行為だと考えています。


お互いに完璧足り得ないからこそ
お互いの違いを浮き立たせ
それを超克する方策を
共に作り出すための共同作業に
なりえるはずだと考えています。


「違う」ということは
責めるべき対象ではなく
創造の源泉として扱ったとき

立場の違いは
まさに弁証法的に乗り越えられるでしょう。


質問の場で
長々と自己主張するということは
弁証法の対極をいく行為です。


一方で、麻生首相が所信表明演説で
民主党に「質問」したことが批判されていますが

これは
政権を預かる総理大臣の所信、決意の現われとして
ごく当然の行為だと思います。


質問とは
前進し、実現し、創造するための行為です。
停滞し、否定し、破壊するための行為であってはならないでしょう。



その人が
どんな質問の仕方をするかによって
目の前の現実に
どのように向き合っているのかが
わかるように思います。


ファシリテーター
冨永良史

 発創する会議術 コメント(0)
濃度コントロール。



とっても単純だけど
とっても忘れられている原理があります。


濃いモノは扱いにくいんです。
薄いモノは扱いやすいんです。



濃いと
ドロドロ、べたつきます。


薄いと
サラサラ、あっさりです。



これは議論においても同じなんですが
忘れられています。


いきなり濃い議論をしては
決まるものも決まらないです。


議論の濃度をコントロールする。


これが重要です。
薄い議論から始めて
徐々に濃くしていき
最後に、濃度の充実した濃い結論を出す。


これが理想です。


いったい、議論の濃度とは何なのか?



それは、意見に対する執着です。


「どうしてもこの意見を通したい!」という
思いのこもった意見だけを闘わせると
濃い議論になります。


「これか、あれか、そっちか、ま、そのヘンかなぁ」という
あんまりこだわりのない意見を交えている段階では
薄い議論になります。


議論は、薄く始めて、濃く終わる。


そのための方法は、ただひとつ。
「アイディアの数を出す」です。


たったひとつのアイディアしか出さないと
それに対する執着は濃くなります。


6人の会議で6つのアイディアを闘わせると
濃すぎる議論になります。


ひとりが5つも6つもアイディアを出すこと。
議論の始まりでは、人数の5倍も6倍もアイディアを出すこと。
その中から徐々に絞り込んでいくこと。


アイディアの数が増えれば
ひとつのアイディアあたりの執着は自然に下がります。
単純な計算です。



そうやって、濃度の低い議論をしながら
絞り込みつつ、濃度を上げていく。
これが、濃度コントロールです。


これには、さらに2つの利点があります。


1つめ。貢献の自覚。
たくさんのアイディアを出すことで
自分は確かにこの場に貢献している、参加している
という自覚が生まれます。

自分が貢献した結論は、それが自分の意見と違っても
貢献しなかった結論よりも、はるかに
行動への動機が高くなります。


2つめ。視点の相対化。
数少ないアイディアを比べるよりも
たくさんのアイディアを比べたほうが
より全体的な視点にたって、相対的に比較できます。

細かい違いに執着するような議論でなく
感情対立でもなく
より長期的に、より広域的に
全員の視点を高い位置に導くことが出来ます。



というわけで
議論の濃度コントロールは
合意形成を容易にします。

そのカナメは
アイディアの数を出す
でした。



ファシリテーター
冨永良史
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