発創アリ。

やる気とアイディアが湧き上がるチーム、会議、教育、組織風土を考える福井発ファシリテーター兼スプリンター冨永のブログです

思いを固定せずに。




自分が感じていること、思っていることを
そのままに相手に伝えることは
僕達が自覚している以上に難しいことのようです。



「自分はこう思っている」と
自分で自分に確信を持つことすら
実は難しいのですから。



自分が発している言葉が
自分の思いと一致していると
自信を持つには、相当な思考力と表現力が必要です。


しかしながら、言葉の力は偉大で
いったん言葉として発してしまうと
それが確固たるモノのように固定化されがちです。


言葉にしたことによって
「自分はこう思っている」と
自信を持ってしまうんです。


本当は、そんな簡単なことじゃないのに。。。
もう少し考えたら、また考えが変わるかもしれないのに
言葉にしたとたんに、「これが俺の考えだ!」と思いこみ
なおかつ、やっかいなことに、それを守ろうとし始めます。
他の意見を受け入れがたくなります。



この錯覚から、僕達は自由にならないと
創造的な対話は困難だろうと思います。


固定化された思いの交錯からは
衝突や平行線だけが生まれるでしょうから。


僕達は、そんなに簡単に
自分の思いを表現することはできないし
ましてや、誰かと、その理解を共有することなどできません。


意見を発するということは
思いを固定化することではなく
対話の場に、仮説、問いかけを投げ入れている
という自覚が必要です。


「自分の思いらしきもの」をきっかけに
そこに集う「みんなの思い」を探すんだという気持ちが必要です。


創造的な議論とは
揺れ動く不安定な思いの交錯の中から
徐々に固まった思いが結晶のように生まれてくるのだと思います。


自分は何が言いたいのか。
私たちは何を思いたいのか。


それは、みんなで探すもの。
固定化された主張からは、見つからないはずです。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/10/09(木) 21:51:37|
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質問という創造。




遅めの昼食をとりながら
国会の代表質問を視ていました。



登壇する質問者の方々の表情は
「いざ決戦」とか「さぁ、晴れ舞台だ」とか「聴かせてやるぞ」
みたいな感じに見えますね。。。


覚悟は、それでも結構ですが
質問内容は

自己主張のおまけに
質問をちょこっとつけたす

という具合で
演説の舞台とカン違いしそうなものでした。
いつものことですが。。。



質問というのは
すぐれて創造的な行為だと考えています。


お互いに完璧足り得ないからこそ
お互いの違いを浮き立たせ
それを超克する方策を
共に作り出すための共同作業に
なりえるはずだと考えています。


「違う」ということは
責めるべき対象ではなく
創造の源泉として扱ったとき

立場の違いは
まさに弁証法的に乗り越えられるでしょう。


質問の場で
長々と自己主張するということは
弁証法の対極をいく行為です。


一方で、麻生首相が所信表明演説で
民主党に「質問」したことが批判されていますが

これは
政権を預かる総理大臣の所信、決意の現われとして
ごく当然の行為だと思います。


質問とは
前進し、実現し、創造するための行為です。
停滞し、否定し、破壊するための行為であってはならないでしょう。



その人が
どんな質問の仕方をするかによって
目の前の現実に
どのように向き合っているのかが
わかるように思います。


ファシリテーター
冨永良史

  1. 2008/10/03(金) 17:54:29|
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濃度コントロール。




とっても単純だけど
とっても忘れられている原理があります。


濃いモノは扱いにくいんです。
薄いモノは扱いやすいんです。



濃いと
ドロドロ、べたつきます。


薄いと
サラサラ、あっさりです。



これは議論においても同じなんですが
忘れられています。


いきなり濃い議論をしては
決まるものも決まらないです。


議論の濃度をコントロールする。


これが重要です。
薄い議論から始めて
徐々に濃くしていき
最後に、濃度の充実した濃い結論を出す。


これが理想です。


いったい、議論の濃度とは何なのか?



それは、意見に対する執着です。


「どうしてもこの意見を通したい!」という
思いのこもった意見だけを闘わせると
濃い議論になります。


「これか、あれか、そっちか、ま、そのヘンかなぁ」という
あんまりこだわりのない意見を交えている段階では
薄い議論になります。


議論は、薄く始めて、濃く終わる。


そのための方法は、ただひとつ。
「アイディアの数を出す」です。


たったひとつのアイディアしか出さないと
それに対する執着は濃くなります。


6人の会議で6つのアイディアを闘わせると
濃すぎる議論になります。


ひとりが5つも6つもアイディアを出すこと。
議論の始まりでは、人数の5倍も6倍もアイディアを出すこと。
その中から徐々に絞り込んでいくこと。


アイディアの数が増えれば
ひとつのアイディアあたりの執着は自然に下がります。
単純な計算です。



そうやって、濃度の低い議論をしながら
絞り込みつつ、濃度を上げていく。
これが、濃度コントロールです。


これには、さらに2つの利点があります。


1つめ。貢献の自覚。
たくさんのアイディアを出すことで
自分は確かにこの場に貢献している、参加している
という自覚が生まれます。

自分が貢献した結論は、それが自分の意見と違っても
貢献しなかった結論よりも、はるかに
行動への動機が高くなります。


2つめ。視点の相対化。
数少ないアイディアを比べるよりも
たくさんのアイディアを比べたほうが
より全体的な視点にたって、相対的に比較できます。

細かい違いに執着するような議論でなく
感情対立でもなく
より長期的に、より広域的に
全員の視点を高い位置に導くことが出来ます。



というわけで
議論の濃度コントロールは
合意形成を容易にします。

そのカナメは
アイディアの数を出す
でした。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/09/26(金) 13:17:47|
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大きく考えて、小さく決める。




確実に実行できることというのは
「小さなこと」です。


短時間でできて
難易度が低く
成果が見えやすい。
ゆえに、実行への動機が生じやすい。


こういう「小さなこと」なら
実行、完遂の可能性が高いです。



一方で
小さなことだけでは
行動を維持することが難しくなります。


レンガを積むことは簡単で「小さなこと」ですが
それを「3年間休まずにやれ」と言われれば
3時間で放り出したくなります。


小さなことを実行し続けるには
「大きなこと」が必要でしょう。
それは


どうやって社会の役に立つのだろう?
3年後、どんな素敵な状態になってるだろう?
1年後は?30年後は?
あの人は、どんな顔して喜ぶだろう?


小さなことを実行し続けるには
大きなこと、意義、がないと難しい。。。


だから。。。
何かを話し合って決めるときには


大きく考えて
小さく決める


が大切です。


大きな背景・意義を考えつつも
小さな実行しやすい結論を出す。



僕達の日常の話し合いはどうなっているでしょうか?



小さな目先の意義を追い掛け回して
大きな漠然とした実行しにくい結論をだしている場面は
多くないでしょうか?



小さく考えて
大きく決める。


なんだか、そんな気がするんです。
自戒の念を込めて。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/09/23(火) 10:14:03|
  2. 発創する会議術
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その場所から始まる。





会議室でも事務室でも
創造的なコミュニケーションがなされる場所はすべて



この場所から
すべてが生まれる。
すべてが始まる。
すべてが動き出す。




という視点でデザインされるべきだろうと思います。



そこは何かが生まれる予感に満ちた空間でしょうか。
ワクワクしますか?
話かけたいですか?
行動したくなりますか?



空間デザインに
発創可能性の要素を加えることは
とても大切になってきています。


未開の可能性が多くあるはずです。


ワークプレイスデザインとも呼ばれる分野です。



その場所に立ったとき
自分はどんな感情を生起するだろうか?



そんな観点で場をみつめ、場をデザインすることが
「始まる」場所、を生み出すきっかけになるはずです。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/07/20(日) 17:16:19|
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効く聴き方。




セミナーでも授業でも


「きく」という行為を説明するために
必ずする質問があります。


「『きく』という漢字は3つありますが
 いくつわかりますか?」


そこの上で


【聞く】・・・音として耳で受けとめる
【聴く】・・・意味として心で受けとめる
【訊く】・・・より深く理解するために訊ねる


といった説明をします。

だいたい2つ目までは簡単に答えられるのですが
3つ目がなかなか出てきません。


ところが、この前、大学の授業で
「なるほどなぁ」と思わされる答えが出てきました。



「きく」=【効く】



僕の問いかけに対する答えとしては
少々ずれているのですが
すばらしい答えだと思いました。



そうなんです。
「きく」という行為は
非常に「効く」んです。


きいてもらえると
そこに受容感が発生し
話し手も聴き手も思考が活性化して
ひとりでは考えられなかったアイディアが生まれます。

きいてもらえると
安心感と参加意欲が生まれ
行動へのモチベーションは高まります。



さらに「効く」聴き方は
誰でも知っていることですが


相手の意見を反復・要約する。


ということです。


誰かの意見に対して
自分の意見を述べようとするとき


その前に、相手の意見を反復・要約した上で
自分の意見を述べるだけで
場の雰囲気は、かなり受容的かつ創造的になります。
例えば・・・


A君「次のイベントではたこ焼きを売るのがいいと思います」

B君「たこ焼きを売るんですね。それより、金魚すくいはどうでしょうか」


反復を前に置くことで
相手の意見を否定・攻撃する気分は弱くなります。


一方で反復なしに自分の意見を言うと
どうしても対立的な雰囲気が生まれやすくなります。
例えば・・


A君「次のイベントでは、たこ焼きを売るのがいいと思います」

B君「それより、金魚すくいがいいと思います」



誰でもできる、簡単な行為なんですが。。。
会議の場で、どれだけ反復・要約がされてるでしょうか。


誰かが意見に対して何か意見を持ったら
それをスグにぶつけることが多いのではないでしょうか。


反復・要約を間に挟むことによって
対話に受容的なリズムが生まれます。
火花が散りにくく、融け合わせやすくなります。


時には、反射神経まかせの
ぽんぽん弾むような対話が有効ですが


議論を深めたいとき
対立、すれ違いばかりに悩むとき

反復・要約を意識的に増やして
受容的なリズムを会議室に奏でてみてはいかがでしょうか。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/06/05(木) 17:52:52|
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理想会議には時間が足りない?




会議術にまつわる
セミナー、ワークショップを
産学官、様々な皆様に提供させていただいておりますが。。。


常に焦点になるのは
会議時間の問題です。


多くの方がおっしゃるには。。


「あるべき会議の方法は理解できる。
 が、しかし。。。
 その方法を実行するだけの時間的余裕がないんだ」


という現実です。


なるべく多くの人の意見を引き出し
結論を急がず、差異を見極め、高い目的・理想を確認しながら
いままでにない結論を「創造」していく議論こそが必要


。。。なのですが。
その必要性と方法は理解できても
そのために要する時間が
日々の業務の中には見出せない。
そんな素晴らしい会議をやっている時間がない。


ということなのです。


僕も現場最前線の多忙さを知らないわけではないので
ものすごく共感できる意見です。


ではありますが。。。
この種の意見の背後にある無意識的に出来上がっている
共通する考えを見逃すわけにはいきません。
それは。。


仕事とは最終的には
現場で個人が解決するもの。

だから

個人が現場で活動できる時間を最大化しなければならない。
そのためには、会議の優先順位が落ちても仕方がない。


という考えです。



ここでは
成果に対する欲求ばかりが優先され
その成果を支えるモチベーション、スキルに対する軽視が
見られるように思えます。


会議、話しあい、合議、意見の出しあい、合意形成、アイディアの創造


これらの行為はすべて
うまくいったならば、僕達のモチベーションをいとも簡単に倍化させ
スキルの飛躍を後押しするものだと思うのです。


僕達の人格、判断、行為は
個人として自律しているのではなく
他者との相互作用の元で動的に成立しているので

チームのメンバーとの話しあいが上手くいくか否かは

あらゆる人にとって、モチベーション、スキルの
大きな変動要因になるはずです。



というわけで


あるべき会議の方法はわかったが
そのための時間がない。


という意見は


会議の本当の意味、意義が
まだ十分に理解できていないが故に
生まれてくる意見


だと思うのです。
会議の生産性、そこで生み出される納得感、革新性こそが
現場最前線での個人のモチベーション、スキルを根源的に左右し
それこそが、個人およびチームのパフォーマンスの源です。


会議のために、そんなに時間を使っていられない


という考えによって失われてしまう機会は
想像以上に大きいものだと思います。


会議とは
余った時間でやるものではありません。

かといって
現場の仕事をそっちのけでやるものでもありません。

会議とは
現場の仕事のよりよい解決、革新のためにこそやるものです。

というわけで、必要なことは

会議に十分な時間を確保しつつ
その方法探求と、そこへの参加意識を
どこまでも高く、高く追求していくべき
組織課題として捉えることだろうと考えています。


ファシリテーター
冨永良史


  1. 2008/05/07(水) 19:40:21|
  2. 発創する会議術
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会議室に漂う香り。





すっかり春です。


上着を脱ぎたくなるような気温も
緑の息吹きも、咲き乱れる花々も、その香りも
いつもより澄んで見える川の流れも


どれもこれもが
春を感じさせます。


春は僕達の気分を高揚させて
いつもよりも少しだけ
自分を大きく感じさせてくれます。


ひょっとしたら
上手くいくんじゃないか?
すごいことが起きるんじゃないか?


そんな期待感を抱かせてくれます。



僕達の感情は
春の暖かさにも、鮮やかな色彩にも
川のせせらぎにも、豊で甘い香りにも
影響を受けて、毎日、移ろいながら生きています。



感情が認知を
認知が判断を
判断が行動を
行動が成果を規定します。


だから、春は
新しい何かが生まれる季節なのかもしれません。



というわけで
皆さんの会議室に「春」はありますか?



そこには
僕達の感情をゆったりと包み込んでくれる
香りはあるでしょうか?

それとも
タバコの臭いが満ちているでしょうか?



春の香りが漂うような
新しいものが生まれる予感に満ち満ちたような
そんな会議室を創ってみたいですね。



ファシリテーター
冨永良史
  1. 2008/04/25(金) 14:45:37|
  2. 発創する会議術
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不必要な意見が必要だ。





ズレまくった意見とか
ちゃぶ台をひっくり返すような意見とか
今それを話さなくても。。。という意見とか



会議で嫌われる意見というものがあります。
できれば出てきて欲しくない、不必要な意見とみなされます。



ここは考えるポイントです。



不必要な意見は本当に不必要か?



いや、必要です。
ど〜しても必要です。
必要とされる場面が限定的ですが。



会議は、あらゆる意見が自由に交換され触発しあい
融け合わされて、革新的な結論を生み出すことができます。



そこに必要なのは
「何を言ってもいい。受けとめられる」
と思える安心感、受容感です。



上述の不必要な意見は本当に不必要だという
共通認識が出来てしまえば


正しいことしか発言してはいけない
という圧力が場に発生してしまいます。


一見不必要に思える意見でもどんどん出して
受けとめあい、それが必要なのかどうなのか
みんなで検証しあう場が必要です。


そうやって、あらゆる意見を検証していく中で
自分たちに必要な意見とはどんなものか?
を自ら確信していくことができます。

そうすると、時間がたつにつれて
その場に出される意見の焦点が絞られ
論点が重なり合い、とても創造的な場が生まれます。


もし、不必要かもしれない意見を最初ッから抑圧していたら
参加者が自らの発言を自己検閲しすぎて場が活性化しません。
さらに、いつまでたっても
自分たちに本当に必要な意見がどんなものか?
についての確信が場に生まれず。
議論の焦点があわないまんまになります。



つまり
不必要に思われる意見は
自分たちが何を求めているのか?を確信するために
どんどん出すべきものなのです。


ここで大切なのは
不必要に思われる意見を出す「時間帯」というものを
あらかじめデザインしておくということです。

いわゆるブレーンストーミングがそうですが
とにかく、あらゆる意見を出して、次に検証し論点を絞っていく。
このプロセスをしっかりデザインして、守っていく。


とことんバカな意見を許容する時間帯を共有した後では
そのメンバーは、とことん知的で創造的な時間帯を過ごすことになるでしょう。


最初ッから知的で創造的な時間をデザインしようとすると
最後にバカみたいな結論をだしてしまうという
お粗末なことになりますので、ご注意を。


ファシリテーター
冨永良史


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  1. 2008/04/15(火) 15:18:54|
  2. 発創する会議術
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芸術的な会議。




論理的に説明すること
思いを言語化すること


これらは
社会生活、組織運営において
極めて重要なことです。



が、しかし。
論理、言語化能力は
僕達の能力のほんの一部にすぎません。


イメージで伝えること
思いを絵にすること、図解すること
時には、思いは粘土細工にだってできるかもしれません。



なのに。。。


社会、組織を動かすかなめである会議は
論理と言語で行なわれるんです。


おかしいじゃありませんか。
僕達の能力のほんの一部しか使わないなんて。。。


大切なコトは
会議を通じてよりよい結論を出すことであって
論理、言語という方法こだわることではありません。




論理で煮詰まったら
イメージ、雰囲気で考えてみたらいい。
描いてみたらいい。



会議とは
僕達の表現能力、受発信能力のすべてを使って
参加者全員の思いを紡ぎ出す創造活動です。


会議は芸術的であるべきです。
あらゆる表現活動が集約されるべき時間です。



話しあいは
言葉と表情と身振りと文字と絵と音と温度と・・・
すべてを集約するものです。


言葉、論理だけの会議から
卒業しませんか?


あなたの会議の芸術度を測る簡単な質問があります。



問い:
「あなたの会議室では、何色のマーカーが使用されていますか?」



黒1色
・・・とりあえずは視覚情報も使おうという意志はあるようです。
・・・が、言語偏重ですね。


赤、青、黒など2〜3色
・・・視覚刺激が思考に影響を与える効果を利用しようと試みてはいます。
・・・が、アイディアを触発する遊び心は不足しています。


8色マーカー
・・・視覚刺激をフル活用して、全員の思考を活性化しようとしています。
・・・会議はかなり創造的な場になっているのではないでしょうか。



マーカーは使わない
・・・言語、論理さえもが軽視されています。
・・・組織特有の常識、権力の影響下で
・・・退屈で非創造的な会議が行なわれていませんか?



ま、とりあえずの指標です。
会議に「色」を持ち込むだけで
僕達の思考がどれだけ変わるか
一度、お試しください。



ファシリテーター
冨永良史


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  1. 2008/04/14(月) 15:01:33|
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